第3話
「イグ=トラウムさん……? 来ていないと思うけど……」
三十分後。人間とは思えない回復力で復活したルーシェは不思議そうな顔をした。
「蒼い髪で、肩に黒い火蜥蜴乗せてて、あたしと同じくらいの年の子! 最終便に乗ってなかった!?」
思い出すように眉間をぐりぐりと揉み、ルーシェはフルフルと首を横に振った。
「いなかったと思うわ……。最終便はお客さんがいなくても門の中まで入ってきてくれるけど……、誰も乗っていなかったと思う……」
「そう……、ありがと……」
ある程度予想していた答えだ。
けれど、実際に聞くと気分が沈んだ。
これで、イグがフルスに立ち寄っていないことが確定してしまった。
幻想夜が終わったフルスはもう、彼の興味を引く場所ではなくなったのだろう。
「なんだかガッカリしてるけど……、その人と約束でもしてるの? 今年の祭典に来るって……」
「ん……、どうかな……。来るんじゃないかなって、たぶん、勝手に思ってただけ……。よし、これで最後、と……」
最後の樽を下し、息を吐いた。
「今日は、あと何回くらいですか?」
「二回くらいかなあ。ようわからんが、そう気を落とさんようにな、リィルちゃん」
船頭は舟に戻り、ふと思い出したように振り向いた。
「蒼い髪に黒い火蜥蜴か……。そういえば、昔、舟に乗せた旅人から聞いたことがあるなあ。黒い火蜥蜴は、偉大なる蒼月王の御使い……、精霊族でも、王の勅命を受けた者のみを導く、とな……。もしかしたら、リィルちゃんが言っとる人は蒼月王の勅命を受けた、精霊の寵児かもしれんな」
「そうだったかも……、しれないです……っ」
精霊の寵児どころか、きっと精霊なのだろう。
だから、今日、このフルスで会えなければ、どこを探せばいいのかわからない。
精霊が住まうのは精霊界。彼らは人知れず降りてきて、帰っていくのだから。
「まあ、こんなご時世だが、互いに生きてさえいれば、いつかどこかで会えるだろうさ。じゃあ、次の荷物もよろしくな」
去っていく船頭を見送り、リィルは駆け出した。
「あ、リィル! ジュースもらってきたけど……」
「ん。ありがと! 後でもらうね!」
後ろから聞こえてきたルーシェの声に心の中で詫び、階段を駆け上がる。
探す当てが、あと一つだけ残っている。
どうしても、夜になる前にそこに行かなければいけないような気がした。
薬草園のほうから歩いてきた人物と衝突しかけて、急ブレーキをかける。
「ご、ごめんない!」
「あら、リィル?」
赤茶の髪が揺れた。
エプロンをかけたリタが鉢植えの花を手に目を丸くしていた。
「凄い勢いだったけど……、何か、当番でも忘れた? 手伝おうか?」
「リタさん……」
目頭が熱くなるよりも早く、彼女が持っている鉢植えに目を奪われる。
鐘のように膨らんだ紅い花――、釣り鐘草だ。花だけでなく、茎や葉もうっすらと紅く光り、清らかな気を纏っている。
「それ……、もしかして……」
「そう……! ついにやったの!!」
子供のように目を輝かせ、リタは鉢植えをずいッと突き出した。
「見て! 紅龍の釣り鐘草の花が咲いたの……! さっき気がついたら咲いてたから、蕾とかは見れなかったんだけど……」
「さっき……? 夕方になってから咲いたんですか?」
「ええ、たぶんね。お昼に見た時は、まだ小さな芽だったのに……、他の薬草のお世話が終わって見てみたら、急に大きくなってたの……!」
涙ぐみ、リタは鉢をぎゅうっと抱きしめた。
「きっと……、私とイルクの愛と祈りが、紅龍皇帝様に通じたのね……! ありがとうございます、紅龍皇帝様……! 精霊王陛下、万歳……!」
噛みしめるように呟き、リタは満面の笑みを浮かべた。
「今からイルクに見せに行くんだけど、リィルも来ない!? 一緒に喜びを分かち合いましょう!?」
「あ、遠慮します。二人の邪魔したくないし……」
「あら、そう? それじゃあ、さっそく行ってくるわね! 待ってて、愛するイルク!」
スキップで医務室に向かう後姿を見送り、リィルは駆け出した。
(……貴方なんでしょ、イグ……!)
「昨夜」の夕食の時、リタはまだ花が咲いていないと言っていたはずだ。
紅龍の釣り鐘草が成長することも枯れることもなく、ずっと芽吹いたままの姿で何年も経っているのはリィルだって知っている。
リィルがこのフルスに来た頃から、紅龍の釣り鐘草は双葉をつけた姿のまま、変わっていなかった。
そんなものが、急に成長するはずがない。
急に花を咲かせるはずがない。
――貴方が、咲かせてあげたんでしょ……?
幻想夜の中で、彼は紅龍の釣り鐘草を気にかけていた。きっと、花が咲いたのも彼からの「祝福」なのだろう。
そして、彼が確かにこのフルスに来て、夕べの出来事が夢じゃなかった証でもある。
(着いた……)
足を止め、聖殿の中で最も凝った装飾が施された建物を見上げた。
最後に彼に会った場所であり、幻想夜に遭った場所――、宿泊棟が夕陽を受けて赤く染まっていた。
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