第二章 一日の終わりに

第1話

精霊の釣り鐘草エレル・カンパニュラの育て方ですか? でも、この地域の紅龍の釣り鐘草レッド・カンパニュラは全滅したはずじゃ……?」

「そ・れ・が! フルスには残っているんですよ……!」

 食堂でイグの向かいの席を陣取ったリタ=ルリハとイルク=エフォットは身を乗り出した。リタは魔法薬調合師で聖殿内の薬草園の園長も兼任し、イルクは魔法医師志望の治術士だ。普段はバカップルを余すところなく晒している二人は、いつになく真剣な面持ちでテーブルを囲んでいる。

「十二の精霊王様がそれぞれの民に授けてくださった精霊の釣り鐘草……、現在は蒼月王領の祈りの釣り鐘草プレア・カンパニュラしか残っていませんが……、」

 リタは黒い目を子供のように潤ませた。

「聖殿の宝物殿の奥に種が保管されていたんです……! それを先代の園長が芽が出るところまで育てて、私が跡を継いだのですが……」

 イグはシチューを食べる手を止めた。その顔から笑みが消えていく。

「芽を出して、ずっと枯れずに……? 何年も眠っていた釣り鐘草がですか?」

「ええ……! きっとフルス聖殿の水が合っていたんです……! 後は花さえ咲かせてくれれば……っ」

「リタ、少し落ち着いて」

 イグのティーカップにハーブティーを注ぎ、イルクは興奮気味のリタのカップと自分のカップにお茶を注いだ。

「どうぞ。薬草園で育てているハーブです。旅の疲れが取れますよ」

「ありがとうございます。いい香りですね」

 嬉しそうにイグはお茶を啜っている。

 香りを楽しんでからカップを傾ける動作がやたらと優雅で様になっているあたり、上流階級出身なのかもしれない。

「釣り鐘草の花は瘴気を吸収するばかりか、乾燥させてお茶として飲めば、体内の瘴気を取り除いてくれるのだとか……。蒼月王領に魔の霧が発生しないのは、領土内で咲き乱れる祈りの釣り鐘草が瘴気を片っ端から浄化してくれるからだと聞いています……、ですが、祈りの釣り鐘草は他の精霊王の領土では枯れてしまいますから……」

 イルクは寂しそうに笑った。

「山間部では、魔の霧に呑まれる村が後を絶ちません。紅龍の釣り鐘草を復活させることができれば、瘴気被害を減らせるはずです……。なんとかして、花を咲かせたいのですが……、僕達には、これ以上どうすればいいのか見当もつかなくて……」

「ですから、イグさん! 明日、ぜひとも薬草園にお越しになりませんか? 蒼月王領の研究者として何でもいいですから……! 何か、ご意見を頂けたら……っ」

 人語を話す魔獣を見ているような顔でイグは二人の話を聞いていたが、やがて笑みを浮かべた。

「僕も興味があります。明日、ぜひ……」

「本当ですか!? ありがとうございます……!」

「よかったね、リタ……!」

 ――よ く な い  か ら ……!

 盛り上がるテーブルを横目に見やり、リィルは白身魚のソテーにフォークを突き刺した。フォークが貫通したソテーを一口で頬張り、モシャモシャと咀嚼する。

 レプス湖で獲れるレプス鱒は肉厚があって油も乗っている上に、調理師のカルハの腕が加わって絶品だが、何故か今日は味がよくわからない。

「あ、あの、リィル……、リタさん達、悪気はないから……」

「……うん……、ないと思う……」

 あの後、予告通り二回の追加の荷物が届いて、ようやく全部運び終えて食堂に来てみれば、イグの両隣にはサラとシャーリー、前の席にはリタとイルクが座っていて賑やかな夕食タイムが始まっていた。

 あまりにも盛り上がっていて楽しそうだったので、なんとなく入っていきづらくて、少し離れた席に座ったが、どうにも楽しくない。

(薬草園はダメだってば……! あそこは珍しい薬草だらけで、研究者キラーなんだから……!)

