第4話
(……叔母様は本当は反対だったのね……)
本棚の本をチェックしながら溜息を吐いた。
手放しに賛成してくれているとは思っていなかったが、本人から直接聞いてしまうとやはり複雑だ。
(そういえば、あの時の母さん、フルスに帰るの楽しみにしてたなあ……。あたしくらいの年で家出して、ずっと帰ってなかったんだものね……)
ペンダントを握り、また深く息を吐いた。
「余計にわからなくなっちゃったな……」
「なにが?」
「ふぅわ!?」
突如乱入した声に、思わず後ずさった。その拍子に装飾品の彫刻像に思いきり背中をぶつけるが、それどころではない。
「い、イグ!? いつ入ってきたの!?」
「たった今だけど……、それより、後ろ……」
像が向こう側へ倒れていく気配に、ステップを踏んで体の向きを変えた。
「ま、待って!! 倒れないでっっっ!!」
龍を象った白い彫刻の首を片手で掴み、グイっと引き戻した。ズズンと音を立てて彫刻が無事に着地する。
「ふう、セーフ……。置き場所、変えたほうがいいかしらね……」
「ごめん、めちゃくちゃ驚かせたみたいで……」
イグはリィルと彫刻をしげしげと見比べた。
「昼間も思ったけど、凄い反射神経だなあ。彫刻も軽く五百キロ超えてそうなのに……、さすが紅龍皇帝領の精霊族だね」
「や、ヤダ! 見てたの!?」
「そりゃあ見えるよ……。目の前だもの……」
軽くショックを受けるリィルに気づいていない様子で、イグは本棚を見回した。
「今日はもう閉館?」
「あ、えっと……、少しならいいけど……。読むのは部屋でお願い」
「うん、わかった」
スタスタと本棚の前に行き、彼は初めから決めていたように一冊の辞典を手に取った。
「お待たせ。もういいよ」
「へ? もう?」
「昼間に見つけて気になってたんだ。貸し出しは手続きがいるの?」
「あ、うん、ちょっと待ってね」
慌ててカウンターの棚から帳簿を引っ張り出した。
パラパラと捲ったページは見事に聖殿の職員の名前が並んでいる。図書室に立ち寄る旅人も稀なら、貸し出しを希望する旅人なんて、一年に一人いるかどうかだ。
「ここの欄にお願い。日付とタイトルと名前を書いて、最後に返却予定日書いてくれたら完了。ペンはそこにあるの適当に使ってくれていいから」
「了解。あ、このペン、タリスマンが組み込まれてる。聖殿のオリジナル?」
カウンターのペン立てに並んでいるペンを手に取るなり、イグは目を輝かせた。
ペンはどれもフルス聖殿の紋章が入ったオリジナルで、正門の受付にも置いている。
「ええ。代々
「へ~~、凝ってるなあ。デザインもだけど、タリスマンが全部違う……」
イグはペンを一本ずつ手にとっては、玩具を見つけた子供のような顔でタリスマンを発動させている。タリスマンそのものに興味があるのかもしれない。
(そういえば、イグって何の研究してるんだろ……?)
