力技
こそこそと鬼崎慧と比良塚警部が打ち合わせた通りに事は進み、聴取の最後となる蕗谷千代から話を聞き終えた警部は、鉛筆を右耳へ差しなおし、
「どうやら、心臓の病でお亡くなりになられたようで間違いないみたいですな。これにて聴取を終えたいと思います」
と、比良塚警部は病気による死亡として場をまとめるべく、一つ手を叩いて、北方、赤坂、蕗谷の全員を見回し、そして最後に鬼崎をちらりと見て口角をあげる。ここからが、犯人を舞台へ登らせるために行う三文芝居の始まりである。
「警部さん、最後に一ついいですか」
「なにかありますかな、鬼崎さん」
やけに芝居がかった比良塚警部に内心笑いをこらえながら、鬼崎慧はするりとシェフである北方茂の後ろに周り、瞬時に膝を崩させて、右手で両手を、左手で顎をつかみ力づくで開かせ、体重をかけて抵抗ができない体勢に無理矢理もっていく。一拍遅れて赤坂篤が大きな声で、
「な、なにをやっているんですか!?」
そう叫んで北方を助けようと駆け寄ろうとするが、比良塚警部に手を引かれて静止する。見事な連携で妨害を阻止した比良塚警部は、後ろに控えていた二名の警官にも小声で動くなと命令した。
「千代さん、旦那さんの飲まれていた水をシェフに飲ませてください」
鬼崎慧の言葉に顎を開いたまま押さえられた北方は、鬼崎のその言葉を受けると目を限界まで見開くと無理にでも逃げようと身体を捻ったり、頭突きでどうにかならないかと抵抗を試みるが、当の鬼崎はどこ吹く風とばかりに意にも介さずに、蕗谷千代が水を運んでくるのとジッと見つめていた。
蕗谷千代以外の全員が硬直して動かない中、ゆっくりと蕗谷は両手で包んだ大振りなガラスのコップを北方茂の目の前まで持ってきて、無理矢理開かされている彼の口内へゆっくりと注ぎ込む。少しずつ垂らされるコップの水をなんとかして吐き出そうとする北方だったが、半分ほどコップに残っていた水を注ぎ終えた蕗谷が鼻を塞ぐと、呼吸ができなくなって身体の条件反射で口内の水を嚥下してしまう。そして、そのタイミングで鬼崎慧は北方茂を解放した。
普通ならば、そう普通ならば、北方は拘束された事に対する怒りや理不尽に溺れさせかけられた事に憤るなど、攻撃的な反応をすることが当然である。しかし、北方の取った行動は無事を確かめるために駆け寄ろうとした赤坂篤を跳ねのけて、厨房にある水の出る蛇口へ一直線に向かい口に手を突っ込み、全力で嘔吐を繰り返すことであった。
「……真相が分かったようですね」
鬼崎は底冷えするような人を見下す視線で、厨房の北方を睨みながら言葉を吐き捨てる。同様に鋭い視線を比良塚警部と蕗谷も北方へ送る。事態が呑み込めていないのは制服警官の二人と門外漢だった赤坂篤だけである。
一通り吐き終え、厨房の床にへたり込む北方を比良塚警部は引きずり出してホールの中央に投げ捨てる。そこから引き継ぐように、鬼崎慧は膝を折って、座り込んでいる北方茂と目線の高さを合わせて、
「北方さん、何故吐いたんです」
まるで地獄の閻魔が行う審判のように、有無を言わさない力強い口調で問いただす。それに対し、北方は窮地にいることを自覚したのか呻くことしかできずに、青ざめた表情で冷や汗をかきながら必死に言葉を探した。
「そう、いきなり水を飲まされて驚いたんです!」
「ただの水ならば怒りこそすれ、必死に吐き出すことはないですよね。だって、アナタの店の水なんですから」
北方は、うっと、喉が詰まる音を響かせて、再び沈黙する。そして、ブルブルと身体を震わせると激しく瞬きをしながら、噛み砕けんばかりに歯を食いしばって、
「クソッ! 何故分かったんだ、完璧な計画だったのに。毒水まで飲んじまって……」
どこまでも自分勝手な悔恨を呟きながら、地面に何度も何度も苛立ちをぶつける。そのあまりにも身勝手な発言を聞いて、蕗谷千代は大事な夫を奪われた怒りのあまり杖を振り上げ打ち据えようとして、
「千代さん、やめましょう。殴る価値もないですよ、この男は」
優しく、鬼崎慧に抱き留められて、身動きが取れなくなる。その蕗谷千代の姿を見て、赤坂篤は正義感に駆られたのか、つかつかと北方茂の元へと歩き寄り、その胸倉を掴んで、
「なんで旦那さんを殺したんですか、彼を殺すことになんの意味もないでしょう!」
「ないわけないだろ! そこの旦那の弟から毒殺すれば店の移転資金を出してくれるって話を持ち掛けられたんだよ、旦那が死ねば遺産が妻と弟の折半になる上に保険金も出るからってな」
本性を現した北方の胸倉を離して、彼の発した言葉が信じられない赤坂は、かぶりを振りながら一歩ずつ後ろに下がって、
「そんなことのために……」
力なく座席に座り込んだ。
「はっ、ははははは! どうせ俺も毒で死ぬんだ、俺をそそのかしたあの野郎も地獄に一緒に送ってやる!」
「死にませんよ」
自棄になった北方へ、汚物を見るときとそう変わらない視線を向けながら、口元だけは煽るように嫌らしい笑みを浮かべ、顔を彼の元にずいっと近づけて一言、
「あれ、千代さんにお願いして旦那さんのものと千代さんのものを入れ替えて持ってきてもらったんです。つまり、アナタが一生懸命吐き出したのはただの水、残念でした」
北方は観念したのか、全身の力を抜いてホールの床に崩れ落ちた。
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