9◇追手

 アルスが一歩後ずさったのに、肩の上のナハティガルは前のめりだった。


「うわぁん! ラザファムぅっ!」


 周囲に人がいるところで叫ぶから、アルスが叫んだみたいになってしまって恥ずかしい。まさか肩の鳥が叫んでいるとは思われなかった。

 アルスは近づいてくる青年をキッと睨む。


 ラザファム・クルーガー。

 クラウスの親友で、クルーガー伯爵家の次男。アルスとも幼馴染だ。


 小さい頃は大人しかったのだが、成長するにつれて容赦のない性格になった。

 ナハティガルに言わせると、アルスが悪いらしいが。


 少女のように可愛らしかった顔立ちは、成長して幾分凛々しさも加わったけれど、それでも線は細い。少しだけ長い栗色の髪を軽く束ね、水色のローブを羽織っている。剣を振るって戦う勇猛さはないが、ラザファムは優秀な人材ではあった。


 彼がここにいるのは、女王あねその夫あにが派遣した追手だからだろう。ラザファムはアルスを連れ戻しに来たと見て間違いない。

 ことが大きくなる前に、幼馴染のよしみで秘密裏にアルスを追ってきたというところだ。


 アルスが全力で走れば撒けるとしても、多分それは根本的な解決にはならず、余計に面倒なことになる。アルスは覚悟してラザファムと話すことにした。

 ラザファムもここは目立ちすぎると思うのだろう。そっとささやいた。


「あちらに参りましょう」


 公園広場の方を指さしたので、アルスはうなずいた。ナハティガルは嬉しそうに弾んでいる。

 そして、人気の少ない木陰を選ぶなり、ラザファムは呆れたような声を出した。


「あなたはいい加減に大人になってください」


 いきなり失礼極まりない。

 アルスが顔をしかめていても、ナハティガルはもっと言ってやってとでも思っているらしかった。


「本気でノルデンに行くおつもりですか? 陛下やベルノルト様にどれだけご心配をおかけしていると思っているんです?」

「そんなことはわかっている」

「わかっていませんよ。わかっていたらこんな馬鹿なことはしません」


 ラザファムが身分を無視してこんなに大口を叩けるのは、当人の努力によるところではある。


 守護精霊として精霊と契約できるのは直系の王族だけだが、精霊と信頼関係を結び、精霊を呼び出してその力を借りる〈精霊術師〉という者が、国にほんのひと握りだけいる。

 ラザファムはその貴重な精霊術師である。それも、若干十六歳でその資格を得た最年少の秀才だ。


 ナハティガルもラザファムにとても懐いている。

 アルスはラザファムがいるとナハティガルが調子づくので居心地が悪い。現に今、ラザファムがアルスを説得してくれるのではないかと期待しているのがよくわかる。

 しかし、アルスは誰が来ようと、それこそ女王である姉に止められても諦めない。


「私は馬鹿なことだとは思っていない。自分の婚約者に会いに行くのがどうして馬鹿なことなんだ」


 これを言った時、ラザファムは険しかった表情にほんの少しの戸惑いを見せた。


「その婚約はもう破綻しているんです。残念ですが……」

「私は認めていない」

「あなたが認めなくても」


 アルスは瞬きすらせずにラザファムを睨んだ。

 ラザファムのせいではないけれど、この時、アルスには感情をぶつけるところが他になかった。


「それなら、私が納得できるようにクラウスに会わせてくれたらよかったんだ。それを内緒で追放するなんてあんまりだ。クラウスが魔に染まったというのなら、それは私のせいなのに!」


 声を抑えて言うと、ラザファムは一度目を伏せた。長いまつ毛が影を作る。

 けれど、いくら思いの丈をぶちまけたところで折れる相手ではない。


「僕もクラウスには会わせてもらえませんでした。本当のところ、クラウスがどうなったのか気にならないわけではありません。でも、彼の性格なら、あなたが自分を追ってきて、もし何かあったらひどく苦しむでしょう。だから僕はあなたが、しかも単独で動くべきではないと言うんです」


