第五章

第33話 ドレスの仮縫い

 季節はいよいよ秋終盤。お米の収穫を終えた私たちは本格的に結婚式の準備に入る。


 挙式の予定は一ヶ月後。領都にある教会で挙式を行い、披露宴はお屋敷の中庭を解放して行う。領民の人々も招いて、皆が楽しめるようなイベントも行うつもりだ。



「エルシー様、仮縫いのドレスをご試着なさってくださいますか?」

「はい、分かりました」



 レノアさんに連れられてドレスルームに移動する。


 仮縫いとは本格的な縫製に入る前に、サイズや装飾がおかしくないかを実際に着て合わせる作業のこと。しつけ糸でつなぎ合わせた状態だから派手な動きは出来ない。


 しつけ糸がほつれないように、メイドの皆さんに手伝ってもらって仮縫いのドレスを着せてもらう。



「わぁ……素敵ですね」



 試着したウェディングドレスを見て、思わず感嘆の声が漏れる。ドレスは仮縫いの状態でも目を見張るほど美しかった。


 純白に輝く絹の生地に、裾や胸元には金糸と銀糸で刺繍が施されている。レースもふんだんに使われていて、ドレス全体がまるで宝石のように輝いている。


 スカート部分はふんわりと膨らみを持たせてあり、上半身はスッキリとした印象のデザインだ。清楚でありながらも華やかな雰囲気で、とても素敵だ。



「まだ仮縫いですが、よくお似合いですよ」



 レノアさんが満足げに微笑む。私も思わず満面の笑顔になってしまう。



「ありがとうございます。こんなに素敵なドレスを私の為に仕立てていただけるなんて感無量です」


「このウェディングドレスはエルシー様の為に作られたものです。ラウル様もきっと気に入ってくださいますよ」



 レノアさんは感慨深そうに言う。結婚式用の衣装は、全部ラウル様が領都で一番人気のデザイナーにオーダーメイドで注文してくれた。


 ドレスだけではなく、ティアラやベール、アクセサリーも全部オーダーメイドの高級品だ。


 そこまでしてもらうなんて申し訳ない気もするけれど……ラウル様は辺境伯だ。高い地位に立つ人には、相応の貫禄と威厳が求められる。


 そのラウル様の妻になる以上、もっと地味でいいなんてワガママは言えない。



「それにしても……あの小さかったラウルお坊ちゃまがこれほど素敵な奥様を娶ることになるとは、感慨深いものがありますね」



 レノアさんは遠い目をして言った。その表情は使用人というよりも母親を想起させるものだ。



「レノアさんはラウル様の幼い頃をご存知なんですよね」


「はい。わたくしは二十代の頃からブルーフォレスト家に仕えています。ラウル様が生まれたばかりの頃も存じております。赤ん坊のラウル様がハイハイを覚えたり、初めて立った日のこと……今でもよく覚えておりますとも」



 レノアさんは確か四十五歳で、ラウル様は二十二歳。その頃から仕えているとなると、確かに親心が湧いてしまうのかも。



「わたくしは夫を早くに亡くし、子供にも恵まれませんでした。恐れ多いことですが、そんなわたくしにとってラウル様は我が子も同然の存在です」


「レノアさん……」


「ラウル様だけではございません。エリオットさんにリリ……この屋敷で暮らす人々は、わたくしにとって家族同然の存在です」



 レノアさんは瞳を潤ませながら言う。……そうか。レノアさんにとってブルーフォレスト家の人々は、単なる主人や同僚や部下ではなく、本当に家族に近い存在なんだ。



「そして、恐れ多いですがエルシー様も……」


「えっ?」


「ラウル様の奥様になられるエルシー様も、わたくしにとっては大切な家族です。貴女様はわたくしたち使用人にもご配慮してくださる優しいお方です。エルシー様のような女性がラウル様と結婚してくださること……心より、感謝を申し上げます」



