第2話 ラウル・ブルーフォレスト辺境伯

 馬車は途中で休憩を挟みながら、数日間走り続けた。


 いくつもの山を越え、森を抜ける。


 次第に景色はゴツゴツした山の岩肌と、降り積もった雪ばかりの灰色の世界へと変わっていく。


 エラルド王国の南部は野菜が育ちやすい中性土壌だけど、国の中央を横断するように聳え立つ山脈を超えると、そこには酸性土壌が広がっている。


 小麦や野菜が育ちにくい辺境のブルーフォレスト地方は、かつては不毛の土地と呼ばれていたそうだ。


 現在では歴代領主の努力により、芋と家畜の飼料ぐらいは育つようになっているそうだけど。



「エルシー様、到着しました。ここがブルーフォレスト辺境伯邸です」


「まあ……!」



 到着したお屋敷の立派さに、私は思わず目を見張る。


 荘厳な佇まいの立派なブルーフォレスト邸は、お屋敷というよりお城と呼ぶ方が相応しい雰囲気と規模だった。


 広い庭をぐるりと囲む背の高い塀。門の向こうに聳え立つ白亜のお城。


 門を通ると、私を待ち構えていた使用人たちが出てきてお辞儀をする。



「ようこそいらっしゃいました、エルシー・スカーレット嬢。私はこの屋敷の執事長を務めるエリオット・アジャンです」


「エルシー・スカーレットです。以後お見知りおきを」



 先頭で出迎えてくれたのは、灰色の髪と髭が立派な紳士。


 齢四十歳ほどの彼は若い頃はさぞかし女性にモテたであろう整った顔立ち。


 さすがに辺境伯家の執事長ともなれば、品のある人が務めているのね。



「旦那様をお呼びして参りますので、応接室でお待ちください」


「かしこまりました」



 私は応接室に通された。


 真っ赤な絨毯に高級木材で造られたテーブル、調度品。


 ソファは革張りでフカフカしている。


 天井には高級クリスタルで造られたと思しきシャンデリアが吊り下げられている。


 なんて立派なお屋敷なのかしら……。


 弱小貴族に過ぎなかったスカーレット家とは雲泥の差だわ。



「エルシー様、旦那様が参りました」


「はい」



 扉越しにエリオットさんの声が聞こえた。


 私はソファから立ち上がって背筋をぴんと伸ばす。


 ギイィ……と、ドアが開く。


 まずはエリオットさんが、その後ろからブルーフォレスト辺境伯が入ってくる。



(えっ……!?)



 その姿を見て、私は目を丸くした。



「よく来たな、花嫁よ。俺はラウル・ブルーフォレスト。お前の夫となる男だ」



 辺境伯は右手を差し出す。


 その右手はなんていうか…………クリームパンみたいだった。


 辺境伯の手を握り返す。


 むにっ。まるでゴム毬のような感触だった。



「…………」


「? どうした?」


「い、いえ、なんでもございません! エルシー・スカーレットです。よろしくお願いします」



 私は改めてラウル・ブルーフォレスト辺境伯を観察する。


 年齢は二十二歳。髪は金髪で目は青い。顔立ち自体は全然悪くない。むしろ整っていると思う。


 身長は百八十センチ以上ある。だけどその体はとても、とても……丸々と太っていた。


 首なんて見えない。顎の下に巨大な二重顎ができている。肌はむっちりもっちりしている。まるで鏡餅だ。


 てっきり醜悪で醜いと噂される辺境伯だから、ゾンビのようにガリガリに痩せ細っているとか、顔に傷があるとか、そういう姿を想像していたのに……まさかこんなに太っているなんて。



「先程からどうしたのだ、エルシーとやら。俺の顔に何かついているのか?」


「い、いえ、そういうわけでは」


「……ならば俺の体型に驚いているのか?」


「えっ?」


「ブルーフォレスト領は寒冷地ゆえに食料自給率が低い。長く厳しい冬を乗り越える為、身に着けた脂肪は財産だ。俺の誇りだ」


「は、はあ……」


「だが、この国の若い女性は太った男を忌み嫌っている。一年に一度、国王陛下の誕生日である生誕祭に参加するべく王都へ足を運んでいるが……そこで一部の貴族から『醜悪辺境伯』と呼ばれていることも知っている。……エルシー、君も俺を醜いと思うか?」


「い、いいえ、滅相もございません!!」



 私はブルーフォレスト辺境伯の手をしっかと握り直した。


 確かに最初は驚いたけど、今はもう気にしていない。


 だって……だってこの人、故郷の青森出身のイケメン横綱・蒼乃森に似てるんだもの!!


 青森出身の力士はかなり多い。


 青森県では地元から沢山力士が出ていることもあって、相撲大会やお相撲さんを招いたイベントがよく行われていた。


 そして前世の私が暮らしていたのは、三世代同居の農家。


 本場所開催中、実家のテレビはいつも相撲中継が流れていた。


 そんなわけで私も相撲ファンだった。


 両国国技館に足を運んで生相撲を観戦したこともある。


 私はご当地出身力士の蒼乃森を推していた。


 蒼乃森はお相撲さんだから太ってはいるけど、母親が東欧系だったから顔面偏差値はものすごく高かった。


 実力派イケメン系力士として女性人気が高く、もちろん私も大好きだった。


 そんな蒼乃森のそっくりさんと結婚できるなんて……!


 私がさっきビックリして声が出なかったのは、ブルーフォレスト辺境伯が蒼乃森と似ていたから。


 これはもう、一目惚れと言っても過言ではない。



「エルシー?」


「はっ!?」



 気が付くと、目の前にはラウル様の困惑した顔があった。蒼乃森そっくりの顔が。


 私は思わず赤面してしまった。



「も、申し訳ございません! つい旦那様のご尊顔に見惚れてしまいまして……!」


「見惚れた? この俺の顔に?」


「はい……」



 私は両手で頬を挟んで、乙女らしく恥じらってみせる。


 ブルーフォレスト辺境伯は、意外そうな顔で私を見ている。



「私は、ブルーフォレスト辺境伯はとても素敵だと思います。これはお世辞ではありません。貫禄があって頼りがいがありそうな、立派な体格をしていると思います」


「そ、そうか」


「だから何一つ、問題ございません! むしろ私なんかがお相手でよろしいのか、心配なぐらいです。こんなに素敵な辺境伯様と結婚できるなんて……私は幸せ者ですね」


「……っ!」



 頬を染めて上目遣いで微笑みかけると、ブルーフォレスト辺境伯は何故か黙り込んでしまった。


 私、もしかして変なことを言って怒らせてしまったかしら……?


 けど、そんな心配は杞憂だったらしい。


 ブルーフォレスト辺境伯の顔面も、徐々に赤く染まっていったからだ。



「あ……ありがとう。女性からそんな風に言われたのは初めてだ」


「そうなのですか? ……この世界には見る目のない人が多いのですね」


「君こそ、素敵な女性だと思うぞ」



 ブルーフォレスト辺境伯が照れたように笑う。


 初めて笑顔を見せてくれた。笑った顔が可愛いわ。


 少しは心を開いてくれたということかしら……?



「ラウルと呼んでくれ。俺も君をエルシーと呼ばせてほしい」


「はい、ラウル様!」


「これからよろしく頼むぞ、エルシー」



 こうして私たちの婚約が成立した。


 ラウル様は相性が悪かった場合、実家に帰すつもりだったようなので、正式な結婚式の準備は整えられていなかった。


 だから私たちはしばらく婚約者という立場で、このお屋敷で一緒に暮らすことになった。

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