4◇旅は道連れ

 ナハティガルも慌てて窓から飛び出すと、あり得ないくらい大きく体を膨らませ、落下するアルスの下に回って受け止めた。


 クッションみたいに柔らかいし、手触りがいい。このままナハティガルに乗ってノルデンまで飛んでいけたらいいけれど、残念ながらナハティガルにそこまでの持久力はなかった。


「ほら、城の塀を越えるんだ」

「うぅ……」


 指図するアルスに恨みがましく呻いてから、ナハティガルは渋々城の裏手へと降りた。巨大な城の影が落ちて薄暗いせいか、石畳の上に立つと少しの肌寒さも感じる。

 けれど、城から抜け出せたことでアルスは満足だった。


「よくやった、ナハ」

「なんてコトするんだよ!」


 もとのサイズに戻ったナハティガルは怒ったけれど、話し合って解決するのは無理だから少々の力業は必要だった。


「お前はどんな時でも私の味方だものな」


 笑って言うと、ナハティガルはぷぅっと頬を膨らませた。多分照れ隠しだ。

 一人で決めて一人で旅立つと言いつつも、ナハティガルがいるからできることだ。ナハティガルは誰が裏切ろうと、決してアルスを見捨てないと信じている。

 それは契約によるところばかりではない。気持ちの上でそう思っている。


 アルスがその場所から歩き始めると、ナハティガルはアルスの肩に乗った。


「まったく、お転婆にもほどがあるよ! 剣ばっかり握って、淑女らしく刺繍のひとつもしないしさ!」

「剣も針も先が尖った金物という点では同じだからいいじゃないか」

「それを同じだってくくっちゃうアルスって異常だよ。自覚して?」

「うるさいな」


 肩から叩き落としてやろうかと思ったが、あまり意味がないのでやめた。


「まず、城下町から出て北へ向かう」

「わかったよ、もう! とっとと行って帰ってきたらいいんだよね」

「そういうことだ」

「馬車に乗るの?」

「いや、まず城下町を抜けるのが先決だ。ここで下手に騒がれて姉様に知られたら元も子もないからな。隣町までは歩いて向かう」


 馬車の馭者がアルスの特徴に気づかないとも限らない。町の門番だってそうだ。見咎められる前に抜け出すつもりをしていた。


 足早に進むと、城下町は豊かに賑わいでいた。

 姉が即位して一年半。年若い姉はそれでも誠実に国を治めるべく努力を重ねている。


 その必死な姿を見て、アルスがクラウスのことばかり言っていてはいけないのもわかっている。

 だとしても、何を置き去りにしてでもアルスはクラウスに会わないわけには行かない。ただでさえ多忙な姉に心配をかけるけれど、わかってほしかった。


「捕まったら諦めなよ。陛下もアルスがいないってわかったら、すぐに追手を差し向けるだろうし」


 ナハティガルはアルスの守護精霊のくせに非協力的だ。

 そんなに昼寝がしたいのか。精霊は人間ほど寝なくても平気なのに。


「もう黙ってろ。そんなにぺちゃくちゃ喋ってたら鳥じゃないのがすぐにバレるじゃないか。お前のせいで捕まったら怒るぞ」

「じゃあ鳥のマネでもしてあげるよ?」

「絶対するな」


 ――ナハティガルと初めて対面したのは、アルスの六歳の誕生日だった。

 庭にたくさん放たれた精霊たちの中から最も自分に合った精霊を選べと。


 アルスは、鳥や獣や花に擬態した精霊たちを見て回り、そして青い鳥に目を留めた。ずんぐりして目の大きい、ぬいぐるみのような鳥だ。

 どんな声で鳴くんだろう、と興味を持って声をかけた。


『そこのお前、さえずりを聞かせて?』


 それがナハティガルだった。

 この時、ナハティガルはまさか声をかけられるとは思っていなかったらしい。他にもいっぱい優れた精霊がいることだから、そのうちの誰かになるだろうと気を抜いていた。

 レムクール王国の王族の守護精霊の位がどんなに名誉なことだろうと、人間の子守なんて嫌だったと。


『へっ』


 素の声を漏らした鳥は、見るからに焦りながら鳴いた。


 ――びーちびーち。びーちっち。


 なんだそれ、と思わず突っ込んでしまったくらい鳥らしくない。

 でも、面白かった。これなら退屈しない、とアルスはナハティガルの羽を鷲掴みにし、これにすると告げたのだった。


 思えば、こんなに普通に喋るのだから、鳥のような姿をしていても鳥のように囀るわけではない。あれはひどい無茶ぶりだったとのちにぼやかれた。


 姉の守護精霊ファルケと妹の守護精霊アードラは、もっと落ち着いた受け答えをする。こんなに騒がしくて失礼なのはナハティガルだけだ。

 精霊界の掟では、指名されたら絶対に断れないらしい。あれが不運の始まりだったと、何かあるごとに嘆くのだが。


 とにかく、ナハティガルの鳴きマネは最悪だから口を開かないのがいい。




 人通りが多く賑やかな城下町だからこそ、ナハティガルを隠せばアルスが人に紛れるのはそう難しくなかった。入る者には気をつけていても、出ていく者にはそれほど注意を払わない。

 秋の気配が漂い出す晩夏の昼下がり、アルスは城を抜け出して旅に出た。


 この道の先に何が待つのか。

 アルスの望む結果があるのか、確かなことは何もない。


 それでも、どんな運命もねじ伏せてクラウスに会い、連れて帰る。そのためにできることはなんだってする。

 中途半端な覚悟で出てきたのではないのだから。


「よし! 行くぞ!」


 自分を鼓舞するように太ももを叩き、アルスは力強く歩き始めた。

 その肩で、ナハティガルは体が萎むくらいのため息をついていた。

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