第16話 ダイエットを始めよう

 私の言葉を聞いた途端に、ラウル様の表情が固まる。


 表情こそ変わらないものの、部屋の温度が一気に下がったような錯覚を覚えた。


 それでも私は臆さずに、同じ言葉を繰り返した。



「ラウル様に、体重を減らしていただきたいのです」



 大事なことなので二度言いました。


 ラウル様、しばしの無言。それからゆっくりと口を開く。



「……本気で言っているのか?」


「はい」


「……そうか、やはり君もそう言うのか……」



 てっきり怒られるかと思っていた。だけどラウル様の反応は違った。


 ラウル様は悲しそうに眉を顰めると、小さく溜息をつく。



「やはり君も俺の肉体をみっともないと……醜い脂肪の塊だと、そう思っていたんだな……」


「いえ、私はそんなことを申し上げているわけでは……」



 ラウル様の誤解を解く為に慌てて否定する。


 だけどラウル様は首を横に振った。



「いや、いい。分かっているんだ。自分の体が周りからどう思われているのか、無自覚だったわけではない……だが君は、君だけは違うと思っていた。俺をただ一人の人間として見てくれると、そう信じたかった……」


「ラウル様……」


「申し訳ないが、この脂肪には亡き両親の思いが込められている。たとえ醜いと罵られようとも手放すことはできない。……たとえ、君との婚約が破談になろうともだ」


「ラウル様っ!」



 私は思わず叫んでいた。


 だけどラウル様は寂しそうな瞳で私を見るばかりだ。



「そんな悲しいことを言わないでください。私はそんなつもりで申し上げたわけではございませんわ」


「だが、痩せろと言っただろう?」


「はい、言いました。ですがあの発言は、美醜に基づいた言葉ではありません」


「では、なんだというのだ?」



 ラウル様の表情が険しくなる。私も意を決して口を開く。



「健康問題です」


「健康問題? どういうことだ?」



 ラウル様の表情が訝しげに歪む。


 私は、私なりに考えたダイエットの理由を説明する。



「現在のラウル様の体重と食生活ですと、長生きできない可能性が非常に高いのです。肥満は若い内はいいですが、中年以降に病気のリスクを跳ね上げますし、命を縮める一因にもなります」



 私は言葉を選びながら、努めて穏やかな口調で説明をした。


 前世の世界では、メタボになると心・脳血管疾患の発症リスクが跳ね上がるのが常識だった。


 非アルコール性脂肪肝、高尿酸血症、腎臓病といった病気にもつながりかねない。


 力士も引退後、減量しないで現役時代と同じ体重をキープしていると、早逝してしまう人も少なくない。


 だから現役引退後はダイエットに励んで減量する人が多い。相撲好きだったからよく知っている。



「私はラウル様に長生きしてほしいのです。そのためには適度な運動と食生活の改善が必要です」


「運動なら毎日しているぞ。日々の鍛錬を欠かしたことはない」


「確かにラウル様は体を鍛えていらっしゃいますね。ですが、今の食生活では運動によるカロリー消費量を摂取カロリーが大幅に上回っております。ですから摂取カロリーを減らす必要があるのです」


「カロリー? カロリーとはなんのことだ?」


「熱量、エネルギーのことですわ。一グラムの水の温度を一度上げるのに必要なエネルギーが、一カロリーに相当すると考えられます。食事による摂取カロリーが運動による消費カロリーを上回ると、体重が増えてしまいます。この状態を肥満といいます」


「ふむ……」



 ラウル様は興味深そうに私の話に耳を傾けてくれる。


 そんな姿も素敵なのだけど……今はダイエットに専念してもらわないと。



「ですので、摂取カロリーを減らすには食事の内容を見直すのが一番です」


「……君の言いたいことは分かった。つまり君は俺の健康状態を危惧して減量を提案してくれたのだな。……その心遣いは感謝しよう。誤解してひどいことを言ってすまなかった。許してほしい」



 ラウル様は私に頭を下げる。



「い、いえ、分かっていただければよろしいのです。頭を下げる必要はありませんわ」


「だが、それでも俺はこの体型を維持したいと思っている。何故ならこの体には、亡き両親の愛が詰まっているからだ」


「ご両親の愛……?」


「ああ。……俺が幼い頃、エラルド王国に不作の年があった。普段は他の土地から食料を輸入しているブルーフォレスト領だが、あの年だけはどの土地も自分たちが食べるのに手一杯で、余所に回す食料が足りなかった。……おかげで食料自給率の低いブルーフォレスト領は飢饉に苦しむことになった」


「……」


「飢えに苦しむ民たちのために、両親はなりふり構わず食べ物をかき集め、領民に配った。……おかげでなんとか辛い年を切り抜けたものの、当時の経験はブルーフォレスト領の人間にとってトラウマとなった。特に子を持つ親にとってはな。我が子が飢えに苦しむ姿など、親としては見るに耐えないだろう」


「ええ……そうでしょうね」


「翌年から食料が再び輸入されるようになると、両親は俺を太らせようとした。脂肪の蓄えがあれば、またあのような飢饉に見舞われても生き延びる可能性が上がる。そう思ったらしい」


