8◇デッセルの町

 出立の時、アルスは感謝のしるしとして金貨を手渡そうとしたのだが、アルスが握っている硬貨を確かめることもなく、ノーラの両親は断った。


「旅をしていたら、これからいくらでもお金が要るんだから。気にしなくていいのよ」

「その時はまた、なんとかするし」

「いいの、これも何かのご縁だから。ノーラをよろしくね」

「うん、ありがとう」


 アルスは受け取ってもらえなかった金貨を出ていく時にソファーの上に落としておいた。

 困っている時に助けてもらって、気持ちの上ではこれに相当する値打ちのあるもてなしを受けたと思っている。


 ノーラはアルスと出かけることになったから、と兄のディーターが同行しようとしていたのを断ってきた。


「兄さんは義姉さんと赤ちゃんについていてあげたらいいのよ」


 もしかすると、このためにアルスと一緒に行こうとしたのだろうか。だとしたら、本当に優しい子だ。




 アルスはデッセルの町に向けて歩き出しながら、ノーラのお喋りに耳を傾ける。

 かしずく侍女たち、貴族の婦人、アルスの姉と妹――ノーラはアルスの知るどの女性たちとも違う。ごく普通の女の子というのはこういう感じなのかな、と考えた。

 気取ったところがなく、居心地の良い雰囲気を作ってくれる。


「――それでね、お屋敷には旦那様と二人のご子息がいらっしゃるそうなの。きっと素敵な方たちでしょうね」


 何やら夢いっぱいに語っている。

 年頃の若い娘なら、裕福な家の令息に憧れるものなのだろう。


 アルスはというと、デッセル領主の息子には多分会ったことがある。

 顔まで覚えてはいないけれど、向こうがアルスを覚えていないとは限らない。会わないのが得策だろう。ノーラを送り届けたら屋敷からすぐに離れた方がいい。


 ノーラはアルスの方をじっと見て、それからつぶやく。


「エルナさんって美人だから、きっといい人がいるんでしょうね」

「いい人? ああ、婚約者がいる」


 何気なく返すと、ノーラは驚くほど食いついた。


「えぇ! すごい! どんな人っ?」


 貴族ならこれくらいの年で婚約していても不思議はないが、庶民は違うようだ。とても気になるらしい。

 どんな人――それを語るのは切ない。


「私には勿体ないくらい、強くて、優しくて、立派な人だ」


 その人を迎えに行く。

 変わってしまったなんて、そんなことはない。ないと信じているから。


 自分がどんな表情をして語っていたのかは知らない。

 ただ、訊いてはいけないことを訊いたとばかりに、ノーラの好奇心が萎んでいったように見えた。


「そっか。早く会えるといいね」


 あまりにも的確すぎる返答にギクリとしてしまう。

 ノーラはただ、アルスが旅をしているとなかなか会えないという意味で言っただけだろう。アルスは苦笑した。


「そうだな。会いたいよ」

「わたしも素敵な人に巡り合いたいなぁ」

「ノーラなら、いくらでも寄ってくるよ。きっと多すぎて選ぶのに苦労する」


 ノーラは、えー、と言って笑った。本当に可愛らしい娘だ。

 もしデッセル領主が彼女をこき使ったりしたら、後で後悔させてやる。

 アルスは心の中で勝手に思った。




 途中、ノーラの母が持たせてくれた昼食を食べつつ、二人がデッセルの町に辿り着いたのは、日が暮れるよりも前だった。

 もっとかかるかと思ったが、ノーラは歩き慣れているのか歩調も速く、まったく弱音を吐かなかった。アルスの方がくたびれたくらいだ。


 領主館のアーチが見えたところで別れると、ノーラは名残惜しそうにいつまでもアルスに大きく手を振っていた。

 ノーラと別れて一番ほっとしたのはナハティガルだ。本当にぬいぐるみのように大人しかった。


「あー、疲れた」

「お前は黙ってると疲れるものな」

「そーだよ。喋れるのに喋るなってツラいんだよ」

「でもまだ喋るな。町の中だし」

「ぶー」


 不満げにくちばしでこめかみを突かれた。痛い。


「ええと、換金所に行こう。宝石とか金に換えたいし」


 喋るなと言ったからか、返答代わりにまた突かれた。

 行けば? という雑な返事が伝わる。


 デッセルの町は、町としては中規模だと言えるだろう。

 王都から最新の流行も流れてくるからか、古臭さはなく近代的な建物が多い。

 橋を渡ると、近くを流れる川から心地よい風が吹きつける。


 町には旅人にもわかりやすく看板が立てられている。アルスはそれに従って換金所を探した。


 特に迷子になることもなく、アルスは換金所を見つけることができたのだが。

 それがよくなかったとも言える。


「ここで待っていれば、お見えになると思いましたよ」


 聞き知った声がして、換金所の赤レンガの壁にもたれかかっていた人物が背中を浮かせた。


「げっ」


 アルスは思わず、姫にあるまじき声を上げた。

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