第31話 奥様の才能
稲の乾燥はつつがなく終わり、いよいよ脱穀の時がやって来る。
脱穀とはお米の粒を穂から取り外す作業だ。この世界に脱穀機はないから、すべて手動で行う。
私とラウル様だけではなく、エリオットさんやレノアさんやリリ、その他の使用人の皆にも協力してもらい手作業で脱穀する。
方法は簡単。まず木材で割り箸を作る。割り箸は割らずに、間に刈り取った稲を挟む。そのまま引っ張ると穂と種が分離するという寸法だ。この単純作業を繰り返すだけ。
私たちはお屋敷の裏にシートを敷き、その上で脱穀作業を開始する。
黙々と脱穀を繰り返す。淡々と脱穀を繰り返す。延々と脱穀を繰り返す――。
粛々と脱穀を繰り返す。細々と脱穀を繰り返す。営々と脱穀を繰り返す――。
「う、うぅぅ……エルシー様、腕が痛くなってきたました……!」
「ええ、でも頑張りましょうね」
作業には時間がかかる。手動の脱穀作業はかなり単調な、それでいて腕を酷使する労働だ。
最初は楽しそうに脱穀していたリリも、ひたすら作業を続けるうちに音を上げ始めた。皆の顔を見てみれば、レノアさんやエリオットさんもしんどそうにしている。
勿論私の腕も痛い。手作業の脱穀がこれほどきついとは。予想も覚悟もしていたけど、想像するのと実際に行うのとではやっぱり違う。
それでも諦めない。私の意思で皆に付き合ってもらっている以上、弱音を吐く訳にはいかない。私は笑顔を浮かべて明るい声を出した。
「みんな、頑張りましょう。今は辛いかもしれないけど、頑張った後で食べるお米はきっと美味しく感じられるわ」
「は、はい!」
「エルシー様の仰る通りですね。頑張りましょう」
私が鼓舞するとリリとレノアさんは奮起した。ラウル様やエリオットさん、他の使用人の皆も真剣に脱穀作業を続けてくれている。
本当にありがたい。この人たちの頑張りに報いる為にも、絶対に美味しいお米を収穫して食べてもらわなくては。改めてそう思った。
そして二時間ほどかけて、ようやく脱穀作業が終わる。
「皆様、お疲れ様です。お疲れのところ恐縮ですが、次の作業に入りましょう。次は籾摺(もみす)り、籾殻(もみがら)を除いて玄米にする作業です。春のうちに職人さんに頼んで杵と臼を作ってもらったから、これを使って籾摺りを行います」
職人さんが作ってくれた杵と臼は倉庫に保管してある。ラウル様やエリオットさんに協力してもらい、裏庭まで運んでくる。
臼には取っ手がついている。この取っ手を動かすと臼が回転する仕組みになっている。臼の中に籾を入れて回転させると、摩擦の力で籾殻が取り除かれる。
私たちは交代で臼を回転させ、籾から籾殻を除去して玄米にする。
「う……腕が痛いです、エルシー様……!」
「頑張りましょう、これも美味しいお米を食べる為よ」
レノアさんもリリも、当然ながら私も腕がパンパンになっている。
だけど重労働の後に食べるお米は格別だから、弱音を吐かずに頑張る。
やがて籾摺りが終わり、玄米になる。私は額の汗を拭きながら口を開いた。
「皆様、本当にご苦労様でした。籾摺りが終わったら、次はいよいよ精米です。……ですが今日はここまでにしておいた方が良さそうですね」
皆の様子を見てみると、もう満身創痍といった調子だ。私も腕が限界に近い。さすがに今日はここまでにしておいた方がいいだろう。
「皆様、本日は本当にありがとうございました。今日はゆっくり休んでください。明日も頑張りましょうね」
私は皆に声を掛ける。皆は疲れ切った顔をしながらも笑顔を見せてくれた。
「それから今日の夕食ですが、こうなることは予想できていたので、あらかじめサンドイッチやスープを用意しておきました。今夜はそれで済ませましょう」
リリたち調理担当の使用人から歓声が上がる。私は今朝のうちに料理を大量に作って冷暗所に保管しておいた。
「ありがとうございます、エルシー様……!」
「感謝するのはこちらの方です。皆様に手伝ってもらわなければ脱穀も籾摺りも行えなかったでしょう。本日の仕事はもうお休みにして、ゆっくり疲れを癒してください」
今日の作業は使用人を全員動員させた訳じゃない。いつも通りの仕事を任せている使用人もいる。
お風呂の準備や食事の温めは彼らに行ってもらい、お米作りに協力してくれた人々にはゆっくり休んでもらうことにする。
