第六章

第41話 米粉のパンケーキ

 それからの日々は多忙を極めた。


 地震の被害調査や鉱山内部の捜査、崩落した坑道の補修工事、再発防止対策など。


 山積みの問題に対処する為にラウル様や使用人たちは休む間もなく奔走した。……勿論私も。


 被災者への補償や物資の支給、領主の婚約者として私にもやるべきことが山のようにあった。


 ……分かってはいたけれど、領主の夫人ってとんでもなく多忙ね……。


 何もせずのんびり過ごすなんて夢のまた夢。前世でいうところの管理職並みに忙しいんじゃないの、これ。


 使用人たちもサポートしてくれるけど、判断を下す裁量権を持っているのは領主やその夫人の仕事だ。


 忙しい……多忙すぎる……でも、こんなことで弱音を吐いてはいられない……。


 こんな程度で音を上げているようではダメだ! そう自分を叱咤激励しながら、私は日々を過ごしていた。


 そんな慌ただしい日々が二週間ほど続いたある日のこと。



「……よしっ! これで書類は全部終わり!」


「お疲れ様でした」



 最後の書類を片付けると、私は大きく伸びをする。それを見ていた執事のエリオットさんが労いの言葉をかけてくれた。


 私は机から立ち上がると、窓から差し込む夕日を眺めた。……もう夕刻か。今日も忙しかったな。


 でもこれで被災者への補償の手続きは一通り終わった。ああ疲れた。肩と腰が限界に近い。


 だけどラウル様に比べたら、私なんて全然マシだ。



「エリオットさん、ラウル様のところへお邪魔してもいいですか?」


「はい、勿論でございます。ラウル様もお喜びになられることでしょう」


「ありがとうございます!」



 エリオットさんから許可を貰った私は、早速ラウル様の元へ向かおうと執務室を出た。


 そうだ、差し入れを持っていこうかな。私は厨房に向かうと、早速お菓子作りを始めた。


 今日のメニューは……米粉のパンケーキ!


 疲れた時には甘いものが一番だよね。


 米粉のパンケーキの作り方は簡単。まずは材料を用意する。


 米粉、牛乳、卵、ビーツ糖、塩、蜂蜜……。


 米粉はお米が収穫できた直後に作っておいた。乾燥させたお米をオーブンで焼き、粉状になるまで丁寧にすり潰しておいた。


 これで簡単・お手軽に米粉の出来上がりだ。


 そして今からはパンケーキを作る。卵黄と卵白をそれぞれボウルに入れてかき混ぜる。


 卵黄のボウルには米粉と牛乳を入れてよくかき混ぜ、卵白のボウルには調味料を入れてメレンゲを作る。


 最後にその二つをしっかり混ぜ合わせてフライパンで焼く。


 厨房に甘くていい匂いが漂ってきた。フライパンで両面を焼いたらお皿に移して……蜂蜜をかければ完成だ。


 私は焼きあがったパンケーキと淹れたての紅茶をワゴンに載せて、彼の部屋に向かう。


 ちなみに紅茶の茶葉は、先日ウィルソン商会長がお見舞いに来た時にお土産で持ってきてくれた一品だ。


 先日私が絶賛したベルガモットティーと同じ茶葉を、わざわざ持ってきてくれた。



「ラウル様、失礼します。エルシーです」


「エルシーか。入ってくれ」


「失礼します」



 私が部屋に入ると、ラウル様は大量の書類と格闘していた。……ベッドの上で。


 先日の災害でラウル様は両足を骨折してしまった。


 だから今はベッドの上で仕事をしている。ラウル様の足は白いギプスで固定されている。


 見るからに痛々しいけど、表情は生き生きしていてやる気に満ちている。



「ラウル様、あまり根を詰めないでください。ただでさえ骨折して大変なんですから」


「それは分かっているが、そうも言っていられないだろう? 災害時の事故再発防止に坑道の修繕。あの鉱山は当面閉ざされることになったから、働いていた鉱夫たちの生活支援。やらなければならないことは山積みだ」


「それはそうですけど……」


「心配するな、エルシー。多少無理はするが、自分の限界くらい弁えているさ」



 ラウル様はそう言って微笑むと、私の方を向いた。私はそんな彼に焼きたてのパンケーキを差し出す。



「とにかく一休みしてください。疲れた時には甘いものが一番です」


「ほう、これは美味そうだな」


「米粉で作ったパンケーキです。ウィルソン商会長がお土産でくださったベルガモットティーも淹れました。お好みで蜂蜜をどうぞ」


「米粉のパンケーキか。米とは面白いな。菓子の材料にもなるのか」


「はい。甘くて美味しいですよ」


「うむ、いただこう」



 ラウル様はベルガモットティーを一口飲むと、パンケーキを切り分けて口に運んだ。そして咀嚼すると瞳を輝かせる。



「……うん、美味い。通常の小麦粉を使用したパンケーキよりも、生地が濃密で食べ応えがある。しっとりした食感で、柔らかい中にも歯応えがある。ほのかな甘みも絶妙だ。俺も数々のパンケーキを食してきたが、これは初めて味わう体験だ。これまで食べてきたパンケーキとは微妙に異なるが、その違うが良い方向に向いている。少なくとも俺好みであることは間違いない。これは良いものだな」



 ラウル様は大絶賛だ。彼は美食家で食に妥協のない人だから、お世辞を言っているのではないことが分かる。


 これだけ美味しそうに食べてくれたら作り手冥利に尽きる。作った甲斐があったというもの。


 美味しい、と言ってもらえるのが一番嬉しい。私はラウル様に褒められて嬉しくなって笑顔を見せた。


 するとラウル様も小さく笑い、小さく切り分けたパンケーキをフォークに差して私に差し出した。



「ほら、エルシーも食べるといい」


「あっ、はい」



 反射的に差し出されたフォークをくわえ、パンケーキの欠片を口に入れた。


 途端に口内に幸福が広がる。……作っている途中で味見はしたけれど、やっぱり完成品の方が美味しい。


 うん、悪くない。しっとりもちもちの食感が最高だ。


 お米はそのまま食べても美味しいけど、米粉に加工してお菓子やパンの材料にしても美味しい。


 やっぱりお米って万能食材ね。前世は日本人で良かった。エラルド王国でも米作りに成功できて良かった。私は心からそう思う。



「ラウル様、ありがとうございます」


「ん? どうした、急に?」


「ラウル様が米作りを許可してくれたから、こうして美味しいお米が栽培できたんです。ラウル様のおかげです」


「……エルシーの努力と決断が実を結んだだけだ。俺は何もしていないさ」


「でも、ラウル様がいてくれたから今があるんです。私がこれから作っていく未来に、ラウル様の存在は欠かせません。だからこれからも傍にいてくださいね?」


「当たり前だ」



 ラウル様はそう言うと、再びパンケーキを口にした。

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