決着後
北方が制服警官たちに連行され、店内には被害者の夫人である蕗谷千代、女給の赤坂篤、比良塚警部に鬼崎慧だけが残った。帝都では自宅で葬儀を行うことが主で、千代は蕗谷氏の最後の晴れ舞台として葬儀場ではなく自宅を選んだので運び手が来るまで待機、他の三人が残ったのは蕗谷氏の遺体を自宅へ運ぶための運送業者を待つ蕗谷千代を一人にしないための心遣いである。
「それにしても、鬼崎の兄ちゃんはよく殺しだってわかったな」
「そうね、まるでデュパンみたいだったわ」
遺体が共にあるせいで重い空気になってしまいそうな店内の空気を和らげるため、比良塚警部が慧に向かって疑問を飛ばす、もっとも話題としては最低であったが、それを感じさせない気配りなのか千代も話題に乗っかり、探偵小説の始祖の名前を出して慧を褒め称えた。
「……あの、デュパンって?」
会話に一人ついていけない赤坂だけが恥ずかしそうに千代へ尋ねる、すると千代は花が開いたように饒舌に、
「デュパンっていうのはね、海外で生まれた史上初の推理小説でね、非凡な探偵と平凡な語り手、結末近くでの探偵は皆を集めてさてといいなんて言い表す推理の披露、予想もできない犯人像やその先に連綿と続く推理小説の枠組みの原型を作り出した探偵小説の始祖なの。それにそれに密室殺人を扱った最初の推理小説とも言われていて――――」
千代の口から滑りだす言葉の洪水で赤坂はただ頷くだけしかできなくなる。どうやら千代は探偵小説フリークだと慧と比良塚警部は顔を見合わせて、二人で苦笑を漏らす。
数分ほどかけて探偵小説の素晴らしさを赤坂に伝導した千代を宥め、楽しそうな彼女の様子に慧はおだやかに笑み、
「それでは、何故北方が犯人だとわかったか説明しましょう」
千代の気を紛らわせるためか、あえて物語の名探偵のように仰々しく振る舞い、緩慢な動作で北方をハメるときに使用しなかった千代の夫、正一氏が触れたガラスを掴む。慧は容量の半分ほどに水が残っているコップを差し、
「もうご存じかとは思いますが、毒は旦那さんのコップに仕込まれていました。毒の正体は……アレです」
芝居がかった手つきで厨房とカウンター席を隔てる中段の壁上に飾られたスズランを指さす。
「スズランですか?」
赤坂のこんな身近なものがと言いたげな声色に、慧はゆっくりと首肯して、
「スズランにはコンバラトキシンと呼ばれる強心配糖体、簡単な言葉に直すと強烈に心臓を刺激する効果のある毒が含まれます。コンバラトキシンはシアン化カリウム、つまり青酸カリの十五倍の致死性を持っており、なにより水に非常に溶けやすい。人を殺すだけならこんなに入手しやすい毒もない」
「青酸カリの十五倍って、とんでもねぇなオイ」
慧の発言に血の気の引いた表情で比良塚警部は後頭部をガリガリと掻き、
「だとしてもよ、どうやって旦那のほうにだけ毒を盛ったんだ? 普通はお冷を一緒に持ってくるよな、間違えて千代さんが飲んじまったら……」
「間違えて飲むことはありませんよ、最初に赤坂さんが配膳したときには毒が入っていなかったんです」
慧の言葉で不意に思い出したのか、赤坂が甲高い大声をあげ、
「あっ、水のおかわり!」
そういうと厨房へ視線を向けた。
「想像ではあるが、厨房の冷蔵庫にお冷用の水が貯めてあり、おかわりの際には客席からコップを引き上げて、そこから改めて水を注いで持っていくのではないかな?」
「そのとおりね、夫はライスカレーを口にしているときに水を数回おかわりして、その度に赤坂さんが厨房まで戻ってはシェフに水を注いでもらっていたわ」
「シェフはなるべく冷えた状態で水を飲んでもらいたいって言ってたから納得してたけど……」
慧はつかつかと歩いて、厨房の氷冷蔵庫の下段、冷やしたいものを収納するほうの扉を丁寧に開けると、
「やはりありますね」
そこには食材に混じって、大振りのガラスピッチャーが二つと小さなガラスコップが一つ鎮座していた。他の三人も慧の後をどやどやと追って、そのコップを確認する。
「その小さなコップに毒が入ってるのかい」
「おそらくは。調べてみないとわかりませんが、わざわざ個別に分けているんです、十中八九黒でしょう」
「それを調べる方法を鬼崎君は知っているのかい」
慧のことを認めたのか、比良塚警部はお兄さんではなく鬼崎と呼んで質問を投げかける。慧はその質問にどうとでもないと言わんばかりの簡単な口調で、
「鼠を使って試してみてください。コンバラトキシンの致死量は体重一キログラムに対し、ほんの耳垢ほどの量で生物を殺せます、このコップの中身がスズランから抽出した毒入りならば、鼠が少量飲んだだけでたちまちにひっくり返るでしょう」
「なるほどな……協力感謝するよ鬼崎君。ところで、話は最初に戻るんだが、何故旦那さんが毒を盛られたと思ったんだ? 心臓の病があるって赤坂の嬢ちゃんが教えたんだろ、だとしたらそうだろうなって流すもんじゃないのか普通は」
比良塚警部の疑問に、慧は己の首を締めるように手を添え、
