転生令嬢は米作りがしたい~従妹の身代わりに醜いと噂の辺境伯に嫁がされましたが、理解のある旦那様に恵まれてとても幸せです~
沙寺絃@『追放された薬師~』12/22発
プロローグ
第1話 エラルド王国の男爵令嬢
私、エルシー・スカーレット男爵令嬢が前世の記憶を取り戻したのは、十四歳の春だった。
エラルド王国の南部にある、スカーレット男爵領。
小さいけれど王都に比較的近い男爵領を、私の父は治めていた。
けれどある日、両親と私が乗った馬車が事故に遭ってしまった。
両親は亡くなり、私は一人生き残った。
私はしばらく意識不明の重体だった。その時に前世の記憶を追体験した。
前世の私は日本の青森県で生まれ育った米農家の娘だった。
家業の米作りが大好きで、米作り好きが高じて農業大学の農業科に進学して、育種学研究室に所属して稲の品種改良に精を出していた。
そして実家の畑の一部を借りて、品種改良した稲を育てていたものだ。
だけどある日、青森に珍しく台風が直撃した。
田んぼは増水。収穫目前だった稲がダメになってしまうかもしれない。
そう思った私は居ても立ってもいられなくなって、暴風雨の中、田んぼの様子を見に行くことにした。
「ちょっと田んぼの様子を見てくる」
……それが前世の私が発した最後の言葉だった。
私は鉄砲水に巻き込まれて死んだ。
なんとか回収した、無事だった数本の稲穂を握りしめて……。
そして気付いたら、エルシー・スカーレット男爵令嬢に転生していた。
鏡に映った私の姿は、茶色の髪に緑の瞳。まあ美少女といっていい見た目だと思う。
前世の記憶・人格に上書きされたのではなく、元々あったエルシーの記憶・人格と入り混じった感じになった。
でも、そのおかげで私は大分救われた。
両親の死は悲しかったけれど、お葬式を終えて怪我も治った私には、やりたいことがあったから。
昏睡状態から抜け、前世の記憶を取り戻した時、私の手には数本の稲穂が握られていた。
エラルド王国は中世~近世あたりの中世ヨーロッパに似た雰囲気の国で、主食はパン。
米食は定着していないどころか、米や稲すら認識されていない。
それなのに、私の手に稲穂が握られていたということは――。
「きっと神様が、この世界で米作りを広めよと言っているのね……」
そうだわ、絶対そうに違いないわ。
よし、決めた。
いつの日かこのエラルド王国に、故郷の青森のような見渡す限りの稲穂畑を作り上げてみせるわ。
「よし、頑張りましょう!」
ちなみにスカーレット男爵家は、父の弟である叔父が継ぐことになった。
私はまだ十四歳の女の子で家や爵位を継ぐ資格がなかったから、叔父の養女になった。
叔父には息子と娘が一人ずついる。私にとっては従兄弟たちだ。
スカーレット男爵家は男児である従兄が継ぐことになる。
私と従妹のダニーは、良家に嫁ぐことが求められた。
だけど私はそんなことよりも、米作りしたいという気持ちが強かった。
◇◆◇
「うーん……やっぱりスカーレット領の土や気候は、米作りにあまり向いていないわね……」
前世の記憶を取り戻してから三年後。
十七歳になった私は、スカーレット家の一角に作った畑の傍らに腰を下ろしてそう呟いた。
いや、腰を下ろしているというか、地面にへばりついているというべきか。
足元には紫キャベツで作った土壌の酸性濃度を測定するpH指示薬がある。
これに水で溶いた土を入れると、おおよその酸性濃度が分かる。
スカーレット領はエラルド王国の南部にある。
海に近い土地で、気候は温暖でカラっと乾燥している。
そして土の酸性濃度は、酸性が低い中性土壌で野菜作りに適している。
だけど、お米を作るには適さない気候と土壌だ。
私がこの世界に持ち込んだお米の苗は酸性の強い酸性土壌を好む。逆に酸性が弱いと病害に見舞われやすい。
つまりスカーレット領で稲を植えても、うまく育たない可能性が高い。
そう思った私は種籾を地下室の冷暗所に保管しておいた。
だけど、一般的に種籾の保存期間は三年と言われている。
今年中になんとか田植えを行わないと、せっかくの種籾が台無しになってしまう……!
