第5話 勇者

 大きさが違うだけなのに全く別物だな……。


 スライムは巨体を蠢かせながら移動を開始し、素早い動きで、殴りかかってきた男に近づいていく。


「やめろ!! 近寄るな!!」


 声を荒げ、棒を振り回して牽制するが、全く効果がない。


「くそおおお!!!!」

 

 男は絶叫しながら巨体に向けて棒を投げつけ逃げようとするが、足元の石に躓き転んでしまう。


 その直後、スライムの塊のような体が一瞬で大きく広がり、包み込むように男の身体を飲み込んだ――


 え……? 消えた……?


 一瞬、何が起こったのか分からなかったが、理解した瞬間に恐怖が襲ってくる。巨体の中心部分にじわっと広がる赤いシミが残酷な現実を突き付ける。


 やばい早く逃げないと……響き渡る絶叫の中、ほぼ同時に全員が走り出す――

 

 しかし、巨体を器用に伸縮させて移動するスライムは想像以上に素早く、近くにいた人達から次々に吸収されていく。


 ここから出口までは全力で走っても5分、この人混みなら倍はかかるか……?


「助けてくれええええ」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 後方から様々な悲鳴が聞こえては消えていく。既に何人死んだのだろうか。


 ゲームの世界みたいだと浮かれてばかりで、誰も命をかける覚悟なんてなかった。安全なスライムを狩って楽しく冒険したい、そんな楽観的な考えでいたことを後悔する。


「殺さないでええええ死にたくな――」


 また悲鳴が途切れる――


 どんどん悲鳴が近づいてくる。


 出口まではまだまだ距離がある。スライムが俺の所まで来るのも時間の問題だと思うと、足が震えてもつれそうになる。


俺が勇者レイなら――


 何度も繰り返した妄想が頭をよぎる。でも俺はただの凡人、特別な力があるわけでもないし、巨大な敵に立ち向かう勇気もない。


 俺には無理だ、誰か他の人が助けてくれるだろう、心の何処かでそう思ってしまう。


「くそっ、誰かってなんだよ」


 どうすることも出来ない無力感に苛まれる。本当に俺には無理なんだよ。


 必死に出口を目指して走りながら、ふと後方を確認すると、衝撃の光景を目の当たりにする。


「何でだよ……今だけは会いたくなかった……」


 ずっと探していた聖女ティシアがそこにはいた。こんなのあんまりだろ……。俺の人生救ってくれた恩人であり、恋焦がれたヒロイン。


 スライムは彼女のすぐ後ろまで迫っている。このままだと確実に……。


「やめて、誰か助けて――」


 すぐ後ろから彼女の悲痛な叫びが聞こえてくる。聞きたくない――


「助けて、レイ――」


 何度も何度もゲームの中で繰り返し再生した光景がフラッシュバックする。敵に襲われるティシアを勇者レイが助ける、そんな光景と現実が重なって見える。


 気が付いた時には走り出していた――


 勇者の剣を背中から引き抜きながら全力で走る。恐怖のせいか剣が重く感じる。呼吸が乱れ、心臓が激しく波打って破裂しそうだ。


 何やってるんだ、俺に勝てるわけないだろ、やめろやめろやめろやめろ――


 いくら考えても、一度走り出した足を止めることはできない。


 物凄いスピードで距離が縮まっていく。


 粘液の塊は赤黒く染まり、滴り落ちる粘液は血液の様に見える。一体、何人が犠牲になったらこんな色になるんだよ。


 その時、ぬるりと巨体がこちらを向き、ティシアから俺に標的を移す。もう逃げる事はできない、覚悟を決めるしかない。


「俺は勇者レイだ――」


 自分自身を鼓舞するかのように言い聞かせる。少しだけ震えが収まった気がした。


 青く輝く勇者の剣を構えると、それに対抗するかの様にスライムも体を大きく広げて捕食の体勢に入った。


 壁のように広がった体の真ん中を狙い、全力で振り下ろす――


 その瞬間、剣の輝きがより一層強くなり、スライムの巨体に大きな切れ目を作った。


――もう一発


 痛みを感じるのか、体を唸らせる巨体にもう一度斬りかかる。

 

 横に薙ぎ払うように剣を振るうと、巨体は真っ二つに切断された。


 周囲に飛び散った赤黒い粘液が蒸発し消えていく。


 興奮と疲れで乱れた呼吸を整えていると、頭に無機質な音声が響いた。


 ――レベルが上がりました。スキル、身体強化を取得します――

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