衣装を見る限りでは、神学校の学生ではなさそうだ。
神学校には貴族出身の子がけっこういるが、ふとした仕草が彼らよりも遥かに上品だ。あの深い蒼髪と瞳といい、もしかすると王族なのかもしれない。
「ねえ、聞いてもいい?」
「いいよ、なに?」
回すごとに軸のメッセージが変わるタリスマンを見つけ、イグはクルクルと回している。気に入ったらしい。
「イグは、どうして研究者になったの?」
「ん~~、そうだなあ……」
タリスマンを回すのをやめ、彼は帳簿に向き直った。ペン先が紙面を滑る音が静かな図書室に響く。
書き終えてからも考えをまとめるように沈黙し、やがて彼は帳簿を閉じて元の棚に戻した。
「……僕にとって、一番都合が良かったから、かな……」
「都合? どういうこと??」
「あ~~、えっと……」
彼は窓の外を眺めた。
カーテンの隙間から入り込む青白い月光に、蒼い瞳が宝石のように瞬いた。
「生まれつき、少し魔力が強くてね……。普通の姿じゃ、パンタシアを歩けないんだ。研究者なら、誰も不思議がらないかな、って……」
「普通にしてたら外を歩けないって……、もしかして、
「うん、まあ……、そんなところかな」
少し言いづらそうに彼は目を逸らした。
「精霊の寵児」は、精霊族の中でも、とりわけ精霊に近しいとされる頭抜けた魔力と身体能力を持つ精霊族の最高峰だ。
この瘴気と魔獣が大量発生している現状でさえ、精霊の寵児にとってはさほど脅威ではなく、一国の王や大聖殿の第一位大神官でさえ、彼らには敬意を払う。
「そうだったんだ……、ごめん……、あんまり他の人に話したくないわよね……」
圧倒的な力を持ち、その気になれば国家をも牛耳れる精霊の寵児だが、その寿命は驚くほど短い。彼らの大半は幼少期に命を落とし、無事に成長できたとしても二十年ほどしか生きられず、その力の負荷で寝台から起きられない者も多いという。
そこまで酷くなくても、彼らが部屋の外に出るには全身をタリスマンや護符で固めなければならず、イグが言う「普通の姿でパンタシアを歩けない」とは、たぶん、そのことを指している。
そして、彼らは自らの属する精霊王の「声」を神託のごとく聞き、生涯をかけて全うするべき使命を与えられるという。
「あ、全然気にしてないから、大丈夫。そんなわけで、人が多いところ苦手なんだ。いろいろな感情を感じちゃって疲れるから、フルスみたいに静かなところは過ごしやすくて助かるよ」
気を遣ってくれているのか、本当に気にしていないのか、イグはまたペンで遊び始めた。さっきは「なんだか、かわいい」などと思ったが、今は痛々しく見える。
彼らは大聖殿の要職に就くことなく、若くして両親の元を旅立ち、その短い命を精霊王の意思に殉じる為に使う。
イグが精霊の寵児だとすれば、彼は属する蒼月王に与えられた使命を果たそうと旅をしているということになる。
そして、彼の寿命は――、下手をすると、あと三年ほどかもしれない。
「そうね……、そうよね……、蒼月王領の精霊の寵児だもんね……」
蒼月王は浄化の炎を宿す精霊王だ。
その眷族の精霊族は浄化能力に長けている分、人の邪念や感情に敏感でストレスを感じやすいと聞いたことがある。精霊の寵児ともなれば、普通の精霊族の数倍は繊細に違いない。
「……部屋、もっと静かなところが良かった? あそこはレプス湖が一望できる特等室だけど……、湖から鳥の声とか船の音とか、けっこう聞こえるし……」
「そこまで神経質じゃないよ。今日は他のお客さんがいないから貸し切り状態だし、一番奥の角部屋だから静かすぎるくらい。もうちょっと賑やかな部屋でも良かったかな」
「そ、そうなの? 無理してない? 前に、神学校に特別講師で精霊の寵児が来てくれたことあったんだけど……、めちゃくちゃ神経質で、ピリピリしてたわよ? 授業中に廊下を通った教頭先生を『煩い、くたばれジジイ!』って、
「うわあ……、それは精霊の寵児だからじゃなくて、その人の性格だと思うけど……。普通にヤバい人だよ」
「や、やっぱりそうよね!? よかった~~、精霊の寵児が全員、あんな感じだったら、パンタシアは終わりかもって……、ちょっと心配しちゃった……」
「さすがにそれはないよ。僕が知ってる精霊の寵児は、わりとまとも……」
ふと、イグはリィルの胸元で揺れるペンダントに目を留めた。
「その石……?」
「ああ、これ? 小さい頃に蒼月王領に住んでたことがあってね。そこの遺跡で見つけたんだけど……」
「ちょっと見せてくれる?」
「うん、いいけど……」
ペンダントを外し、少し迷ってそのまま渡した。なんとなく、彼になら見せてもいいような気がした。
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