「もう諦めて、スカーレット領で植えてしまおうかしら……」
ぶつぶつ呟きながらお屋敷の中に入ると、階段の上から従妹のダニーが声をかけてきた。
「ちょっと、エルシー! お父様が書斎でお呼びよ!」
「ダニー」
「さっさと行きなさい! 貴女にとっていいお話が待っているわよ!」
ダニーはクスクス笑いながら私を見下ろしている。
桃色の髪に、私と同じ緑の瞳。
上等な絹のドレスに身を包み、綺麗に髪を結いあげ、煌びやかなアクセサリーを飾っている。
私の方はというと、木綿生地で装飾もないシンプルな服だ。
この従妹は私を敵視している。年齢が近いせいか、何かとライバル視されている。
私はそんなことどうでもいいから、いつも適当にあしらっているんだけど。
「叔父様、お邪魔します」
「エルシーか、入りなさい」
「失礼します」
叔父の書斎に入る。上等な絨毯に立派な執務机、革張りのソファ。
私が部屋に入ったのを見届けると、叔父は早速口を開いた。
「お前に縁談話だ。相手は北部の辺境一帯を治めるブルーフォレスト辺境伯だ」
「縁談、ですか?」
「そうだ。ブルーフォレスト辺境伯は、今年二十二歳になる。ご両親は既に亡く、兄弟もなく、これといった相手もいない。そろそろ身を固め、跡継ぎについて考えるべき年頃だ。お前にとって良い相手となるだろう」
ブルーフォレスト辺境伯。その名前は私も知っている。
北方の深部にある、山に囲まれた豪雪地帯。
主産業は鉱業と林業。寒冷地の豪雪地帯ゆえに食料自給率が低いという。
そして何より特筆すべきは、現ブルーフォレスト辺境伯の存在だ。
社交界では、若い令嬢たちの間で話題だった。
なんでも現ブルーフォレスト辺境伯は、王国で一番醜い容姿をしているのだとか……。
当の辺境伯は普段領地にいるので、私を含め王都に近い土地で暮らす令嬢たちはその姿を見たことがない。
だけどあまりに醜悪でおぞましい外形をしているという辺境伯の噂に、他の令嬢たちは震えあがっていた。
『わたくし、一生独身かブルーフォレスト辺境伯に嫁ぐかと言われたら、迷わず前者を選びますわ!』
『醜悪な夫に嫁ぐよりも独身のままでいた方がマシですものね』
そんな令嬢たちの会話が、私の脳裏をよぎる。
社交の場で、あるいはお茶会で、見たこともない辺境伯の悪口でよくそこまで盛り上がれるものだと私は感心していた。
そして嬉々としてブルーフォレスト辺境伯の悪口を言っている令嬢たちの中には、高確率でダニーがいた。
「叔父様、一つ質問がございます」
「なんだ?」
「もしかして最初はダニーの方に縁談が来たのではありませんか? だけどダニーは嫌がり、私に押し付けられたのでは……」
さっきダニーは私に「いい話が待っている」と言っていた。
つまり私より先に縁談話を知っていたということだ。
でも、普通に考えて本人より先に第三者が縁談話を知るなんて考えにくい。
そこから考えられる結論は――最初、縁談はダニーに来た。けれどダニーが嫌がったから、私の方に回されてきたということ。
「…………」
叔父は沈黙する。それはすなわち、肯定と同じだった。
ブルーフォレスト家は辺境にあるとはいえ、王国屈指の名家。
辺境伯という国境に面する地方長官を務める家柄だ。
おまけに国の産業を支える鉱業と林業を担っているから、莫大な資産も築いている。
ブルーフォレスト家と縁を結べば、スカーレット男爵家にとって大きなメリットがある。
つまり私はダニーの身代わりに、醜悪だと評判のブルーフォレスト辺境伯に嫁がされる。
叔父はきっと、私という都合のいい身代わりを差し出して、辺境伯を懐柔させようという魂胆なのだろう。
でも私は……心の中でガッツポーズをとる。
(ブルーフォレスト領は、エラルド王国で一番青森の気候風土に近い土地……! 土壌は酸性が強く、冬は雪に閉ざされるけど春先の雪解け水には栄養がたっぷり含まれていると聞くわ……! そこへ行けば、お米がうまく育ってくれる可能性が高いじゃない!)