 ラザファムはいつもそうだ。正しいことを言う。

 アルスの方が直情的に動いてしまう。それを止めてくれるクラウスがいないから、ラザファムが手厳しくなるのかもしれない。思えば、ラザファムがこうも厳しくなったのは、クラウスがいなくなってからだ。

 身内ばかりでなく、ラザファムも心配してくれているのは知っている。


「クラウスに会いたいのが私のわがままだとして、それでも私は会いに行く。このまま一生会えないなんて、絶対に嫌だ」

「会って、もし本当に彼が変わってしまっていたらどうします?」


 熱心に訴えても、ラザファムは容易に流されなかった。

 ――本当に変わってしまっていたら。

 それはアルスが一番考えたくないこと。考えないようにしていることだ。


「もとに戻せる方法を探す」


 最悪、それしかない。でき得る限りのことをするつもりだ。

 諦めの悪いアルスに、ラザファムはため息をついていた。


「あなたが――」


 いつもよりも低い声でつぶやくと、ラザファムはアルスの手首を握った。ギクリとするほど強い力で。

 ラザファムの琥珀色の瞳が真剣にアルスを見据えている。


「もしあなたが王族でなければ、こんなやり方はしません。どんなことをしてでも掻っ攫って、閉じ込めておきます。そうでもしないとわからないんですから」


 身分があるからこそ、これでも尊重していると言いたいのだろうか。


「生憎と、、なんてことはないし、閉じ込めても逃げきってやるからな」


 誰にも止められるつもりはない。

 アルスがラザファムの手を振り払うと、彼は眉間に皺を寄せた。


「……ナハ、ごめんな。アルス様みたいに頑固なのは僕の手に負えない」

「本人に聞こえるように言うな」


 ナハティガルは、アルスの肩からちょん、とラザファムの肩に飛び乗った。


「ラザファム可哀想。アルスが跳ねっ返りでごめんよ」

「お前も保護者みたいな謝り方するな」


 ラザファムはナハティガルの頭を指で撫でる。


「じゃあ、僕も腹をくくります。ノルデンへご一緒します」

「はぁっ?」

「最悪、そうするようにとベルノルト様から仰せつかっています」


 ベルノルト――アルスの義兄、つまり女王の夫君に当たる。義兄はレムクールの王族ではないが複雑な生い立ちの人物で、精霊との調和力がずば抜けて高い。ラザファムが若年で資格を得ることができたのも、ベルノルトに師事したからだ。


 国の精霊術師の年齢は高めではあるが、最近は義兄やラザファムのような若い世代も精霊と上手く渡り合えている。


「結局行くんだ……。行くんだね……」


 ナハティガルは残念そうにぼやいたが、気を取り直したように跳ねてアルスの肩に戻ってきた。


「でも、ラザファムが一緒ならまだマシかなぁ? あんまり口うるさい精霊は呼ばないでほしいけどさ」

「アルス様が無茶苦茶なことをしなければ呼ばないで済むよ」

「無茶苦茶しないアルスなんて想像できないよ?」

「それは困ったな」

「……お前ら、本人の前でする話か?」


 苛立ち紛れにアルスはズカズカと歩き去るが、ラザファムはその後ろをついてくる。

 アルスはそんなラザファムを無視して換金所へ戻った。


 換金所の中は込んでいて、アルスは初めて来たこともあって戸惑った。換金の仕組みがわからない。

 戸惑いつつも近くにいた若い店員に声をかけた。


「宝石を換金したい」

「でしたら、そこの列に並んでください」


 右端の列には三人ほど人がいた。順番らしい。

 仕方なくアルスはその列に並んだ。ラザファムは壁際からそんなアルスを見守っている。


 ――なんとかしてヤツを撒かなければ。

 しかし、ラザファムは精霊術師だから、ナハティガルを連れている以上、すぐに察知されてしまう。なんとも厄介な相手だ。察知できないほど遠くへ離れてしまうしかないだろう。


