第32話 おにぎりを作ろう

 一晩明けた翌日、私たちは最後の工程である精米に入る。精米は玄米から糠(ぬか)を取り除く作業だ。米搗臼(こめつきうす)に玄米を入れて杵でつく。籾摺りとはまた異なる重労働だ。


 取り除いた糠は使用方法があるから保管しておく。料理にも使えるし、掃除にも活用できるし、石鹸の材料にもなる。



「え、エルシー様……う、腕が、腕が……っ!」


「頑張りましょう、あと一息よ!」



 今日も手伝ってくれているリリたちが音を上げる。でも私たちは頑張った。負けなかった。挫けなかった。ここまで来たのだからあと一息。ここで立ち止まるという選択肢はない。


 そして、ついに――。



「よし……これでお米の完成よ!」



 精米が完了した。純白に輝くお米を前に私は喜びを露わにする。来年の田植えに使う種籾は別に取ってあるから、目の前のお米はすべて私たちの食用にできる。


 ざっと見たところ、大よそ500キロぐらいはある。


 ご飯一杯150グラムを毎日三食食べたとして、一年でおおよそ三人分の量になる。


 エラルド王国ではさすがに毎日お米を食べることはないから、初年の収穫量としてはまずまずの量ではないかしら。



「皆様、お付き合いいただき誠にありがとうございました。明日は私が皆様に美味しいお米料理をお出しします。本当にご苦労様でした」



 私は深々と頭を下げる。最初はどうなることかと思ったけれど、何とか無事に終わった。


 みんなの協力あってこその成功だ。本当に感謝しかない。私の言葉に手伝ってくれた皆も微笑みを返してくれる。


 手伝ってくれた皆に報いる為にも、皆に喜んでもらえる美味しいおにぎりを作らなくては。


 私はその場を離れると、収穫したばかりのお米と共に厨房へと向かう。夕食にはまだ早い時間帯だけど、今夜は私がみんなのご飯を作らせてもらおう。


 厨房の使用許可は貰っている。私は腕まくりをすると、まずは竈に薪をくべて火を起こした。


 当然だけどこの世界には炊飯器がない。だから昔ながらの方法でお米を炊くしかない。昔ながらの方法――そう、それは鍋炊きだ。


 鍋でのお米の炊き方は前世で教わった。同居している祖母がたまに鍋でお米を炊いてくれたからだ。鍋炊きのお米は炊飯器とは異なる甘さとふっくら感があって、冷めても美味しさが損なわれにくい。正におにぎりにうってつけと言えるだろう。


 研いだお米を三十分ほど水に浸けて、鍋に移して適量の水を投入して火にかける。火加減を調整し、お米の具合を慎重に観察しながら炊き上げる。


 炊き上がったら鍋に蓋をして十分間ほど蒸らす。鍋炊きご飯は、こうやって蒸らすことで芯までふっくら炊き上がる。


 蒸らし終えたら、しゃもじを入れてお米をかき混ぜる。……うん、ちょうどいい炊け具合だ。早速味見をしてみよう。



「……うん、ふっくらもちもち。炊き上がりは完璧ね!」



 次にご飯をお皿によそって粗熱を取る。ご飯に塩をまぶして、あらかじめ用意しておいた塩味サーモンのほぐし身とイクラの塩漬け、それから胡麻を用意する。



「白米に具を入れておにぎりにして……」



 サーモン入りのおにぎりと、イクラ入りのおにぎり。三角形に握ったおにぎりの側面に、海苔の代わりに炒り胡麻を飾って見栄えを整える。


 辺りに炊き立てのご飯のいい香りが漂う。人数分のおにぎりを握り終えたところで、お腹を空かせた顔のリリがひょっこり厨房に現れた。



「あのー、エルシー様……何か手伝いましょうか?」


「いいえ、もう完成したから大丈夫よ」


「あっ、そうでしたか!」


「ふふふ、お腹が空いて仕方がないって顔ね」


「はぅぅ……ご、ごめんなさい」


「いいのよ。みんなを食堂に集めてもらえるかしら?」


「はいっ!」



 リリが元気よく厨房を出て行くのを見送ってから、私はおにぎりを乗せたお皿をワゴンに乗せて食堂へと移動する。


 食堂にはラウル様やエリオットさん、レノアさん、米作りを手伝ってくれた皆、そしてリリが待っていた。私は皆が座るテーブルにおにぎりを配膳する。



「エルシー……これが米料理なのか?」



 初めて見る料理だからか、ラウル様を始め皆は不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。お米に関する知識がなければ、白い粒を固めて握った奇妙な料理にしか見えない。


