第18話 田植えを始めよう
季節は初春から春、そして初夏へと移り変わる。
育苗管理の期間が終わり、田植えシーズンがやってくる。
ある程度まで育った苗を手に、私は庭に作った田んぼへと赴く。ラウル様も一緒に。
「さあ、田植えを始めましょう」
「ああ、そうだな」
私とラウル様は農業用の作業着に着替える。
ある程度の間隔を空けて、一直線にお米の苗を植えていく。
「植え付けの深さは三センチ前後でお願いします。浅すぎると浮いてしまいますし、深すぎると収量が減ってしまいますよ」
「わ、分かった」
食事量を減らし、置き換えダイエットを行っているおかげで、近頃のラウル様はだいぶ痩せてきている。
体重は二十キロ以上落ちて、ウエストサイズも十センチ近くダウンした。
元々体を動かす習慣のあった人だから、脂肪へのこだわりを捨てて、食生活の見直しさえ行えばスルスルと体重が落ちていった。
「ふぅ、なんとか終わりましたね」
「ああ。田植えとは疲れるものだな」
作業を終えた私たちは、汚れを落としてから服を着替えて再合流する。
場所は田んぼが見える裏庭のテラス。
冷たい麦茶を飲みながら、苗を植えたばかりの田んぼの様子を見守る。
……え? なんで麦茶があるのかって? もちろん私が作ったから。
乾燥小麦から麦粒を取り出して、鍋で焙煎して煮だして作った。
やっぱり畑仕事の後は麦茶よね!
この時ばかりは紅茶や珈琲では物足りないわ。
あ、ちなみに冬の間に、ブルーフォレスト領の氷は氷室に入れて保管される。
その氷室から取ってきた氷もグラスに入れて清涼感を味わう。
うーん、なんて贅沢なのかしら……。
「この麦茶という飲み物はおいしいな。小麦にこんな使い道があったとは意外だった」
「ありがとうございます。畑仕事の後の麦茶は格別でしょう?」
「ああ。独特の風味がたまらない。農作業の疲れを爽やかに癒してくれる」
ラウル様は麦茶を味わいながら、田んぼを眺める。
……なんだか幸せそう。よっぽど喉が渇いていたみたいね。
やがて、彼は口を開く。
「エルシーが我が家に来てくれて良かったよ」
ラウル様の唐突な言葉に、私は驚いて彼の顔を見つめる。
「えっ? ど、どうしたんです? 急にそんなこと言うなんて……」
「急にじゃない。いつも思っていることだ。君は俺に、いつも新しい気付きを与えてくれる。いい意味で俺を変えてくれる。そういう女性に巡り合えたことこそが、俺にとって一番の得難い財産だ」
ラウル様は初めて出会った頃に比べて、だいぶ痩せてしまった。
元々顔立ちは整っていた。それが痩せたことによって、脂肪に埋もれていた造形の美しさが現れるようになってきた。
無駄な脂肪が落ちた今のラウル様は、ただの美青年だ。
蒼乃森も痩せたら某ハリウッドスターそっくりだって言われていたしね……。
私は太っている方が好きだけど……。
(いいえ、そんなことを思ってはいけないわ! ラウル様は私の為に痩せてくれたんだもの……!)
今の私はラウル様の内面を愛している。
見た目が推し力士そっくりの巨漢からただのイケメンに変わっても、私の心は変わらない。
「私もラウル様と出会えたことが何よりの宝物です。こんなに私のことを思ってくださる方は、この世界でラウル様の他にいらっしゃいませんもの」
「俺以外に……。そうか」
ラウル様はテーブルの上に置いた私の手の甲に、掌を重ねる。
私は思わずドキッとしてしまった。
私たちは婚約したけど、結婚式はまだ挙げていない。
夫婦としてのアレコレは結婚式を挙げてからと決めているから、こんな些細な肉体的接触でもドキドキしてしまう。
「今はここが君の居場所だ。俺だけではなく、エリオットもレノアもリリも、農民や商人たちもエルシーを慕っている」
「は、はい……」
「エルシーが我が屋敷に来てから、もう三ヶ月近くが経とうとしている。……そろそろ結婚式の日取りを決めたいのだが、構わないか?」
「も、も、もちろんですわ……!」
私は裏返った声で返事をした。
すると、ラウル様は微かに笑った。
「そうか、よかった。飛び切りのドレスを作らせよう。今から準備を進めると、恐らく秋ぐらいに挙式となるのだが……いいか?」
「……はい! 嬉しいです!」
今までは結婚なんてまだまだ先のことだと思っていたけど。
そんな日がもう目の前に迫っているなんて……!
でも、嬉しい。
こっちの世界で前世の記憶を取り戻してから、三年弱。
両親はもう死んでしまい、叔父や従兄妹たちとの関係は希薄。または険悪。
そんな状態でも、米作りしたい一心で生きてきた。
だけど……。
念願の米作りが叶って、順調にいけば秋には収穫できる。
そのタイミングで、この世界でも私に家族と呼べる存在ができる。
それはなんて、なんて……嬉しいことなのかしら。
思わず涙ぐんでしまう。
「エルシー、ど、どうした? なんで泣くんだ?」
「すみません、感極まってしまいまして……」
「そうか。君も同じように嬉しいと思ってくれて何よりだ」
ラウル様は微笑んで私の涙を拭ってくれる。
ああ、やっぱり優しい人だ。
私が涙ぐんでいると、ラウル様は言った。
「君にはもっと笑っていて欲しい。今まで辛い思いをしてきた分もな」
私はその優しい言葉に、ますます涙が止まらなくなってしまった。
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