「旦那さんはこうやって亡くなっていました、でもよく考えてみてください、不思議じゃないですか?」
「……ああ、心臓の病なら押さえるのは」
「そう、喉ではなく心臓です。旦那さんの心臓病がなにかは存じませんが、心臓に関わる病のほとんどが胸に強い痛みを伴うものばかり。押さえるのならば喉でなく痛みの出た心臓を押さえないとおかしい」
慧の言葉に千代は深く納得したのか、確かにと枕詞を置いて、
「あの人が一度倒れたときも両手で心臓を押さえていましたわ。思えば喉を圧迫するのはおかしいですね」
「コンバラトキシンには呼吸困難を引き起こす効果もあります、心臓が被害を受ける前に喉がやられたのでしょう。後は論理の組み立てだけです。一週間に一度老夫婦が訪れる流行らない店、何故潰れないのかわからないほどの店なのに提供されたサラダはきちんとした食材が使われていた、そして赤坂さんが話してくれた保険の話。私の見立てでは旦那さんが倒れたことを盾にして、店を続けられないので移転の金を払えとでも言って強請るつもりだと思っていたんですがね……」
事実はもっと根深く、被害者である正一の弟による暗殺計画だった。そこまで話すと、慧は時間が経ってシナシナになってしまっているサラダを乱雑に口に入れる。常識人然とした慧がいきなり殺人現場で食事を始めたので、三人は思わず口を開けて驚愕する。
「うーん、もうシャキシャキ感が失われていますね。全然美味しくない」
「あ、あの、鬼崎さん。どうしていきなりサラダを?」
「どうしてもなにも、私は帝都に初めて訪れて、せっかくの食事に来たのにこの様ですよ。加えて昨日から食事を取っていないので非常にお腹が空いているんです、サラダを貪るぐらいは許してほしいです。これから家を探さなくちゃいけないってのいうのに、北方には大変迷惑をかけられてますよ、こっちは」
「あぁ……アタシもこの店に下宿しているんで別の宿探さないといけないです、よね……」
赤坂が自信なさげに比良塚警部へ目くばせすると、彼は困ったように頷き、
「すまんが、殺人現場なんでな、後日の調査までは立ち入り禁止になると思う。必要なものを持ち出すぐらいは目をつぶるから許してくれ」
「そもそもお店は経営できないですから別の仕事を探さないといけませんしね……」
赤坂の未来展望を聞いて、一気に店内の空気が重くなったとき、入口から大きな声が聞こえた。
「ごちそうさまでした。担ぎ手の方がいらっしゃったようですね」
慧がぶつぶつと文句を垂れ流しながらもサラダを完食したところで、店の入口から遺体の担ぎ手が現れる。四人組の彼らは一人が担架を、残りの三人が簡易的な棺を持って店内に入り、床に寝かせられている正一を目にすると、全員がそろって手を合わせて黙祷し、
「こちらの旦那様をご自宅まででよろしいですか」
「はい、よろしくお願いしますね。自宅には女中がおりますので、そのものに安置場所を聞いてください」
運び手たちは威勢よく返事をし、千代のいう住所を控えた後、丁寧に正一の遺体を納棺して、えいさほいさと掛け声を発しながら池嚢の街中へと消えていった。残された千代と三人は重要な仕事が終わったことに胸をなでおろし、まずは比良塚警部が、
「では私はこれで、千代さんご主人の葬儀には私も顔を出させていただきます。それと鬼崎君、ありがとう。君のおかげで犯罪者を見逃すことなく事件を解決できた、警察を代表して感謝を」
そういって頭を深々と下げ、大きな声で失礼しますと敬礼をして店から退去していった。次に赤坂がふぅ、と短く嘆息し、
「じゃあ、アタシも荷物をまとめてきます。お葬式にはアタシも顔出しますね」
と、バタバタと足音を立てながら店の奥へと消えていく。残されたのは千代と慧だけ、慧は千代に挨拶をして自身も別の食事処を探そうかと考えていると、
「鬼崎さん、住むところがないんでしょう?」
藪から棒に千代から話が飛んできた。急なことに慧が生返事を返すと、
「これ、使ってくださる」
千代の手から慧の手に一つの鍵が手渡された。金細工のワンポイントが特徴的なその鍵をジロジロと見回した慧は千代に対して尋ねる。
「住居の鍵のようですが、いったいどちらの?」
「蕗谷家が所有する響谷≪ひびや≫の別宅の鍵ですわ。私たちの住居は余津谷にあるのだけれど、響谷のほうはもう使わないでしょうから、鬼崎さんにどうぞ差し上げますわ」
突然の千代の申し出に慧はギョッとして、
「そんな、いただけませんよ」
そういって鍵を返還しようとするが、千代は頑として受け取らず、無理矢理鍵を慧の手に包むようにして握らせ、
「いいのよ、これはお礼なの。鬼崎さん、正一さんの無念を晴らしてくれてどうもありがとう、だから報酬として受け取ってもらえないかしら。名探偵さん」
千代の真っすぐなまなざしに、慧は息を呑み、そして、
「ありがとうございます、大切に使わせていただきます」
頭を下げて感謝の意を示した。
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