第5話
「あれ……、巡礼士証……? カナリス=ワイトフォール……? 鎖も凝った金属使ってるなあ……」
黒い石に気を取られていたのだろう。
イグは初めて気づいた様子で、石と一緒に鎖に通した銀の指輪をしげしげと見ている。
「指輪は母さんので、鎖は父さんの手作り。母さんは元巡礼士で、父さんは錬金術師だったから……」
事情を察したのだろう。
彼は慌てた顔をした。
「ご、ごめん……っ」
「ううん、聖殿だと珍しくないし、気にしないで。それより、その石、何かあるの? 綺麗な石だと思うんだけど、調べても宝石とかじゃなさそうでね。フルスに知ってる人もいないし、神学校の先生でもわからなかったし……」
「魔力が合わないせいだと思うよ。かなり純度が高いから、他の精霊王領の人の魔力には反応しないんじゃないかな……」
イグは石を軽く握った。
開かれた掌の上で、真っ黒だった石が神秘的な蒼い光を帯びていく。
「……
「精霊石!? めちゃくちゃ高いヤツよね!?」
価値が高い輝石の中でも最高級品だ。
魔王との戦いで流れた精霊の血が結晶化したものだと言われ、それぞれの精霊王の力を宿す。瘴気が蔓延している今、浄化の力を持つ蒼月王の精霊石は特に貴重だ。
「……調べてみないとわからないけど……、この純度なら、物凄い値段がつくんじゃなかったかな……。地方聖殿くらいなら丸ごと買えちゃうくらいの……。王都あたりで鑑定してもらって売れば、超豪華な巡礼の旅ができるよ?」
「う、売らないから! 父さんと母さんと一緒に見つけた思い出の石なんだもの! いくらお金出されても、絶対に売らない!」
「それなら、バレないようにしなきゃね。僕が言うのもなんだけど、世知辛い世の中だから、人にはあんまり見せないほうがいいよ? はい、返すね」
「う、うん! 気をつけるわ!」
返された石を慌ててつけ直す。
(まだ光ってる……)
イグの魔力がまだ石に残っているのだろう。
仄かな蒼い光が少しでも長く灯っていてくれるように、こっそりと祈った。
「……夕方から今まで、短い時間だったけど……、フルスはいい人達ばかりだね……。聖殿の空気も穏やかで、よく澄んでる……」
蒼い瞳が深く沈んだ。
「すごく嬉しかったよ……。正直、もう半分くらい諦めてたんだ……。いっそのこと、一度、全部消したほうがいいのかもしれない、って……」
「へ?」
「ごめん、何でもないよ」
先ほどまでの暗い表情を消し去り、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「フルスに着くまで少し長旅だったから、疲れてるのかもね」
「その、あんまり無理しないほうがいいわよ……? 使命も大事かもだけど、体はもっと大事にしなくちゃ……」
精霊の寵児なんだから――、とはさすがに言えなくて、言葉を濁した。
寿命のことなんて、リィルが言わなくても本人が一番わかっているだろう。
「ありがとう。リィルは優しいね」
「そ、そんなこと……、ないと思うけど……っ」
不意打ちのような一言に頬が熱くなった。
柄にもなく照れているのを自覚するが、悪い気はしない。
「ねえ、リィル……、僕からも聞いていい?」
「な、なに?」
真摯に見つめてくる蒼い瞳に鼓動が跳ねた。
だけど、浮ついた気持ちは次の瞬間、戸惑いへと変わった。
「リィルは……、この世界が好き? 今、幸せ?」
「へ? な、なによ、いきなり……」
「……知りたいんだ。どうしても……」
声を荒げているわけでも、睨んでくるわけでもない。なのに、息苦しいくらいの威圧感が吹きつけてくる。
(……なんなの……、この感じ……?)
足元がぐらつくような奇妙な感覚に襲われて、慌てて踏ん張った。
場を和まそうとイグを見て、ゾクリと背筋が凍える。
(な、なに……?)
蒼い瞳はこちらを見ているのに、映しているのはリィルではない。まるで、リィルに誰かを重ねているような――、そんな眼差しだ。
――誰を……、見ているの……?
汗が背中を伝っていく。
ここで答えを間違えれば、とんでもないことになる――、そんな気がした。
「……そ、そうね……、瘴気のおかげで、山でも海でも魔獣が出るし、理不尽な事も多いけど……、」
リィルだけでなく、フルスの「家族」達は瘴気や魔獣で家族や故郷を失った人ばかりだ。神学校でも、同じような境遇の人は沢山いた。
今でも時々夢に見るほどキツいけれど、いつまでも嘆いているわけにもいかない。
こんな世界でも、生きている限り進むしかないのだから――。
「フルスには家族がいるし、神学校には友達もいるし……、あんまり考えたことなかったけど、それなりに幸せなんじゃないかしら? 赤龍皇帝領しか知らないけど、レプス湖は綺麗だし、ご飯は美味しいし……、好きな物がいっぱいあるんだもの、この世界も好きなんじゃないかしらね……、って答えになってる?」
蒼い瞳がにっこりと笑った。
それまでの張りつめた空気が一気に柔らかくなる。
「うん、ありがとう。研究の一つに、『精霊族の意識調査』をやっててね。紅龍皇帝領の人はどう感じてるか興味があったんだ」
「な、なあんだ……。も、もうっ、それなら先に言ってよ~~。真剣に聞いてくるから焦っちゃったじゃない!」
「先に言ったら、答えを考えるでしょ? 模範解答はつまらないもの」
「それはわかるんだけど……」
研究者として、イグの言動におかしなところはない。
研究者の中には、先ほどのイグのように前触れもなくアンケートを始める人が一定数いる。まして、精霊の寵児ともなれば、精霊王に与えられた使命が絡んでいるはず。調査に熱が入るのも無理はないだろう。
なのに――、この少年は嘘をついている。
何故か、それがわかった。
「そろそろ部屋に戻るね。おやすみ、リィル。幸運を」
「うん、おやすみ……」
辞典を抱えて図書室を出ていくイグの背がやけに遠く見える。
ドアが閉まる音が室内の空気を揺らしても、リィルはそのまま動けなかった。
(……どうして、「幸運を」なの……?)
まるで戦いの中に送り出すような言葉だ。
拘りの多い研究者は独特の表現をよく使うから、これも彼独自の表現なのかもしれない。
蒼月王領では、就寝前にそういう挨拶をするのかもしれない。
違和感を打ち消そうとしても、不吉な予感がどんどん大きくなって広がっていく。
ペンダントを握り締め、胸いっぱいに膨らんだ不安を吐き出した。
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