第30話 イクラを作ろう
翌日、私は厨房で釣ってきたフォレストサーモンを捌く。時刻は昼食後の昼下がり。ちょうど家事の隙間時間に当たる時間帯なのでレノアさんとリリも一緒だ。
「さあ、フォレストサーモンを捌くわよ。まずはサーモンの表面を綺麗に洗い流して鱗を取りましょう」
「任せてくださいませ」
レノアさんはメイド長だからこれまでにも魚を捌いた経験がある。当然、包丁の扱いも手慣れたものだ。一方リリは魚を捌いた経験がまだ乏しいらしく、少し緊張している様子。
「リリ、お魚の鱗を取る時は包丁の背でこそげ落とすように削るのよ」
「こ、こうでしょうか……?」
「そうそう、上手上手」
リリの隣でレクチャーしながら、一緒にフォレストサーモンの鱗を取っていく。
「綺麗に取れたわね。それじゃあ次は背ビレや腹ビレをカットして……」
自ら包丁を持ってサーモンを捌く私を見て、レノアさんが感心したように口を開いた。
「エルシー様は魚まで捌けるのですね。とても多才な御方です」
「褒めていただいて光栄です。では、次は魚卵を採取しますね。内臓を傷つけないようにお腹に包丁を入れて……」
フォレストサーモンのお腹を開く。お腹の中にはイクラの元である筋子がたっぷり詰まっている。
筋子とは卵巣膜に入っている状態の魚卵のこと。これを加工して粒をバラバラに分離させることでイクラになる。
「はあぁ、筋子がこんなに沢山……美味しそう……!」
ざっと見たところ500グラムはある。鮮度抜群のイクラは正に赤いルビー。私はイクラの濃厚な味を思い出してうっとりしてしまう。しかし。
「こ、これが美味しそう……なのですか!?」
「……通常、魚の卵は内臓と一緒に捨ててしまうのですが……」
リリは思いっきり引いているし、レノアさんも言葉を濁している。二人の態度からは当惑している様子が伝わってきた。
慣れない食文化だから仕方がない。そう思う一方で、私はレノアさんの言葉に血相を変えてしまう。
「なんて勿体ない! イクラは『海のルビー』と呼ばれるほど美味しい食材なんですよ。今後は絶対に捨てないでください!」
「そ、そうなのですか? ……分かりました。では捨てずに取っておきましょう」
「ありがとうございます。そうしてください」
取り出した筋子は他のまな板の上に一旦置いておき、先にフォレストサーモンの切り身を作る。
お腹の中を綺麗に洗浄して内臓を取り除き、頭を落として三枚に下ろす。
そこから更に小さく切り分ければ、日本のスーパーでもよく売られていた鮭の切り身の完成だ。
「この切り身を塩水に浸けて一晩寝かせると、サーモンに程よく下味がつきます。後はその塩サーモンをフライパンで焼くだけで、お米に合うおかずになるんですよ」
「へえ~……」
「ブルーフォレスト家では、フォレストサーモンはバター焼きや香草蒸しにするのが主流です。ですが塩だけの味付けというのも、斬新で興味深いですね」
塩水を張ったボウルにサーモンを入れて冷暗所に保管する。ブルーフォレスト家の厨房の裏手には、専用の冷暗所が設置されている。
山岳地帯にある万年雪山から採取してきた氷で冷やされる食材の保管所だ。
万年雪山には年間を通して氷が採取できる特殊な洞窟があるらしく、そこの氷が一年中使える。冷暗所はちょっとした冷蔵倉庫のような感じだ。
「サーモンの下拵えはこれでいいとして……次はいよいよ魚卵の加工ね」
私たちは厨房に戻る。すると、レノアさんがそわそわしているのに気が付いた。きっとメイド長として魚卵をどう加工するのか、興味津々なのだろう。
「まずはお湯を沸かしましょう。湯加減は沸騰する前の状態で火から外してください」
「分かりました」
竈(かまど)に鍋をかけて水を入れる。火で温めることしばし。小さな泡が立つ状態で、火から鍋を外す。
「お湯が用意できたら中に魚卵を入れます。筋子の真ん中を軽く開いて、潰さないように気を付けながらお湯の中に入れてください」
「かしこまりました」
「次にお湯の中の魚卵をマドラーでかき混ぜましょう。そうするとマドラーに薄皮が巻き付きます。こうやって皮を取り除いてください。これを四、五回ほど繰り返します」
「わあ、本当にマドラーに薄皮が巻き付いてきます……なんだか面白いですね!」
「そうでしょう? 適度にお湯を変えながら、浮いた皮を取り除いていきましょうね」
四、五回繰り返して薄皮が完全に除去されたのを確認する。筋子からイクラの状態になった粒をザルに移して冷水で洗い、水気を切る。
後は塩で味付けをして、清潔な容器に入れて冷暗所で一晩保管すれば塩漬けイクラの完成だ。
イクラは醤油漬けも美味しいけど、シンプルに塩漬けで食べるのも美味しい。醤油漬けも大好きだけど、素材本来の味を楽しめる塩漬けも大好物だ。
個人的に塩という調味料は、食材の美味しさを引き出す最高の調味料だと思っている。
元・日本人としては醤油や味噌も捨てがたいけど、風味が強いから時には食材本来の味を消してしまうこともある。
そう考えると塩は量さえ間違わなければあまり自己主張せず、主役である食材を引き立てる役割に徹してくれる。
そういう意味でも、この世界に来て初めて食べるイクラの味付けには塩が好ましいと思うのよね。食べるのが楽しみだ。早く時間が過ぎないかしら。
「……エルシー様。締まりのないお顔をなされてどうしたのですか?」
「はっ!? いえいえ、なんでもありません」
いけない。楽しみな気持ちが表情に出ていたらしい。私は慌てて緩んだ顔を引き締めた。
「よほど楽しみなのですね。エルシー様がそれほど期待なされるイクラという食べ物……一体どのような味なのでしょう」
「それは食べてのお楽しみですね、レノアさん! きっと美味しいですよ~!」
「そうね、リリ。私も今から楽しみです」
リリとレノアさんは微笑み合って言った。二人が当初抱いていた魚卵への忌避感は、一緒に加工したことで薄れたようだった。
人間は手間暇をかけた対象には思い入れが生まれやすい。イクラが楽しみな気持ちは共有できている。
あとはお米を脱穀して精米するのを待つだけね。稲の乾燥はもうすぐ終わるから、来週には念願の白米が食べられる。
その日を夢見ながら、私たちは冷暗所を後にした。
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