第2話
礼拝堂は静まり返っていた。
神官用の控室を覗いてみても、ベリアの姿はない。
扉が開け放たれたままになっていたので先に寄ってみたが、ハズレだったようだ。
(……やっぱり執務室かしら……? 図書室ってことも……)
叔母がいそうな場所をあれこれと思案しながら戻ってくると、白い天井に紅い光が揺れていた。
赤龍皇帝領の礼拝堂の奥は人工池になっているが、フルスは自然に存在していた池の上に礼拝堂を立てている。この聖殿のちょっとした自慢だ。
池の中央には龍が彫られた大きな赤い輝石が魔力灯の明かりを吸収しては紅い光に紡ぎ直して放出し、水面に反射した紅が夜の闇と相まって異世界に迷い込んだような錯覚に陥る。
特等席の最前列の椅子に座り、ぼんやりと池を眺めた。
(……礼拝堂は夜のほうが綺麗よね……。せっかく泊ってくれてるんだし、イグにはこっちを見てもらいたかったな……)
だからといって、夜に宿泊棟の部屋に行くのはさすがにマズい。
聖殿の規則でも、職員と旅人の夜間の接触は緊急時に最低限の訪問に限定されている。
「この景色を見てくれる人……、今年は何人いるんだろ……?」
五十人ほどが腰を下ろせる礼拝堂は祭典の時くらいしか満員になることはない。
それでもほとんどが日帰りで、遺跡の見物とお祈りを終えたら、さっさと他の聖殿へ行ってしまう。
宿泊してくれる人も、昼間サラ達が言っていたように、宿が空いていなくてしかたなしに来た人ばかり。フルスに興味がある人なんて、一割もいないだろう。
どれだけ頑張って掃除をしても、タリスマンを磨いても、旅人が集まるのは賑やかな王都や派手な伝承が残る聖殿ばかりなのだ。
水の精霊王を祀る地では「湖の真ん中に立つ聖殿」はさほど珍しくないし、どちらかというと湖や水源は黒滅帝の代名詞だ。「遥か昔に精霊が舞い降りてきた島」という伝承もあちこちにあって物珍しさはない。
「はあ……、昔はもっと賑やかだったらしいんだけどなあ……」
華やかな地方都市ブルクルの寄宿舎で暮らすうちに、人の来ない辺境の聖殿で一生を終えるのは虚しい気がしたのは否定しない。
大聖殿への推薦を断った時、モヤモヤしたのはきっと、そんな思いがあったからだろう。
(……イグの言う通りなのよね……。普通は目的があるから巡礼士になるのに……。やりたいことも行きたい場所も、何にもないくせに、旅に出る意味って、あるのかな……)
十二の精霊王の加護は年々失われつつあると言われている。
真相は誰にもわからないし、そもそも、精霊界や精霊王が本当に存在しているのかもわからない。
だけど、リィルがフルスに来てからの十二年の間に瘴気が大量発生する「魔の霧」と呼ばれる現象が世界中で頻発するようになったのは事実だ。
大量発生した瘴気はそこに住まう動物達を侵し、獣達が異形化した魔獣が街道や村に来ては人を襲うようになった。
行商人も旅人も傭兵を雇わなければ命の危機に直結しつつあり、一人旅が基本の巡礼士や研究者の在り方についても聖殿の上層部の間で議論されているらしい。
そんな状況だから、巡礼士試験を受けると言えば間違いなく反対されると思った。もしかすると、あの時の自分は反対してほしかったのかもしれない。
だけど、叔母を始めとするフルスの面々はあっさりと賛成してくれた。
(どれだけ順調でも、巡礼の旅は三年はかかるわ……。旅先で亡くなる巡礼士も多いって……)
巡礼士試験は大聖殿の管轄地全土から志望者が集まり、百人に十人ほどしか合格できない最難関試験の一つだ。
なのに、合格者の半数は最終面接で辞退を申し出る。祭典の間、実家に戻って家族と共に過ごすうちに、決意が揺らぐのだという。
面接だけが祭典明けになっているのは、受験生に問う為なのかもしれない。
二度と戻れないかもしれない旅に出る覚悟は本当にあるのか?
その旅に、家族と故郷に別れを告げるだけの意味があるのか?
旅に出てしまったら最後、巡礼を終えるまでやめられないのだぞ、と……。
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