「それは……」



 ラウル様の話を聞いて、私は息を呑む。


 知らなかった。ラウル様の体型に、ご両親のそんな想いが込められていたなんて……。



「俺は両親の期待に応え、大量に食べて太り続けた。……母は十年前に事故で亡くなり、父も五年前に病気で亡くなった。それでも俺は亡き両親の想いに応えるために、太り続けようと決めた。それが俺の使命なのだと……」


「ラウル様……」


「亡き家族の為にも、俺は痩せることはできない。許してくれ」



 そう言って、ラウル様は寂しそうに微笑んだ。


 ラウル様……なんて健気なんだろう。


 お父様とお母様の愛情に応えるべく、太り続ける生き方を選んでいらしたのね。


 ご両親の愛情とラウル様の行動、それを一概に否定することはできない。


 だってラウル様たちは、私が経験したことのない飢餓の恐怖を味わっている。


 その時に得た教訓から、リスクヘッジとして息子であるラウル様に太ることを望まれた。


 それは紛れもない親の愛。だからこそ簡単に否定はできない……。


 でも、それでも。


 私は前世でも今世でも、飢餓を経験したことはない。


 むしろ前世の日本では、肥満による成人病で亡くなる人の方が身近な存在だった。


 ……だからこそ、私は私の知識と経験に基づいて、ラウル様には痩せてもらう必要があると思っている。


 ご両親がラウル様に飢え死にしてほしくないと考えられたように。


 私はラウル様に肥満で早死にしてほしくない。


 それに、何より――。



「ラウル様……あなた様とご両親の想いは汲み取りました。ですが、それでも申し訳ありませんが、やはり痩せていただきたいと私は考えます」


「エルシー……」



 私の言葉に、ラウル様がショックを受けた顔をする。



「ラウル様はブルーフォレスト領の領主です。そして多くの領民に慕われています。領民のためを思えば、ラウル様が長生きすることは重要なのです」


「しかし、俺は……」


「分かっています。ご家族が愛した体型だから大切にしたいと仰るのでしょう」


「……そうだ。この脂肪の曲線が両親の愛情の証なんだ」


「ですが、それは飢餓のリスクがあった頃のお話でしょう。今では亡きご両親の尽力により、ブルーフォレスト領では芋が育っています。お米の栽培もうまくいけば、食料問題は一気に解決へ向けて動き出すでしょう。……もう飢餓を恐れて、無理に太る必要はないのです」


「……それでも俺は……」



 私はラウル様を安心させるように微笑んだ。



「ラウル様のご家族を想うお気持ちは、立派で尊いものです。……でも旧き家族のことだけではなく、新しい家族のことも考えてはくれないでしょうか?」


「新しい家族?」


「あなたの妻となる私と、将来生まれるであろう子供です」


「……!!」


 その言葉に、ラウル様はこれまでとは違う衝撃を受けたようだった。


「もしラウル様が肥満による病気を発症して早逝なされば、子供は早くに父親を失ってしまいます。……私には飢えの苦しみは分かりません。ですが、親を早くに亡くした子供の気持ちは分かります。それはラウル様も同じではないでしょうか?」


「…………そう、だったな。エルシーは三年前にご両親を亡くしたのだったな。そして俺も……成人前に父も母も亡くしている。早くに両親を失う辛さは、俺にも分かっていたというのに……」



 私の言葉に、ラウル様は辛そうな顔をする。そして決意を秘めた表情で口を開いた。



「分かったよ、エルシー。俺は君の言葉を信じることにする」


「ラウル様……」


「痩せよう。そして長生きする為に努力する。だから君も協力してくれないか?」


「……はい、もちろんですわ!」



 私は喜びのあまり、思わず立ち上がってラウル様の手を取った。


 私とラウル様は微笑み合う。


 ……やっと分かってもらえた。私の想いが届いて嬉しい。これでラウル様に健康に長生きしてもらえる可能性が高まったわ。



(私としては、推し力士の蒼乃森そっくりなぽっちゃり体型が失われるのは惜しいけど……!)



 このむっちりとしたお肉の感触が味わえなくなるのは断腸の思いだけど……!


 だって、肥満の人って全身が柔らかいから触り心地がいいのよ……!


 痩せてしまったら、もうそれが味わえなくなるってことじゃない……!


 そんなの耐えられない……でもラウル様の健康と長寿のためには、我慢して諦めるしかない……!



「エルシー、泣いているのか? ……そうか、泣くほど嬉しいのか」


「え、ええ、そうですわ……!」


「ははは、ありがとう」



 私は涙を拭いながら笑う。


 そうよ、最初こそラウル様の容姿が蒼乃森そっくりだから気に入ったところもあるけど、今はそれだけじゃない。


 ブルーフォレスト家で過ごした日々の中で、この人の人柄にも惹かれていった。


 家族想いで領民想いで、私の米作りにも理解がある素敵な旦那様。


 この人の健康のためなら、私はこのワガママ愛されボディを諦めてみせる……!


 それが、私がラウル様の妻となる以上に固めるべき〝覚悟〟なのだから!

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