ハムやサーモンのサンドイッチはそのまま出すだけでいい。野菜とウインナーたっぷりのポトフは温め直すだけだから、普段調理を担当していない使用人でも簡単に用意できる。
裏庭から引き上げる途中、エリオットさんが側にやって来て感心したように口を開いた。
「エルシー様、お見事な采配ですな。既にブルーフォレスト家の奥様として相応しい貫禄をお持ちです」
「そんな……私は皆様の助けがなければ何も出来ません」
「ご謙遜を。使用人の特徴を把握し、適切に仕事を割り振り、指示を出すのは奥様の重要なお仕事です。奥様とはいわば家内における司令塔。エルシー様には奥様の資質が備わっていると私めは思います」
エリオットさんは私を褒めてくれた。お世辞も含まれているだろうけど、それでも嬉しい。
「ありがとうございます、エリオットさん」
「いえ。それでは私めはこれで失礼いたします」
エリオットさんは一礼すると、屋敷の中に戻って行く。私もラウル様と一緒に屋敷に入った。ラウル様はまったく疲れていない様子だけど、私の歩調に合わせてくれていた。
「エルシー、疲れていないか? もし辛いようなら遠慮なく言ってくれ。俺が君を部屋まで運ぶ」
「運ぶって……こう、荷物のように肩に担いで?」
「大切な婚約者を荷物のように扱ったりはしない。両手で抱えて運ぶに決まっているだろう」
それっていわゆるお姫様抱っこなのでは……。そんなことを考えていると、ラウル様は私を軽々と抱き上げた。
「ほら、こうやって」
「わ、分かりましたから降ろしてくださいっ!」
慌てて言うが、ラウル様は聞いてくれなかった。そのまま彼は屋敷内を闊歩して私の部屋まで運ぼうとする。
抵抗を試みたものの意味はなく、結局ラウル様に自分の部屋まで運ばれてしまう。
恥ずかしい……使用人の皆様の微笑ましいものを見るような視線がいたたまれない……!
というか、ラウル様は体力お化けすぎる。
あれだけの作業をした後に、私をお姫様抱っこしたまま部屋まで歩くなんて。どれだけ体力があるんですか。
(そういえば聞いたことがある。太っている人は重い脂肪を纏って生活しているから、日常生活でトレーニングしているようなものだって。だから筋肉が鍛えられているんだって……)
真偽が怪しい部分もあるけど、少なくともラウル様の場合は怠惰で太っていた訳ではなく、元々かなりアクティブな人だった。
健康的に痩せた今、脂肪だけが削ぎ落とされて鍛えられた筋肉と体力はそのまま残った。そういうことなのだろう。
部屋に辿り着いた私は、ベッドの上に降ろされる。恥ずかしい思いはしたけれど、ここまで運んでくれたのだからお礼を言わないと。
「あ、ありがとうございました……」
「礼を言われることじゃない。婚約者に尽くすのは当たり前のことだ」
そう言って微笑むラウル様は、まるで芸術品のように美しかった。
サラサラの金髪に透き通った青い瞳。肌理の細かい白い肌に、上品で整った目鼻立ち。
絵に描いたような美貌の貴公子だ。……個人的にはは太っているラウル様の方が好みだったけど、私の為に信念を曲げて痩せてくれたんだもの。
個人的な嗜好なんて、もはやどうでもいい。今のラウル様の姿を尊く感じる。
「夕食まで少し休んでいるといい」
「ラウル様は?」
「俺も休むよ。だが、その前に……」
ラウル様は私を抱き寄せた。突然の抱擁、ふわりと香るラウル様の匂いに心臓が高鳴る。
「な、ななな、なっ!?」
「……よし、疲れが取れた」
そう言って体を離すと、何事もなかったかのように爽やかな笑顔を見せた。
「俺は部屋に戻る。エルシーもしっかり休むんだぞ」
そして私に背を向けて部屋から出て行ってしまった。……颯爽と、何事もなかったかのように。一方、残された私の内心は穏やかではいられない。
「……なんなんですか、もう……」
顔が熱い。多分、鏡を見たら真っ赤な顔をしていると思う。心臓の鼓動もバクバクと速すぎて、自分でもうるさく感じるぐらいだ。
「心臓に悪いですよ……」
それから夕食までの間、私は一人ベッドの上で懊悩することになるのだった。
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