ネコ宇宙

牛本

ネコ宇宙




 見上げると、そこには無数の猫が居た。


 いつもなら太陽があるはずのそこにも、猫がいるように見える。


 巨大なそれは、光を発して、僕を照らす。


 僕は知らないうちに、とんでもない世界に来てしまったのではないだろうか。


 そんなことを思い不安になったが、僕の膝の中で丸まって寝ている茶トラのネコの暖かさに、ホッとした。


「なあ、ネコ。地球はどうなっちゃったんだろうな」


 と、僕がネコを撫でながら呟くと、ネコが薄目を開けて僕を見上げてきた。


 そして、


 ――にゃあ


 と一言鳴いた。


 次の瞬間、地球が割れる音がした。


 地面から無数の猫が飛び出してきて、空へと落ちてゆく。


 そんな光景に僕は口をあんぐりと開けていると、僕の口からも小さな猫がシャボン玉みたいにブクブクと生れた。


 ――にゃあ


 再び、膝元で声がした。


 空が落ちてくる。


 太陽みたいに輝いていた猫がその熱量を失わずに落下してくる。


 海が干上がる音が「にゃあにゃあ」とうるさかった。


 蒸発した海猫は母なる空猫へと還っていく。


「……はは、にゃにを言ってるんだろう」


 気が付けば僕の体は猫になっているようだった。


 口から猫が出てくることはなくなったが、これではネコを撫でることが出来なくなってしまう。


 ――にゃあ


 目を向けると、傍にいたネコがこちらを見つめている。


 何かを訴えかけようとしている。


 僕は猫になってしまったというのに、ネコの言葉が理解できない。


 それがひどく悲しかった。


 だから空に向かって鳴いた。


「にゃあ」


 にゃあ。


 にゃあにゃあ。


 にゃあにゃあにゃあにゃあ。


 にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ。


 にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ


 視界を無数の猫が覆う。


 ネコは宇宙だった。


 僕は猫だった。


 みんな猫だった。


 そんな当たり前なことに気が付いた。


 猫だから猫だ。


 ネコは宇宙だということだ。


 だから猫は僕だった。


 ネコが宇宙の僕が猫だ。


 宇宙が宇宙ネコが僕のネコで宇宙で――。



 ――にゃあ



 くるしい。


 息が詰まるようだった。


 酸素が足りていないと思った。


 だけど、宇宙なのだからそれはそうだ。


 猫にいるときは酸素が足りないのだ。


 僕のいつかの夢は猫飛行士だったが、ついに叶ったようだ。


 ……。


 …………。


 僕は思った。


「ネコは宇宙そらに還ったんだ」


 だから。


「宇宙から僕を見守ってくれているんだろ」


 目を向けると、そこには一匹のネコ。


 何匹猫がいたって、どんなに似ていたって、絶対に間違わない。


 僕の、僕だけの宇宙ネコ


 ――にゃあ


 気が付くと、視界が開けていた。


 その鳴き声は、いつも僕を起こすときのものだった。


 僕は昔からよく寝る子で。


 そんな僕の顔の上に乗って起こしてくれるのだ。


 だからいつも酸素が足りなくて、息が詰まって、苦しくて、そんなネコがもう居なくなってしまったことに胸が詰まって、苦しくて。


 きっと僕の胸のところにネコが詰まっているのだろう。


「そんなところにいたんだね」


 そう呟くと、ネコはもう一度だけ「にゃあ」と鳴いて僕の胸の中に消えてしまった。


 ネコが、猫が消える。


 そうか。


 僕はネコが居なくなってしまって。


 もう起きれないんだと思ってた。


 でも、ネコはいつでも此処にいたんだ。





 僕は目を覚ました。


 数匹の猫が、僕の体の上から逃げていった。


「お客さん、起きたんですね」


「え?」


 その声に振り替える。

 そこには綺麗なブラウンの髪が特徴の、優しげな顔をした見知らぬ男が苦笑を浮かべて立っていた。


 いや、どこかで見たことがある。


 どこかで――。


「お客さん、お客さん!」


「あっ! はい」


 考え込んでしまっていた僕は、男に呼びかけられてハッと気が付いた。


 そんな様子の僕に、男は再び苦笑を浮かべて口を開く。


「お客さん、もう閉店のお時間なので」


「あ、えっ、すみません」

 

 僕はうまく状況を呑み込めていなかったが、店員らしきその人の言葉に従って店を出た。


 店を出て、看板を見たところで気が付く。


 確かここは、最近出来たばかりの猫カフェとかいう場所だ。


「2800円……入っててよかった」


 もうすっかり空になった財布を見ながら、僕は呟いた。


 視線を前に戻そうとして――再び視線を看板に向けた。


 そこには大きく『ネコ宇宙』と掲げられた看板があった。


「なんか、楽しい場所だったな」


 ――また来よう


 そんなこと思いながら、僕は帰路に就いた。





 すっかり暗くなった夜道を歩く。


 ポケットの中に入っていた鍵を取り出し、玄関を開けた。


 誰もいない、寂しい部屋だ。


「……」


 いつもならこんなことはしないが。


 そこに向かって僕は声をかけた。



「ただいま、ネコ」


 ――にゃあ



 どこかでネコの鳴く声が聞こえた気がした。


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ネコ宇宙 牛本 @zatu

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