 とはいえ、目的地がノルデンだとわかっている以上、そこで待ち伏せされる恐れはある。ノルデンでクラウスと合流した後なら見つかっても構わないかもしれないが。


 アルスが順番を待っている間、壁際のラザファムは目立っていた。特に女性がチラチラと彼を見ている。


 顔がいいのは認めるとしても、クラウスの次くらいにだ。あの顔で失礼なことを言わなければもう少し評価を上げてもいいが、きっと無理だろう。

 そんなことを考えていると、アルスの番が来た。


「はい、こちらにお座りください」


 アルスはつり目の男性店員に言われた通り、椅子に座った。ナハティガルはとりあえず大人しくしている。


「換金されるものはどれでしょうか?」


 促され、アルスは机の上に置かれた木製のトレーに銀の台座に青玉の象嵌された指輪を置いた。

 他にも持っているが、ひとつでいくらになるのかをまず知りたい。

 店員は手袋をした手でその指輪を持ち上げた。


「これは……」


 その後、言葉がなかった。ずっと押し黙って宝石を眺めている。

 そして放ったセリフが、


「――百五十Gグローですね」


 だった。


「え? 百五十?」


 金貨一枚が百Gだ。あまりに安くて拍子抜けしてしまった。

 わりと大きい石だと思っていたのに、宝石って案外安いんだな、とアルスはがっかりした。これなら他のものも換金しておいた方がいいのかもしれない。


「一見値打ちものに見えますが、青玉がこんなに青いわけがない。残念ですが、着色加工したイミテーションです」

「まったく、本当に残念だよ」


 生まれた時から宝石に囲まれて過ごしていたけれど、真贋を見極める目はない。つけろと言われたものをつけていただけである。適当に見繕って持ってきたものが偽物とは。


 落胆したアルスだったが、背後に気配を感じて振り返った。ラザファムの長い指が店員から指輪を取り返す。


「これを百五十Gだって? 桁がひとつ足りませんよ」

「な、なんですか、あなたはっ」


 アルスはポカンとしてラザファムを見上げた。ラザファムはアルスに目を向けず、店員とだけ話し始める。


「他の鑑定士の見立ては? 皆同じことを言うんですか?」


 すると、その店員はムッとした。何か揉めていると察知した中年の男性が近づいてくる。


「何かございましたか?」

「この指輪を見立ててもらえますか? 彼の見立てによると百五十Gだそうですが」


 年嵩の店員は、指輪を手に取ってルーペを使い、じっと石に見入った。そして、かぶりを振る。


「青玉の中でも最高級品〈天上の青〉とお見受けします。百五十どころか、千七百Gはくだらないかと……」


 指輪を持つ手が震えていた。

 ラザファムはうなずいて見せる。


「換金ではなく、質草にしてもらえますか? 返済期間は一年で」

「は、はい。ですが、何分大金ですので、こちらにも支度が必要です。明日改めてということでよろしいでしょうか?」

「では明日、もう一度来ます。そのうち五百Gは銀貨と銅貨に崩してください。よろしくお願いします」


 ラザファムは指輪を引き取り、それをアルスに返した。目を白黒させているアルスに軽くため息をつき、外へと促した。


「質草ってなんだ?」


 多分馬鹿にされるだろうなと思ったけれど、アルスは素直に訊ねた。


「その指輪を担保に金を借りるんですよ。一年以内に借りた金と金利を支払えば、担保にした指輪は手元に返ります」


 そんな便利なやり方があるらしい。


「やっぱりラザファムがいてよかったねぇ」


 ププッ、とナハティガルが笑ったので、アルスは無言のまま青筋を立てた。

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