初恋の愚行

三鹿ショート

初恋の愚行

 足下の鞄の中に何が入っているのかなど、知る必要は無い。

 黙々と地面を掘り、其処に鞄を投げ込んだ後、穴を埋めていく。

 この行為を何度繰り返したのかは憶えていないが、常に考えていることがある。

 それは、悪魔のような人間と取引をしてしまった己が、あまりにも阿呆だということだった。


***


 私には、意中の女性が存在していた。

 しばらく観察したところ、特定の人間と交際しているわけではなかったために、私は一人で浮かれていたが、だからといって私が恋人と化すことができるというわけでもないことに気が付き、冷静になった。

 他にも女性は幾らでも存在しているにも関わらず、その女性と恋人関係に至ることを望んでいた理由は、それが初恋だったからだ。

 どのように行動すれば、くだんの女性と親しくなることができるのだろうかと考えていると、私に声をかけてくる人間が現われた。

「何か、悩んでいるのですか」

 笑みを浮かべていた彼女は、危険な人間のようには見えなかった。

 同時に、無関係の人間ならば忌憚の無い意見を伝えてくれると考えたために、私は彼女に初恋の悩みを語った。

 今思えば、この時点で、私の人生は決まってしまったと言っても良い。

 彼女は私の悩みを聞くと、自身の胸を軽く叩き、

「私に任せてください」

 そう告げると、とある計画を話し始めた。

 くだんの女性を危険な目に遭わせてしまうことにもなるが、結果的に私が恋人と化すことができるのならばと、深く考えることなく、彼女に頷いてしまった。


***


 彼女が雇った人間にくだんの女性を襲わせているところで私が助けに入ることで、関係を築く切っ掛けと化すという彼女の計画は、上手くいった。

 暴漢から救ってくれた私に対して、くだんの女性は感謝の言葉を述べ、やがて我々は交際を開始するようになったのである。

 幸福な日々を過ごすようになったのだが、ある日、私は彼女に呼び出された。

 いわく、私が恋人を救うために殴った相手が、この世を去ったということだった。

 その言葉に、血の気が引いた。

 私はそれほど強く殴っていなかったはずだ。

 そう告げると、殴られた拍子に転倒し、落ちていた石に頭部をぶつけてしまったことが原因だという話だった。

 たとえ演技だったとしても、そのことを知らない人間からすれば、私が殴った相手がこの世を去ったということになる。

 震える私に向かって、彼女は告げた。

「あなたの仕業だということが判明しないように、手を打ってあります。ですが、苦労したために、あなたからは相応の報酬を得たいと思っているのです」

 それは有難い話だと思いながら顔をあげたところで、私は気が付いた。

 彼女のその笑みは、相手を安心させるようなものではなく、計画が上手くいったことを喜んでいるような邪悪なものだった。

 それ以来、私は彼女の仕事を手伝うようになった。

 鞄の中に何が入っているのかということは考えたくもないが、彼女からの指示は他者を傷つけるようなものではなかったために、私の精神が削られるような日々を送ることはなかった。

 それだけは救いだと思ったものの、私が完全に救われることは無さそうだった。


***


 彼女との関係は、私と妻の間に子どもが誕生してからも続いている。

 未だに何をさせられているのかは不明だが、今日もまた、私は地面を掘り、鞄を埋めていく。

 そんなことをしていると、不意に光で照らされた。

 眩しさを感じたために目を閉じていると、私に向かって大声が発せられた。

 どうやら、私が良からぬものを埋めていることを知った人間たちが、現場を押さえに来たらしい。

 私は、人生の終了を悟った。

 その場に崩れ落ちる私に構うことなく、制服姿の人間たちは鞄の中身を確認していく。

 中身を見た彼らは、目を見開いていた。

 その中身を見せられた私もまた、驚きを隠すことができなかった。

 何故なら、鞄の中には何も入っていなかったのである。

 彼らは私がこれまで埋めていた鞄も調べていくが、一様に、空だった。

 では、これまで私は、何をさせられていたのだろうか。


***


 数年後、彼女から連絡が来た。

 いわく、しばらく身を隠していたらしい。

 笑みを浮かべながら話す彼女に、私は疑問を投げかけた。

「何故、何も入っていない鞄を埋めさせていたのか。あの行動には、何の意味があったのか」

 私の問いに対して、彼女は表情を変えることなく、

「何の意味もありません。ただ、空の鞄を埋めさせていただけです」

「私は、発見されれば立場が危うくなるようなものだとばかり」

「他の人間はその通りですが、あなただけは例外ですから」

「それは、何故」

「私の初恋の相手に、危険な真似をさせるわけがないでしょう」

 突然の言葉に、私の理解が追いつくことはなかった。

 言葉を失っている私に向かって、彼女は続けた。

「憶えていないのでしょうが、私は学生時代に、あなたに助けられたのです。あのとき救われなければ、私は今、この場所で呼吸をしていなかったでしょう」

 そう告げられたが、何のことか、思い出すことができない。

 其処で彼女は、衣嚢から一葉の写真を取り出し、私に差し出した。

 其処には、制服姿の女性が写っている。

 いわく、それは彼女であるらしい。

 あまりの変容に、私は同一人物だと思うことはできなかった。

 彼女は写真を仕舞うと、やおら立ち上がり、私に笑いかけた。

「たとえあなたの愛情が私に向けられることがないとしても、あなたが好意を抱いた相手と一つになることができ、笑顔を浮かべている姿を見ることができるだけで、私は幸福なのです」

 そう告げると、彼女はその場から去った。

 追いかけることも出来たが、私がそうすることはなかった。


***


 あれから、彼女から連絡が来ることは無くなった。

 今でも危険な行為に及んでいるのだろうかと、考えることがある。

 だが、彼女との再会を望んでいるわけではない。

 このまま会うこともなければ、私が他者を殺めたという事実が白日の下にさらされることはないからだ。

 私を悪人だと呼ぶのならば、そうすれば良い。

 証拠は、何処にも存在していないのだ。

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