 客が少ないフルスだが、マニアックな薬草の研究者だけは祭典のない時期でも訪ねてくる。彼らによると、珍しい薬草や絶滅危惧種が薬草園にはてんこ盛りで、研究価値が高いのだという。

 イグが何系の研究者なのかは聞いていないが、植物系だったらアウトだ。入り浸ってしまって、卒論の相談どころではなくなってしまう。

 それに、明日はフルスの遺跡や地底湖を案内しようと思っていたのに……。

「いいな~~、リタ姉。じゃあ、サラも明日は薬草園でお手伝いする~~!」

「わ、私も……」

「あらあら、じゃあ、サラもシャーリーも、明日は薬草のお勉強しましょうか?」

 元気の良い返事が見事にハモった。

(……いいなあ……。私も明日は当番変えてほしいなあ……、)

 後ろ向きな気持ちを呑み込むように、ハーブティーを一息で飲み干すと少し落ち着いた。

「ねえ、リィル……」

「なに?」

 ルーシェは意味ありげに笑って声を落とした。

「イグさんのこと、気になってる?」

「はあ!?」

 予想よりも素っ頓狂な声が出た。両手を突いたテーブルがミシリと音を立て、四隅でタリスマンが輝く。リィルの怪力対策の補強用タリスマンだ。

(しまった、つい……!)

 慌ててイグ達のテーブルを見ると、サラが何やら言ってイグを笑わせ、コソッとこちらに向けてグッと右手を握った。フォローしてくれたらしい。

(ありがとう、可愛い妹分よ……!)

 当事者にしかわからないほどさりげなく返事を返し、座り直す。

「もうっ、うっかりテーブル壊すところだったじゃない……。いきなり、なに……」

「ご、ごめん……。そこまで取り乱すと思わなかったから……。でも、」

 ルーシェは少し悪戯ぽく笑った。

「リィルが力のセーブ忘れるの、久しぶりに見ちゃった。いつも、他の精霊領の研究者さんや巡礼士さんが来ても、もっと事務的だよ?」

「そ、そうかな?」

 ルーシェはにっこりと笑った。

「ねえ、イグさんって、実用的なものと、芸術的なもの、どっちが好きと思う?」

「へ? な、なんで??」

「ほら、また焦ってる~~!」

 クスクスとルーシェは笑った。

「安心して。私はリィルの味方だから。応援してるよ~~?」

「もう、面白がってるでしょ?」

 ハーブティーをもう一杯飲んで気分を落ち着ける。

 よくよく考えれば、ルーシェは年上が好きだ。彼女から見て年下だろうイグは対象外のはず。

「あれ? そういえば、叔母さ……、神官長は?」

「まだ来られてないみたい……。今日も忙しいのかな……?」

 いつもは食堂で全員が揃ってお祈りをしてから食事に入るが、祭典期間中と前後一週間だけは違う。めいめいにお祈りをして食事を済ませ、すぐに作業に戻っていく。人が少ない地方聖殿ではよくあることだ。

 日頃から忙しいベリアがこの時期に大幅に遅れるのは珍しいことではない。だけど、特にここ数日はまともに話もしていない気がする。

「ベリア様、大丈夫かな……。最近、夜遅くまで執務室に明かりがついてるの……。去年はもう少し早く休まれてたと思うんだけど……」

 ルーシェはタリスマンの加工で夜遅くまで工房に籠っていることが多い。この時期は工房で眠りこけていて、巡回してきた聖騎士の二人に付き添われて部屋に戻ってくるのが平常運転だ。

「アルゲオ様も大聖殿に出張してるし……。出張は毎年だけど、今年はちょっと長いよね……」

「この時期に副神官長が長いこと出張しちゃうとシビアよね……。地方聖殿はどこも同じみたいだけど……」

 ベリアを補佐する副神官長のアルゲオは、祭典初日の式典に参加する為に大聖殿に出張中だ。式典前に大事な会議があるらしく、大量の書類を抱えて、いつもより五日も早く旅立って行った。

「今日は図書室の掃除で終わりだし、ついでに執務室に様子見に行ってこようかな。ルーシェも早く寝ないとダメよ? 昨日も工房で寝ちゃってたでしょ?」

「う……、日付が変わったあたりまでは覚えてるんだけど……」

「もう、いくら聖殿の中だからって、用心しなくちゃ。明後日まで聖騎士コンビもいないんだから……」

 自分の言葉に何故かゾッとした。

 フルス聖殿は領内最大のレプス湖の真ん中の孤島に立っていて、陸地から魔物はおろか獣が迷い込むことも滅多にない。正門と裏門、二つの水門を閉ざしてしまえば城壁の外側のみならず、頭上にもドーム状の魔力結界が生じて瘴気を遮断し、入り込んだ瘴気は敷地内を流れる小川と噴水の聖水によって浄化され、魔の霧をも寄せ付けない。

 何も問題なんてないはずだ。

 なのに――、ずっとモヤモヤした何かが心の中に立ち込めている。

「どうかしたの?」

「な、なんでもないの。食べ終わっちゃったから、執務室に行ってくるね! お先!」

 トレーを返し、食堂を飛び出した。

 膨れ上がる不安を散らすように、足に力を入れて、思いきり駆け出した。

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