旦那様が醜いかどうかなんて、そんなことは二の次だ。
このチャンス、絶対に逃したくない。
私は背筋を伸ばすと、叔父に向かって返事をした。
「分かりました、叔父様。私、ブルーフォレスト辺境伯に嫁ぎます」
「おお、嫁いでくれるか!」
「もちろんです。いつ頃ブルーフォレスト領に出発しましょうか?」
一日も早く出発したい。
実際にブルーフォレスト領に行って、土地を調べて、稲作できそうな場所を見つけて、本格的な春が到来する前に田起こしを済ませて、育苗をして、春先には田植えを行わないと……!
「そうだな、ブルーフォレスト家はいつでも受け入れ準備完了していると言っていたが……」
「それでは荷造りが終わり次第、すぐにでも向かいますね」
こうして私は、ブルーフォレスト辺境伯に嫁ぐことになった。
書斎を出ると、待ち構えていたダニーに、
「醜悪な辺境伯様に嫁がされるなんて可哀想だこと」
なんて言われたけど、私はむしろダニーにお礼を言いたいぐらいだった。
ていうか、言った。
ダニーの手を取ってお礼を言ったら、心の底から気味悪そうな目で見られた。
「ありがとうダニー。あなたのおかげで私はブルーフォレスト領に行けるわ」
「はぁ? こんな扱いを受けて悔しくないんですの!? この国で一番醜いと噂のブルーフォレスト辺境伯に嫁がされるのですわよ!?」
「私は平気よ。むしろ楽しみだわ」
「……は?」
「だってブルーフォレスト辺境伯は醜いと評判だけど、人格的に悪い噂は一切聞かないもの。むしろ若くして広大な領地を立派に支えている辣腕家だと評判だわ。どんな人か今から会うのが楽しみよ」
そう。そうなのだ。
伝え聞くブルーフォレスト辺境伯の悪評は容姿に纏わる話ばかりで、人格面では一切悪い評判を聞かない。
むしろ若くして辺境伯を立派に務めていると、男性陣からは評価されているみたいだった。
「……貴女、どうかしていますわね」
ダニーは呆れたような、そして少し引いたような顔をする。
でも、すぐにいつもの調子を取り戻して不敵に笑った。
「ま、せいぜい強がっておけばいいですわ。ようやく貴女がいなくなって清々しますもの! これからはわたくしがスカーレット男爵令嬢として、社交界の素敵な殿方を射止めてみせますわ!」
本来スカーレット男爵だったのは私の父。叔父様やその娘のダニーは、言うなれば分家。
その意識があるから、ダニーは必要以上に私を敵視していたんだと思う。
ある意味、可哀想な子なのよね……。
そのことが分かっていたから、ダニーからきつく当たられてもなるべく受け流すようにしていた。
◇◆◇
ブルーフォレスト辺境伯領への出発の日。
私はスカーレット家から馬車に乗り込んで、北の辺境へと旅立つ。
十七年間生活してきた屋敷を見上げる。もう二度とここへ戻ってくることはないかもしれない。私はしっかり目に焼き付けた。
「エルシー様、馬車の準備ができました」
「分かったわ。行きましょう」
御者台から声をかけてくれた従僕に返事をし、私は馬車に乗り込んだ。
期待に胸が躍る。ワクワクする。
米作りができるから、というだけじゃない。
両親が亡くなった後のスカーレット家に、私の居場所はなかった。
叔父と従兄は私に無関心。ダニーは私を敵視している。
仕方のないことと分かっていても、正直居心地が悪かった。
だから唐突な辺境伯との縁談も、前向きに受け入れられたんだと思う。
(これからどんな生活が待っているのかしら? 辺境伯ってどんな方かしら)
期待と不安に胸を膨らませながら、私は種籾の入った鞄を抱き締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます