第36話 地震と崩落事故

※※※地震の描写があります。ご注意ください※※※



「エルシー様のようなご令嬢には滅多にお目に掛かれません。ラウル様は果報者ですね。これほど人々に寄り添い、苦楽を共にしてくださる奥様をお迎えになるのですから」


「ありがとうございます。……私もラウル様を誇りに思っています。ラウル様が治めるブルーフォレスト領は素敵なところです。私もラウル様や領民の皆さんの役に立てるよう、これからも精進していきたいです」


「そのお志があれば、エルシー様は立派な領主夫人となられるでしょう。さて、では私はそろそろ鉱山へ……む?」



 ウィルソン商会長がソファから腰を上げたその時だった。


 不意にテーブルの上に置いたティーカップがカタカタと揺れる。カップの中の紅茶も波打っている。


 ……なんだろう? そう思っていると床から振動が伝わってきた。天井からパラパラと砂が落ちてきて、窓も大きく揺れ始める。



「……地震!?」


「エルシー様、机の下に避難してください!」


「は、はいっ!」



 私たちは慌てて机の下に逃げ込んだ。するとタイミングを見計らったかのように、揺れが本格的に激しくなる。


 テーブルの上に置いてあったティーセットが床に落ちて、粉々に砕ける。


 窓のガラスにも亀裂が入る。壁に掛かっていた絵画が床に落ち、額縁のガラスが割れて粉々に砕け散る。


 鉱山の方で何かが崩れるような音が聞こえた。


 ……ラウル様たちは大丈夫なの!? 心配だけど、今は机の下からは出られない……揺れが収まるのをじっと待つしかない……!


 震度はどれぐらいだろう。鉱山で怪我人が出ていないだろうか? 頭の中で不安な考えが巡る。



「……ようやく収まりましたか。大丈夫ですか、エルシー様?」


「は、はい……なんとか……」



 ウィルソン商会長が手を貸してくれる。彼に促されて机の下から這い出た私は、大きく息を吐いた。……まだ心臓がバクバク言っている。



「お怪我はありませんか?」


「はい、大丈夫です」



 私が無事なのを確認すると、ウィルソン商会長は窓のひび割れや割れていないガラスを確認する。


 食器や花瓶は割れてしまったけど、窓ガラスは亀裂程度で済んでいる。煉瓦造りの建物が倒壊する恐れもなさそうだ。



「ふむ。幸いなことに事務所には大きな被害は出ていないようですね……この程度であればすぐに片付けられるでしょう」



 とはいえ、事務所内にいた人々が騒ぐ声はあちこちから聞こえてきている。それに何よりも心配なのは――。



「あの……!」



 私がその懸念を口にしようとした瞬間、事務所の扉が勢いよく開かれた。そして数人の鉱夫たちが慌てた様子で駆け込んでくる。



「商会長、大変です! 地震の影響で、坑道内で落盤と土砂崩れが発生しました! 領主様と十数人の鉱夫が坑道の奥に閉じ込められました!!」


「な……なんだと!?」



 その報告にウィルソン商会長は顔色を変えた。……私の思考も凍り付く。


 ……今、なんて言ったの? 落盤? 土砂崩れ?


 ラウル様が……ラウル様たちが、坑道の奥に閉じ込められた……!?



「領主様はどうなった!? 一緒にいた鉱夫たちの生命は無事なのか!?」


「は、はい……! 揺れが発生した際、俺も現場にいたのですが……!」



 鉱夫の一人が青白い顔をして報告する。



「領主様と他の鉱夫たちは事故現場よりも奥の地点にいました。地震発生時、我々はすぐ安全な場所に退避しようとしたのですが……領主様は入り口に向かって逃げるよりも、奥の開けた空間に退避する方が安全だと判断なされたようです。……その判断は正解だったと思います。あの地点から入り口に向かって避難していたら、途中で落盤と土砂崩れにモロに巻き込まれていたでしょうから……」



 つまりラウル様の判断力は正しかったということだ。ラウル様の判断は、ご自身と鉱夫たちの命を救った。


 ……けれどそのラウル様と他の鉱夫たちは今、坑道の奥で閉じ込められている。



「坑道の奥には作業する為の空間があります。開けた場所で空気も確保されています。そこに退避できたのであれば生存している可能性はかなり高いと思いますが……」


「その空間に繋がる唯一の坑道が、落盤と土砂崩れで閉ざされてしまったのか」


「……はい……」



 沈痛な面持ちで頷く鉱夫たち。ウィルソン商会長は頭を抱え、深く息を吐いた。



「……厄介なことになった。よりによってラウル様の視察中にこんな事態が発生するとは……。ともかく状況の確認と救助が必要だな。今すぐ鉱山に向かう」


「待って下さい! 私も行きます!」



 私は咄嗟に声を上げた。ウィルソン商会長は顔色を変える。


 ……私なんかが行っても何の役にも立たないかもしれない。


 けれど今の私には、そんな理屈を考えている余裕はなかった。ラウル様が無事かどうか確かめたい一心だった。


 しかしウィルソン商会長は残念そうに首を横に振る。



「いけません、危険すぎます。落盤と土砂崩れが発生した坑道は非常に危険な状態です。いつ崩落してもおかしくない。そんな場所にエルシー様を行かせる訳にはいきません」


「でも……!」


「お気持ちは分かります、しかし二次被害を防ぐ為にも、ここは冷静な対応を心がけてください!」



 ウィルソン商会長は悲痛な表情で訴えかける。その表情、その言葉に私はハッとする。


 ……そうだ。災害発生時こそ冷静に対処しなければならない。ここで私のワガママを通せば、二次被害の恐れもある救助活動を邪魔することになりかねない。


 私が冷静さを欠いてはいけない。ラウル様や一緒に閉じ込められた人々のことは心配だけど……とても心配で胸が張り裂けそうだけど……。


 今は自分に出来る最善を尽くそう。私は深呼吸をして自分を落ち着かせた。



「……分かりました、取り乱してごめんなさい」


「エルシー様のお気持ちは痛いほど分かりますから謝る必要はありませんよ」


「ありがとうございます。……あの、私にも何か出来ることはないでしょうか?」


「そうですね……。この後、怪我人が救助される可能性が高い。怪我人の受け入れと治療を手伝ってください。それから作業員への炊き出しも。今はとにかく人手が足りません」


「分かりました。私に出来ることを精一杯やらせていただきます」


「ありがとうございます。どうかご無理はなさらず」



 そう言い残すと、ウィルソン商会長は部下たちを引き連れて鉱山へ向かうため事務所を後にした。


 私は彼らを見送ると、目を閉じて祈りを捧げた。


 ……どうかラウル様たちが無事に救助されますように……!!

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