解放

 比良塚警部が鬼崎慧を牢中の訪れたのは、慧が檻に入ってから三日後のことであった。なにやら警視庁の留置場に様々な職員が入り浸っているらしいと耳にした警部は、頭の上に疑問符を浮かべながら警視庁の地下にある留置場に向かう。その道すがら、若年の刑事や中年の巡査などが次の差し入れは何にしようかなどと、こそこそと内緒話に興じている様を見て、警部がさらに疑問を深めるが、留置場にたどり着いた時、その疑問が一気に解消した。

 比良塚警部がやってきた慧のいる留置場で繰り広げられていたのは、目を疑うような光景であった。警視庁の公安部を束ねる長が、渋面を作り檻の中に向けて手を差し出して、留置所内に響くバリトンボイスで、


「待った!」

「もう三回目ですよ。というより詰んでますから諦めてください」

 両腕を組んだまま身体をネジらせて、将棋盤を懸命に睨んでいた。比良塚警部は心底呆れるように、頭に手を当てて大きな溜息をつく。つかつかと革靴の音を立てながら警部は公安部長へ歩み寄り、

「なんばやっとるんですか部長、鬼崎君に迷惑かけて」

「おぉ、比良塚君か、いやね、留置所の主が警官の相手をして阿漕な商売をしていると言うもんだから注意しに来たんだが、聞けば商売でなく差し入れ一つで知恵を貸してくれるらしいじゃないか。これは面白いと思ったんで一手、将棋でお相手願ったんだがこれが強い。本格的に鍛えなおさんといかんと思ったよ」

「いや、仕事をしてくださいよ……」

 げんなりとした表情で公安部長に指摘し、一つ咳ばらいをして、看守から預かった牢の鍵で獄中の慧を解放した。慧は突然の行動に少し驚きつつも、なにが起こったかを瞬時に理解し、比良塚警部に問う。

「私が解放されたということは、出たんですね。三件目の被害が」

 慧の言葉に警部はコクリと頷き、公安部長と慧を順に見て、

「鬼崎君のお察しの通り、大会議室で捜査会議が始まるので公安部長はご準備を。鬼崎君、こんなところに三日も閉じ込めておいて本当に申し訳ないんだが、捜査会議に出席して爆発物の知識を貸してくれないかい。もちろん、断ってくれてもかまわないんだが……」

 言いづらそうに慧へ頭を下げる比良塚警部の肩を、将棋の駒を片付け終えた公安部長がポンポンと軽く叩く。部長はそのままグイッと警部を後ろに押しやり、

「名探偵には私が別に代金を払おう、依頼として受けてはくれんかね」

 そういって流れるように慧の手の中に紙幣を握らせた。その瞬間、慧は目を輝かせて一言。

「一市民として、協力を惜しみませんとも」





 慧たちが連れだって大会議室に入室すると、そこには既に五十名を超える捜査官たちが着席しており、状況を詳細に記した黒板を注視していた視線がドアの開閉音がした慧たちのほうへ一斉に向かう。公安部長は軽く手をあげてズカズカと黒板横の空いている席に向かい、先に着席していた刑事本部長に耳打ちをしてどかりと座り、机に両肘を立てて寄りかかって両手を口元に持ってくる形で威圧感を放つ。慧と警部は皆が公安部長に注目しているうちにそそくさと空いている後ろの席に腰を下ろし、それを確認した公安部長が司会役の若い刑事に続けるようにうながす。若い刑事は緊張して裏返った声で、黒板に書かれた文字を指さしながら話を続ける。

「えー、そういうわけで、連続爆破事件の三件目の被害が出ました。今回の現場は本郷の一軒家で被害者はその家に住む、五十九歳男性の御子柴博一郎氏、発見者はその甥である御子柴英二氏です。英二氏は一人で暮らしている博一郎氏を気にかけてたびたび家を訪れているようですが、今朝家を訪れると玄関に見覚えのない箱がポツンとおいてあり、陵国の火災を新聞で知っていたことも相まって慎重に家の中に侵入され、邸宅の今で頭部から血を流している博一郎氏を発見、通報されたそうです。鑑識によりますと、玄関の箱は詳しくは不明ですが爆薬ではないので同一犯ではないと思われていました。が、さきほど例の暗号文が届いたので、おそらくは爆弾を設置しに行った際に被害者と鉢合わせ、口封じのために撲殺したものだと思われます。現在聞き込みを行っていますが、目立った報告はまだです」

「ご苦労、爆発物の写真を各自の手元にある資料に添付してある。よく確認しておくように。一班は聞き込みの範囲を広げろ、二班は陵国の事件の聞き込み強化、三班は小学校関係者の身辺を洗いなおせ、四班は御子柴英二氏の周辺を調べろ。以上、解散」

 刑事本部長の解散の一言に強面の捜査員たちが地鳴りがする大声の合唱で返事をし、我先にと会議室の扉から飛び出していく。数十秒後に会議室に残ったのは二人の部長と比良塚警部、そして慧だけであった。

「……とりあえず、写真で分かったこともあるので、実物を見させていただきましょうか」

「鬼崎君、もうこれがなにかわかったのか」

 資料に添付された写真をひらひらと揺らしながら比良塚警部が、あんぐりと口を開けて慧に問う。いつの間にか近くへ寄ってきていた公安部長も慧に、

「そんなに見ただけでわかるものなのかね、爆発物というものは」

 と、いって不思議そうな眼差しで比良塚警部がもつ写真をジッと見る。慧はいやに懐かれたなと思いつつ、

「そうですね。人に害を為す爆発物の種類は限られてますから、仕組みさえわかってしまえば判別は難しくないです。特に今回のものは知っていればすぐに理解できますよ」

 そういって、一呼吸を置いて。

「今回の爆発物はナトリウムです」


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