第3話

「リィル?」

 静かだがよく通る声が呼んだ。

 開いたままの扉からベリアが入ってきたところだった。

「叔母様……!」

「珍しいわね。こんな時間に礼拝堂にいるなんて……」

 ゆったりとした動きでベリアはリィルの目の前まで来た。

「悩み事かしら?」

「え、えっと……」

 何かを悟ったのか、ベリアはにっこりと微笑んだ。

「私で良ければ、聞かせてもらえないかしら? 少しは力になれると思うの」

 ベリアは幼い頃に死に別れた母の妹だ。うっすらと覚えている母と顔立ちが良く似ているが、強気で戦士のような性格だった母とは正反対の、優しくておっとりした性格をしている。紅龍皇帝領の女性精霊族には珍しいタイプだ。そのせいか、どうにも意地を張る気になれない。

「……悩んでるってほどじゃないけど……。あたし……、本当に巡礼士になってもいいのかな、って……」

「あら、どうして?」

「だ、だって……、来年からの祭典……、今でも忙しいのに……っ」

「それなら大丈夫。サラとシャーリーが貴女の分も頑張るって言ってくれているわ。あの子達だって、もう立派なフルスの一員なのよ?」

「うん……、それはわかってるんだけど……、」

 クスリと叔母は笑った。

 精霊族は精霊の眷族だ。人間よりも寿命が長く、成長期を終えれば時の流れもゆるやかになる。その証拠に、リィルと二十歳離れているはずなのに、ベリアの外見は若く、「姉」だと紹介したところで、疑問に思う人は少ないだろう。

「深刻なほど本音を隠すのは、小さい頃から変わらないわねえ。そういうところ、姉さんとよく似てるわ」

「そ、そうかな……?」

「それで、本当の理由はなあに?」

 ――ハメられた……!?

 叔母のペースにしっかり乗ってしまったことに気づき、小さく呻く。

「あの……、怒らないで聞いてね?」

 ベリアは笑顔で先を促した。

「どうして巡礼士を目指してるのか、わからなくなってきちゃって……。辞退しようか迷ってて……」

 応援してくれた叔母に申し訳なくて、視線を彷徨わせた。

 温かい手がポンポンと肩を叩いた。

「良い機会だわ……。少し、お話しましょうか」

 隣に腰を下ろし、ベリアは龍を眺めた。

「三年前くらいだったかしらね……。貴女が初めて『巡礼士になりたい』って言ったのは」

 ベリアは当時を懐かしむように目を細めた。

「その時に、思ったの。『さすが、姉さんの子だわ』、って……。でも、それ以上に、先に相談してくれてよかった、って心の底から思ったわね」

「へ? そこ? どうして??」

「姉さん……、貴女のお母様は家出同然にフルスを飛び出して、巡礼の旅に出てしまってね……。前神官長……、貴女のお婆様が亡くなるまでフルスに戻ってこようとしなかったの……」

「そ、そうだったの……?」

 リィルが両親と死に別れたのは五歳の頃だ。

 当然、そんなシビアな話なんて聞いたことはない。

「前神官長は、姉さんが神学校を卒業したら戻ってきて神官になってくれると思っていたの。なのに、勝手に巡礼士試験を受けたものだから、それは怒って大反対してね……。姉さんも意地になって祭典の真っ最中に家出してしまって……。後になって、姉さんからの手紙で知ったんだけど、貴女のお父様のご実家に転がり込んで祭典が終わるのを待ってたらしいわ。二人は幼馴染だったから、遠慮がなかったんでしょうね」

「うわ……、できれば、そこはあんまり知りたくなかったかも……」

「ふふ、破天荒でしょう? でも、当時の私は姉さんが羨ましかったわ。私には逆立ちしてもできないもの」

「……あんまり真似しないほうがいいと思うけど……」

「あら、そう? だからね、貴女が聖殿に来た時、もしも巡礼士を希望しても、反対しないつもりでいたの。だって、止めても無駄なんですもの。それなら、気持ち良く送り出したほうがお互いの為でしょう?」

 前神官長はリィルがフルスに来る半年前に亡くなっている。祖父にあたる前薬草園の園長も。大聖殿へ向かう途中の船の事故だったらしい。

 母が祖父母のことをどう思っていたのか、今となってはわからない。

 だけど、一度だけ。いつも強気だった母が泣き崩れていたのを覚えている。

 あの後、急にフルスへ戻る事になって、その道中で両親は……。

(めちゃくちゃだけど、母さんなら、それくらいやりそうよね……。父さんの家に押しかけるのも含めて……)

 両親の力関係を思い出し、複雑な気分になっていると、立ち上がる気配がした。

「面接まで、まだひと月もあるわ。ギリギリまで、ゆっくり考えれば?」

 頼りになる神官長から、優しい叔母の表情に変わり、ベリアは微笑んだ。

「だけど、叔母わたしとしては、可愛い姪には危険な目に遭ってほしくないわ。だから、辞退するのなら大賛成」

「え……、叔母様……? それって……」

 初めて叔母の本心を聞いた気がして、言葉を失う。固まってしまったリィルと対照的に、ベリアはスッキリした顔で笑った。

「おやすみなさい、リィル。最後のは気にしなくていいわ。どちらでも、好きな道を選びなさい」

 後姿が外の闇に消えてしばらくしてから、叔母に夕食を食べるように言いに来たのを思い出した。

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