第35話 ウィルソン商会事務所

 馬車で揺られること数十分――目的地の鉱山に到着した私たちは馬車から降りる。


 鉱山の周辺には大勢の作業員たちがいた。今日は休日だけど、落石があった関係で人が集まっている。


 その中の一人、背の高い赤髪の男性が歩み寄ってきた。



「領主様、ウィルソン商会長、ようこそお越しくださいました」


「ああ、ご苦労」


「エルシー様、こちらはこの地区の班長を務めるイアン・アームストロングです。イアン、こちらは未来のブルーフォレスト辺境伯夫人であらせられるエルシー様だ」


「奥様がわざわざ足を運んでくださるとは……むさくるしいところで恐縮です」


「お初にお目にかかります。エルシーと申します」



 私は微笑みながら会釈する。イアンさんは三十歳ぐらいの男性で、すらりとした細身の体躯に鉱山夫らしい筋肉がついている。



「エルシー様のお噂はかねがねお聞きしております。芋や大豆の画期的な活用方法を編み出し、領主様の健康を気遣い、コメという新たな主食の研究にも意欲的であらせられる才女だとか。領主様の奥様に相応しい方と存じます」


「私はただ自分に出来ることをしたいと思っているだけです。そこまで褒めていただくと恥ずかしいですね」



 お世辞だと分かっていても照れてしまう。謙遜する私をイアンさんは眩しそうに見ていた。


 しかしラウル様が小さく咳払いをすると、彼はすぐに背筋を伸ばした。



「はっはっはっ! イアン、いくらエルシー様がお綺麗だからといって、領主様の目の前で見惚れるとはお前も度胸があるな」



 ウィルソン商会長が明るく笑いながらイアンさんの肩を叩く。



「そ、そのようなつもりは……! 申し訳ございません、領主様!」


「いや、エルシーは美しいから仕方がない。俺も初めて見た時、天使が舞い降りたのかと思ったぐらいだ」


「もう、ラウル様までからかわないでください」



 ウィルソン商会長は微笑ましそうに私たちのやり取りを見ている。それが余計に恥ずかしい。



「はっはっはっ! いやはや、お熱いですね!」


「で、では早速事故現場をご案内いたします。ですが……」



 イアンさんは私を見て少し言い淀んだ。



「エルシー様のお召し物ですと坑道内を歩くのは危険です。外でお待ちいただくことになりますが……」


「それもそうだな。エルシーはウィルソン商会の事務所で待っていてくれ。ウィルソン、エルシーの案内を頼む。お前は後で合流してくれればいい」


「かしこまりました、ラウル様」



 今日は宝石店にティアラを取りに向かう予定だったから、私の服装はドレスにアクセサリー、リボンという出で立ちだ。


 勢いでついて来てしまったけど、こんな格好で鉱山に入る訳にはいかない。


 周りの鉱夫たちの迷惑になるだろうし、汚れたドレスをレノアさんたちに手入れさせるのも申し訳ない。


 私は大人しく鉱山の外にあるウィルソン商会の事務所で待たせてもらうことにした。



「ラウル様、イアンさん、お気をつけてくださいね」


「ああ、ありがとう。だが心配は無用だ。すぐに戻る」


「それでは、行って参ります」



 そう言ってラウル様とイアンさんは鉱山の中へと姿を消した。私は二人を見送ると、ウィルソン商会長に案内されて商会の事務所へと向かう。


 ここには前にも来たことがある。事務所の中ではイアンさんの部下数名が働いている。彼らは私の姿に気づくと、作業の手を止めて挨拶してくれた。



「エルシー様、お久しぶりでございます」


「お仕事中失礼いたします。お邪魔にならないように、あちらで待たせていただきますね」



 私は部屋の奥にある応接室に案内されると、ソファに腰を下ろす。するとウィルソン商会長が直々にお茶を淹れて運んできてくれた。


 普通、こういう場所では部下がお茶を淹れるものだと思う。だけどウィルソン商会長の場合、紅茶に一家言ある人らしく、淹れ方にもこだわりがあるそうだ。



「最高の茶葉には最高の給仕が必要です。大切なお客様には私自らが紅茶を淹れるようにしているのですよ」



 商会長はそう言って悪戯っぽく笑うと片目を瞑った。高身長に高級なスーツ、商会長という肩書。


 一見とっつきにくそうにも思えるけど、ウィルソン商会長は意外とお茶目で親しみやすい人柄の持ち主だ。



「どうぞ、エルシー様」


「ありがとうございます」



 お礼を言ってお茶を一口飲む。……とても美味しい。柑橘の香りと甘い風味が口の中に広がる。温かい紅茶が身体の隅々まで沁み渡るようだ。



「本日はベルガモットで香りを付けたフレーバーティーを用意させました。爽やかな香りとほのかな甘みが特徴です。いかがでしょうか?」


「とても美味しいです。わざわざありがとうございます、ウィルソン商会長」


「それは良かったです」



 ウィルソン商会長は嬉しそうに笑うと、私の向かいの椅子に腰掛けた。


 ベルガモットのフレーバーティー……前世の世界では“アールグレイ”と呼ばれる茶葉だ。この世界では普通にベルガモットティーと呼ばれている。



「紅茶ブレンド大国から取り寄せた高級品です。エルシー様のおかげで今年度のウィルソン商会の売上は前年の約三倍に達しました」


「私のおかげ?」


「例の芋料理ですよ。レシピの実演付きで売り出したところ、国内外で芋の需要が高まりまして。今まで見向きもされなかったのが嘘のように売れ行きが好調です。エルシー様のお陰です」


「ああ……」



 そういえばブルーフォレスト領に来た直後、信用の地盤固めとして芋料理を作って広めたっけ。



「私はレシピを公開しただけです。それを広めたのはウィルソン商会長たちの手腕によるものです。私はただ、美味しい料理を皆さんに知ってもらいたかっただけですから」


「ご謙遜なさることはございません。エルシー様のレシピがなければ、芋は未だに不人気の食材だったでしょう。我々がどれほど尽力したところで、芋自体の魅力が伝わらなければ市場では売れません」


「そうでしょうか」


「今や芋はウィルソン商会の目玉商品の一つです。今後も芋の需要は高まる一方でしょう。そのきっかけを作ってくださったエルシー様には本当に感謝しています」



 ここまで感謝されると面映ゆい。ある程度の流通は見越していたけど……まさか売上前年比が三倍も至るなんて。


 ちなみに私が広めたレシピはフライドポテト、ハッシュドポテト、ジャーマンポテト、ベイクドポテト、マッシュポテト、コロッケ、ポテトオムレツ、ポテトパンケーキ、片栗粉、ポテトチップス、ヴィシソワーズ……等々。


 うん、これは需要も跳ね上がるわ。どれも前世の世界では大人気のメニューだったもの。



「従業員たちもエルシー様に感謝していますよ。おかげで今年は従業員たちの賞与も上がりましたからね」


「そう言っていただけて嬉しいです。皆さんに喜んでもらえることが、何よりのやりがいですから」



 私が小さく笑うとウィルソン商会長も微笑んだ。

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