 だけど私はお米とおにぎりの美味しさを知っている。自信がある。だから胸を張って答えた。



「はい! これはおにぎりという料理です。お米の中に具を入れて三角形に握ったシンプルな料理です。パンに具を挟んだサンドイッチのお米版だと思ってください。カトラリーは使用せず、手掴みで食べるのが正しい食べ方です」


「なるほど、サンドイッチか。あれはシンプルだが奥が深い料理だ。パンの種類、食材、調味料の黄金比で味わいが変わる」



 私の言葉に、心なしかラウル様の目が光る。



「サンドイッチは初心者から料理の熟練者まで作れる料理だが、だからこそ作り手の技量が窺える。使う食材から相手の好みや人柄も垣間見える。サンドイッチとはそういう料理だ。美食家の間では『相手をよく知りたければサンドイッチを作ってもらえ』という格言もあるほどだ。そのサンドイッチを引き合いに出すとは……よほど自信があるのだな、エルシー」


「は、はい、勿論です」



 流石美食家のラウル様……料理について語らせたら一家言あるどころじゃないわね。


 でも私にも誇りがある。エラルド王国で和食を作ると決意したあの日から、私の料理の腕は確実に上達している。


 エラルド王国にお米の美味しさを伝えなければならない。それにはおにぎりが一番だ。私は自信を持って頷く。



「そうか、ならば頂こう」



 ラウル様はおにぎりを手に取って、早速一口頬張る。……その瞬間、ラウル様の表情がぱっと輝いた。



「これは……美味だ! 芳醇な香り、表面はもっちりと、中はふっくらした食感……そして何より、口に入れた瞬間に米の粒が口内に広がっていく。ほのかな甘みのある米に塩を加えることで、甘味と塩味のバランスが取れている……胡麻の風味も絶妙だ!」


「お口に合って何よりです」



 ひとまず気に入っていただけたようで安心する。だけどラウル様はまだおにぎりの真髄に到達していない。果たしてラウル様は気に入ってくれるかどうか……固唾を飲んで見守る。すると――。



「こ、これは……っ!?」



 ラウル様はおにぎりの真髄に到達した。おにぎりの真髄……それは具材。ラウル様が手に取ったおにぎりはイクラ入りのおにぎりだ。果たして気に入ってくれるだろうか。



「これは……フォレストサーモンの卵か?」


「はい、それが私の大好物でもあるイクラです!」


「なんという旨味……濃厚で上品な味わいと弾けるような食感が堪らない。イクラの塩気と旨味、そしておにぎりという料理の絶妙な塩加減が相まって、口の中に広がる幸福感……まさかこれほどとは……!」



 よし、ラウル様もイクラを気に入ってくださったわ。イクラの塩気とおにぎりの組み合わせも評価していただけた。


 流石美食家のラウル様。一口食べれば先入観を捨てて、正しい評価を下してくれると信じていた。



「米も素晴らしいが、このイクラも素晴らしい。どちらも評価されるべき食材だ。今までフォレストサーモンの魚卵を廃棄していたのは大いなる損失だ。今後はイクラもブルーフォレスト領の名産品として売り出していこう」


「ぜひ、そうしてください!」



 ラウル様も気に入ってくださったようだし、これで私も一安心だ。



「さあ、エリオットさんやレノアさんたちも賞味してください! そして感想を聞かせてください」



 私がそういうとエリオットさんたちもおにぎりを手に取る。そして一口食べて顔を綻ばせた。



「これは……絶妙な味わいですな!」


「本当に……オコメとフォレストサーモンの塩焼きが絶妙な味わいで……素晴らしいです」


「あの不気味な見た目の魚卵がこんなに美味しいなんて感激です! 大変だったお米作りの苦労が一気に報われるようです!」



 エリオットさんたちも気に入ってくれたみたいだ。


 みんなが美味しそうに食べるのを見て、私はとても嬉しくなった。どうやらブルーフォレスト家の皆さんにお米は受け入れてもらえたらしい。


 でも、これで終わりじゃない。


 ブルーフォレスト家だけではなく、ブルーフォレスト領――そしてエラルド王国の人々にもお米を受け入れてもらいたい。


 国中で米作りを行えば、いつでもどこでも安定してお米が食べられるようになる。


 お米からは麹や酢などの加工品も作れる。そうすれば醤油や味噌といった調味料も作れるし、酢があればお寿司も作れる。


 和食にこだわらずとも、酢はマヨネーズの原料にもなる。そうすれば料理の幅がもっと広がる。


 ブルーフォレスト産のブランド米を作って売り出せば、ブルーフォレスト家と領民の皆は今以上に生活が楽になるだろう。


 私の夢はまだ終わらない。むしろ、ここから始まったばかりだった。

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