 そう言うとレノアさんは、温かい手で私の手をぎゅっと握る。


 私はレノアさんの優しい言葉に涙ぐみそうになる。……ラウル様と結婚することができて、私は本当に幸せ者だ。



「私も……レノアさんのような素敵な人がこの家で働いてくださること、感謝してもしきれません。これからも私たちを見守っていてくださいね」



 レノアさんの手を握り返しながら言うと、彼女は一瞬目を潤ませた後に目尻の涙を拭った。



「……承知いたしました。わたくし、この命が尽きるまでお二人を見守り続けます」



 私たちは見つめ合って笑い合う。レノアさんの温かい気持ちが嬉しくて、幸せな気持ちが溢れてくる。


 するとその時、部屋のドアがノックされた。返事をしてからドアを開く。入ってきたのはラウル様だった。ラウル様はドレスに身を包んだ私を見て、眩しそうに目を細める。



「おお……なんと美しい……」


「ラウル様」



 私もラウル様に微笑み返す。そんな私たちを見てレノアさんがそっと部屋を出て行く。扉が閉ざされたのを確認してから改めてラウル様に向き直った。



「とても素敵なウェディングドレスを仕立てていただき、ありがとうございます。その……どうでしょうか? ドレスは素敵なのですが、私が変ではないでしょうか……?」


「何を言うんだ、とてもよく似合っている。君は本当に美しくて、このまま俺以外の誰にも見せたくないくらいだ」



 私の手を握るラウル様の手は熱い。相変わらずのストレートな物言いに思わず赤面してしまう。半年間も側にいたのに、やっぱりまだ慣れない。



「エルシー、俺は君と結婚できて幸せだ」


「……私もです、ラウル様」



 私たちはお互いの手を握り合い、じっと見つめ合う。次第に顔が接近してくる。


 こ、これは、まさか……どうする? 逃げる? ううん、でも私たちは結婚するのだし、こういうことにも慣れていかないと……!


 意を決して、目を閉じて背伸びをする。しかしその時――。


 ビリッ! ……嫌な音が聞こえた。


 ドレスはまだ仮縫い。使われている糸は脆いしつけ糸で、縫製が弱い。背伸びをしたせいで背中の糸がほつれてしまったようだ。



「あっ……!」



 ラウル様も音に気付くと、私の背中を見てすぐに上着を脱いで被せてくれた。ラウル様の匂いに包まれて心臓が跳ね上がる。



「あの……ありがとうございます」


「いや、当然のことをしたまでだ。ドレスもまだ仮縫いだからすぐに直せるだろう。しかし……」


「しかし?」


「正式な結婚を前に羽目を外しすぎるなと、天から警告されたのかもしれないな」



 ラウル様は苦笑して言った。何のことを言われているか理解して、私も赤面しながら苦笑いを浮かべる。



「そうですね。ラウル様と本当の意味で結婚できるまで……節度のある交際を心がけますね」


「ああ、そうしよう。仮縫いは直せばいいんだ。今は式の日を楽しみにしておこう」


「……はい!」



 そう言うとラウル様はそっと手を離してくれた。離した手を寂しそうに見つめているので、私も少し寂しくなる。


 ラウル様が部屋を出て行くと、入れ替わりにレノアさんが部屋に入ってきた。



「どうされました?」


「……なんでもありません」



 私は赤くなった顔を見られないように顔を背けながら言う。私の表情を見たレノアさんは何かを察したらしい。クスクス笑いながら言った。



「さ、エルシー様。お召し物を脱がせていただきますね」


「……はい」



 私はレノアさんの言葉に素直に頷いてドレスを脱いで普段着に着替える。


 そしてラウル様に上着を返しに行く。ラウル様は自室で午後の執務をしている最中だった。



「ラウル様、上着をお返しいたします」


「ああ、わざわざ持ってきてくれたのか。ありがとう。……そうだ。エルシー、次の休日には一緒に領都へ行かないか?」


「領都へ?」


「ドレスに合わせるダイヤモンドのティアラを注文しておいた。次の休日には仕上がるそうだから、受け取りに行かないか?」


「はい……ありがとうございます! ぜひご一緒させてください」


「良かった。では次の休日、領都に向かうとしよう」



 オーダーメイドのティアラにドレス。これまで米作りにしか興味がなかった私にとって、遠い世界に来たみたいだ。


 今でも私の関心事の第一はお米と和食。収穫したお米で米麹を作り、醤油や味噌や酢を加工するのを目標にしている。


 でも、私がエラルド王国で米作りや和食研究を思う存分できるのはラウル様のおかげだ。


 ラウル様やブルーフォレスト領の皆さんが理解を示して協力してくれるから、私の夢は一つずつ叶えられている。


 そのことへの感謝を忘れてはいけない。


 ブルーフォレスト辺境伯であるラウル様の結婚。それはブルーフォレスト領を富ませ、ますます発展させていく新たな一歩。


 ラウル様は私との結婚を望んでくれているし、レノアさんや使用人の皆さんも楽しみにしてくれている。


 だから私は一旦お米の加工を休んで、結婚式に向けた準備に全力を注ぐと決めた。

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