第16話 戦闘

「真っ黒な蛙か……そんなに睨むなよ」


 薄緑色の大きな瞳の中心にある細い瞳孔がレイの姿を捉えて逃してくれない。


 生まれたての手足でどこまで動けるのか確かめるように、奇妙な体勢で動き回りながらも、視線だけは決して外さない。


 しなやかな指の先端にある吸盤のおかげで凹凸のある壁でも難なく張り付くことができるらしく、重力を感じさせない動きで跳びまわっている。


「はは、こんなのどうやって倒すんだ――」


 3か月前に倒したフロアボスとの違いに思わず失笑してしまう。


 今すぐに逃げ出したい、そんな生物としての本能が恐怖と共に押し寄せてくる。


 その度に、巨大スライムに追いかけられながら死んでいった人々の悲鳴が、縋るような白沢さんの顔が、そして目の前で何とか生きようとする3人の必死な姿が、俺をこの場に縛り付ける。


「死にたくないなぁ」


 喉からは消え入るような情けない声が漏れ出てくる。持ち上げた剣身には先程の声とは対照的に口角を上げ、笑みを浮かべた男の顔が映り込んでいる。


「脱出できたみたいで良かった」


 3人が洞窟の小道へと入っていくのを視界の端で確認する。聖来の回復スキルにどの程度の治癒力があるのか分からないが、出口付近で会えたらいいな。


 黒蛙は、何とか男を持ち上げて移動する3人のことなど全く気にも留めず、未だに俺のことを睨み続けている。


「完全に俺をターゲットにしてるみたいだし、逃がしてはくれないだろうな」


 勝てるよな、俺達なら――


 覚悟を決めて勇者の剣に話しかけると返事をするかのように一瞬輝きが増した気がした。ドクン、ドクンと全身が脈打つ音が耳の内側から聞こえてくる。

 

 前方を見ると、一通り体の調子を確かめた黒蛙が逆さまの状態で壁に張り付いたままこちらの様子を伺っている。口の隙間からだらりと垂れた緑色の舌から滴り落ちる涎は見るだけで鳥肌が立つ。


 気持ち悪い……遠距離から攻撃できたら良いんだけど――


 ふと3人組の1人がスキルで石を飛ばしていたのを思い出し、足元に落ちている手のひらサイズの石を拾い上げる。


「そういえば身体強化中って筋力も跳ね上がるんだよな、試してみるか」


 黒蛙までの距離は約20メートル、右腕に力を込めて全力で投げる――

 

 右手から離れた石は凄まじいスピードを保ったまま一直線に飛んでいき、一瞬で眼前に到達する。


 黒蛙は咄嗟に身を捻じり回避しようとするが間に合わず、頬に纏った粘液に薄く血が滲む。


 これなら倒せる――


 再び石を拾い上げた途端、遠距離攻撃を警戒したのか発達した足で壁を蹴り、一気に距離を詰められる。


 何度も同じ攻撃はさせてくれないか――


 横に跳んで何とか突進を回避するが、すぐに舌を伸ばして追撃される。


 咄嗟に握っていた石で弾き飛ばして相殺すると黒蛙が少しだけ怯んだ。


 少しでもタイミングがズレたら死んでたかもしれない、そう思うと心が震える。恐怖で思考が停止してもおかしくないはずなのに、不思議と感覚は研ぎ澄まされていく。


 次こそは――


 何度目かの攻防の後、再び舌がこちらに向かって飛んでくる。


 タイミングを合わせて強く握りしめた剣で薙ぎ払う――


 静かに、スパッと切断された緑色の舌が地面に転がり魚のように跳ねる。巨大スライムの時もそうだったが、勇者の剣の切れ味の良さには驚かされるな。


 黒蛙は大きな瞳を見開き驚いた表情になるがすぐに元通りの顔に戻る。


 これくらいじゃ終わらないよな――


 まだ、まだ、勝負はこれから――


 昂ぶりと連動するかのようにスピードが上がり、頭の中が全能感で満たされていく。


 今なら何でもできる気がする――


 剣を振る度に嫌いだった平凡な自分が消えていくような、そんな心地よい違和感に身を委ねて戦い続ける。


 1本、また1本と手足を切断していく――


 黒蛙は戦意を失ったのか、たった1本の足で踠きながら必死に逃げようとする。


 もう終わりか――


 背後から胴体の中心に剣を突き刺し、とどめを刺した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る