第29話 サーモンを釣ろう
数日後。私は揃えてもらった釣り具一式を持って、ラウル様と二人でお屋敷の近くある山を登っている。
山には大きな滝や川があり、澄んだ湧き水が渓流を形成している。この川では夏から秋にかけて、産卵の為にフォレストサーモンという魚が遡上してくるそうだ。
「フォレストサーモンは身が締まっていて味が濃く、川魚だが臭みも少ない。燻製や香草焼き、揚げ物にして食べると美味いんだ」
「楽しみです。フォレストサーモンはきっとお米にも合うと思うんですよ」
フォレストサーモンは、前世の日本でよく食べていた鮭に似た特徴を持っている。
きっとお米との相性は抜群だ。鮭なら味噌や醤油がなくても、塩をまぶして焼くだけで十分おいしい。勿論おにぎりの具にもなる。
しかも産卵の為に川登りしているということは、イクラだって採れるかも……。
イクラは私の大好物で、前世ではよく食べていた。イクラが採れたら塩漬けにして、おにぎりの具にするのもいいわね。
他にも鮭のほぐし身とイクラの海鮮親子丼とか、イクラと鮭の出汁お茶漬けとか、凍った鮭とイクラのルイベ漬けなんかも食べたい。
ああ、楽しみ……夢が広がる。
「エルシー、どうした?」
「い、いえ、少し考え事をしていただけです。それより、もうすぐ川に到着するみたいですね」
「そうだな。あの辺りで毎年よくフォレストサーモンが産卵するんだ」
私たちは川へと続く登り坂を上がっていく。この山はブルーフォレスト家が管理している土地で、私たち以外に入山する人は滅多にいない。
「レノアさんやリリ、エリオットさんも一緒に来られたら良かったんですけど……残念ですね」
「全員筋肉痛が酷かったと言っていたから仕方ない」
そう。レノアさんやリリ、エリオットさんはお米の収穫作業で筋肉痛になってしまった。
さすがに数日も経てば筋肉痛も癒えたようだけど、一週間後には米の脱穀作業が待っている。今ここで無理をさせるのはよくない。
みんな普段からしっかり働いている人たちだけど、農作業は独特の筋肉の使い方をするから、慣れていないと筋肉痛を起こしやすいのよね。
「しかしエリオットは喜んでいたな。『翌日に筋肉痛の症状が出るのはまだまだ若い証拠です』と言っていた」
「ふふ、お年を召された方はよく言いますよね」
前世でも祖父や父がよくそんなことを言っていたっけ。懐かしい。
「あっ、川が見えてきましたよ、ラウル様!」
やがて私とラウル様の行く手に渓流が現れた。とても綺麗で澄んだ水の川だ。
こういう清流は美味しくて栄養が豊富なお魚が育っている可能性が高い。鮭……じゃなかった、フォレストサーモン以外にも美味しい魚が沢山釣れるかも。
「では早速、釣りを始めようか」
「はい!」
そう言ってラウル様は私に釣り竿を渡してきた。彼は手慣れた様子で釣り糸に餌をつけると川に向かって放り込む。
私の釣り竿にも餌もつけてくれた。私は思わずラウル様に尊敬の目を向ける。
釣り餌は生餌、つまり虫だ。農作業をしているから虫が苦手な訳じゃないけど、些細なラウル様の心遣いが嬉しい。
ラウル様は清流で手を洗うと、清潔なハンカチで手を拭きながら言う。
「これで後は待つだけだ」
「ありがとうございます。ラウル様、手慣れているんですね」
「俺の父は釣りが好きだったからな。子供の頃はよく付き合わされた。そのおかげで釣り竿の扱いには慣れている」
そう言ってラウル様は微笑んだ。私は彼の隣に座って川を見つめる。穏やかな流れと心地よい風が心を癒してくれる。
「私も釣りは好きです。前の世界では友達や家族とよく釣りに行ったものです」
私の住んでいたところは徒歩圏内に娯楽施設が少なかったからね……。
その代わりに自然は沢山あった。必然的に遊びといえば川遊びや山遊びになるというもの。勿論楽しかったし、大切ないい思い出だ。
「前の世界?」
ラウル様が怪訝な顔をする。
……しまった。気が緩んでうっかり変なことを口走ってしまった。私は慌てて言い訳をする。
「あー、ええと……そう、スカーレット領の話です! ブルーフォレスト領は私にとって新世界のようなものですから。両親が健在だった頃は釣りに行くこともあったんですよ」
「なるほど。そういうことか」
ラウル様は納得してくれたみたい。ふぅ……危ないところだった。気を付けないと。
「俺はてっきり、エルシーがここではない別の世界からやって来たのかと思った」
「はいっ!?」
「エルシーの持つ知識、技能、行動力、どれをとっても非凡の才能だ。まるで別の世界から来たようじゃないか」
「そ、そそ、そんなことはっ!」
さすがはラウル様……鋭い……。
「だがそれは、俺が大切な女性を過剰に神聖視しているだけかもしれないな」
「えっ……?」
「俺もまだまだ未熟だ。エルシーは俺たちと同じ人間だ。君が素晴らしい女性だからと言って、神聖視するのは控えよう」
「は、はい、ありがとうございます」
私の失言は、なんだかいい感じにラウル様が解釈してスルーしてくれた。良かった。
「お? 早速魚が食いついたようだぞ」
「わっ!?」
ラウル様の言葉に反応して糸を引き上げる。すると見事にフォレストサーモンが釣れていた。体長は50センチくらいある大きな魚だ。
すぐにラウル様が慣れた手つきで魚から針を外して魚籠の中に入れる。
「立派なフォレストサーモンが釣れたな」
「はい! これは味も期待できそうです」
私は笑顔で答えた。それからも私とラウル様はフォレストサーモンを釣り続ける。
ちょうど今はフォレストサーモンの産卵期だから、かなりの数が釣れた。
私の想像した通り、フォレストサーモンは日本の鮭にそっくりだ。銀色の鱗に黒みがかった背中。お腹の方は白く、所々に黒い斑模様がある。
私たちはお昼過ぎまで釣りを楽しむと、暗くなる前に山を下りてお屋敷に戻る。魚籠の中には釣ったばかりのフォレストサーモンが何匹も入っている。
「これだけ釣れれば大満足です。どの魚も美味しそうです。魚卵もいっぱい詰まっています!」
「魚卵? まさかとは思うが、エルシーは魚の卵を食べるつもりなのか?」
「えっ? むしろ食べないんですか?」
「丸焼きにした時に魚卵を口にすることもあるが……魚卵そのものを好んで食べるのは……」
「美味しいですよ、魚卵。栄養も満点です。特に鮭……じゃない、フォレストサーモンの魚卵は絶対においしいと思います」
「そうか……エルシーが言うのならそうなんだろう。これまでも君が作る料理は斬新な発想ながら美味だった。これまでに経験したことのない新鮮な喜びを俺たちにもたらしてくれた。そんなエルシーの手にかかれば、魚卵も美味になるに違いない」
「はい! ご期待ください!」
そうか、エラルド王国では魚卵を食べる文化も定着していなかったんだっけ。
前世の世界でも、海外の人はキャビア以外の魚卵はあまり食べないと聞いたことがある。考えてみれば魚介類の生食は世界的に見ても珍しい文化だった。
でも前世では、日本で魚介類の生食文化に触れた外国人が夢中になる事例も沢山あった。
そのことを踏まえれば、エラルド王国の人々も魚卵の魅力に目覚める筈……いや、私が目覚めさせてみせると心に決めた。
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