第42話 米粉のシフォンケーキ
地震発生から一ヶ月が過ぎた頃、ウィルソン商会長がブルーフォレスト家を訪問してきた。
二頭立ての立派な馬車に乗ってやってきた彼を、応接室に案内して歓待する。
「ようこそお越しくださいました、ウィルソン商会長」
「お久しぶりです。御挨拶が遅れて申し訳ありません」
「お気になさらないでください。商会長もお忙しかったのでしょう」
「そう言っていただけると幸いです。……ラウル様の御容態は如何でしょうか?」
「ええ、順調です。来年の春には元通りになるでしょうとお医者様も仰っていました」
「それは良かった。……しかしラウル様のお怪我のせいで結婚式が延期になってしまわれたそうで……それだけが残念ですね」
「仕方がありませんよ。仮に今結婚式を挙げても、私もラウル様も心から喜べませんもの」
本来なら私たちの結婚式はもう行われていた筈だった。
だけどラウル様は怪我をなさって自力歩行が難しい状態。
地震のあった直後だから、領民たちもその後の生活に追われている。
こんな状態で結婚式を挙げても、誰も素直に喜べない。
そうこうしているうちに冬が近付き、風も気温も肌寒くなってきた。
……庭園を解放して行う予定だったガーデンウェディングに、肩を出したドレスで参加するのは厳しい季節だ。
領民を招いた披露宴は、私とラウル様双方からの強い希望。
私たちは話し合って、ラウル様が完治する来年の春まで結婚式を延期しようと決めた。
「二人で話し合って決めたことですもの。文句はありません。私としても、暖かい季節にお招きした皆様に心から楽しんでいただきたいですもの」
「そうですか。……やはりエルシー様は芯の強い御方ですね」
「それに……」
「それに?」
「来年の春まで時間があれば、もっと沢山の料理や加工品を作れる筈です! 披露宴にお招きしたお客様にも色んな料理を味わってもらえます! それが楽しみで仕方がないんです!」
私の言葉に商会長は目を丸くする。そして一瞬の後、弾かれたように笑い出す。
「くっ、ははは! これは一本取られましたな!」
「はい?」
「いえいえ、どうぞお気になさらず。エルシー様はそのままが一番いいのです。お元気そうで何よりですよ」
商会長の言葉に首を傾げる私。何か変なことを言ってしまったかしら?
その後しばらく、私たちは雑談に興じた。するとレノアさんがお茶とお菓子を運んできた。
「失礼します。お茶とお菓子をどうぞ。お菓子はエルシー様がお作りになられた米粉のシフォンケーキです」
「ありがとうございます」
レノアさんが一礼して応接室を退室する。私はカップに口をつけた。
お茶はミントですっきりと味付けしたミントティー。
お茶請けは米粉で作ったシフォンケーキ。ホイップクリームと季節のフルーツが添えられている。
シフォンケーキを前にすると、ウィルソン商会長はほう、と唸った。
「いやはや、噂には伺っておりましたが、これが米の粉で作ったケーキですと?」
「はい。小麦粉の代わりに米粉を使用しています」
「見た目は普通の――小麦粉で作るシフォンケーキと変わらないように思えますね」
「小麦粉とは味や食感が異なります。お米の流通・販売をお任せしているウィルソン商会長にも、ぜひご賞味いただければと思いまして」
「ありがとうございます。早速いただきます」
ミントティーを一口飲んだ商会長は、シフォンケーキを口に運んだ。そして口に入れた瞬間、商会長の眼鏡がきらりと光った。……ような気がした。
「これは……通常のシフォンケーキよりも生地にしっとり感が出ていますね。小麦粉と比べると粉の詰まり具合が濃密で、それが独特の甘さや食感に繋がっています」
「ありがとうございます。……その、お口に合いましたでしょうか?」
「小麦粉を使用した場合とどちらが好みかは人によるでしょうが……私は気に入りました。これならば米粉も十分商品として通用するでしょう」
「良かった! 私、米粉のスイーツは大好きでして……ついつい食べ過ぎてしまうんです。自分の好きなものが他の人にも認められるのは嬉しいですね」
「それは分かります。これはお世辞ではありませんよ。本当に、いくらでも食べられそうで怖いほどです」
商会長はそう言ってシフォンケーキをあっという間に平らげてしまった。その食べっぷりを見ていれば、その場限りのお世辞ではないことはよく伝わってきた。
米粉のシフォンケーキは、小麦粉の代わりに米粉を使用する。
卵、塩、砂糖、牛乳、米粉、植物油を使用して、メレンゲと生地を別々に作る。
そしてメレンゲと生地を丁寧に混ぜ合わせた後、シフォンケーキの型に入れてオーブンで焼く。
焼きあがった後は逆さまにして冷まし、型から抜く。
これでしっとりもちもちとした米粉シフォンケーキの完成だ。
お米特有の甘さが味わえるから、私の大好物の一つだ。
勿論ラウル様も気に入ってくださった。先日の米粉のパンケーキといい、どうやらラウル様は米粉がお気に召したご様子だった。
おかげで最近、ラウル様のおやつは毎日米粉スイーツになっている。
「失礼、ラウル・ブルーフォレストだ。入るぞ」
「どうぞ、お入りください」
まるでタイミングを見計らったかのように、扉がノックされてラウル様がやって来た。
私が返事をすると扉がゆっくり開く。そこにはエリオットさんに車椅子を押されたラウル様の姿がある。
両足は相変わらずギプスが巻かれているけれど、骨折直後ほど仰々しいギプスではなくなっている。
人に会う時は介助されやすいラフな部屋着ではなく、きっちりとフォーマルな貴族服に身を包んでいる。
「久しぶりだな、ウィルソン」
「ご無沙汰しております、ラウル様。足の具合は如何でしょうか?」
「見ての通りだ。順調に回復している。医者が言うには、来年の春には完治するだろうとの見立てだ」
「それは何よりでございます。私共ウィルソン商会一同、ラウル様の一日も早い回復を願っております」
「ありがとう。ところで今日はどうしたんだ? 何か用事があるのだろう?」
ラウル様がそう問いかけると、商会長はそうですね、と答えて私に視線を送る。
? ラウル様も把握していないご用件で訪問されたの? しかも視線を私に送ったということは、私にも関係があること?
一体なんだろう。私が首を傾げていると商会長は口を開いた。
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