第四章 審判者
第1話
「少しの我慢だからね、シャーリー! すぐにブルクルに着くからね!?」
意識のないシャーリーを背負い、リィルは階段を駆け下りた。
(ブルクルまでは、どれだけ急いでも二時間だっけ……)
だが、それはよく晴れた昼間での話。夜中に魔の霧の中を進むとなると、どれだけの時間がかかるのか検討もつかない。
(イグ……、宿泊棟にいるわよね……!?)
普通ならば寝ている時刻だ。
起きていれば、魔の霧に気づくはず。聖殿内では、旅人は非常時は各聖殿の指示に従うのが世界中の聖殿共通の規則だから、宿泊棟で指示待ちしてくれているはずだ。
だけど、散歩にでも出ていたとしたら、この広いフルスのどこにいるのかわからない。
不安要素しかないが、彼が精霊の寵児で、瘴気への強い耐性を持っている――、今は、それだけでも安心できた。居場所がわからなくても、彼は無事だと、生きていると確信できるのだから。
「リィル……、お姉、ちゃん……」
小さな声に立ち止まった。
「シャーリー! よかった……! 気分は……」
咳き込む声に慌てて少女を下して背中をさすってやる。
「だ、大丈夫!? 苦しいの!?」
シャーリーは一般精霊族だ。人間のように瘴気が体内に入るなり命を落とすことはないが、魔力容量は小さく、瘴気への耐性も低い。
魔の霧の高濃度の瘴気を浴び続けたり吸い込み続ければ、数時間で衰弱死してしまう。とりわけ、幼い子供は体が小さい分、瘴気が全身を侵すのも早い。
「わから……ない……っ」
ケホケホと咳き込む顔は真っ青だ。
リタとルーシェの青ざめた顔が過り、ゾッとした。
(どうしよう……っ)
叔母に言われた通り、浄化と治癒用のタリスマンをありったけ発動させて、シャーリーに身につけさせている。
意識が戻ったということは効いているはずだが、本当の難関はここからだ。
居住棟を出れば、瘴気を遮ってくれるものが何もない中庭だ。そこを横切って宿泊棟に行き、そこから更に先の裏門まで行って、魔の霧に覆われたレプス湖を下らなければならない。
(体に入った瘴気の浄化は、普通はタリスマンに浄化剤とか薬草を併用するんだっけ……、叔母様の部屋にあった瓶は全部空だったから、もう使ったってことよね……)
医務室にいけば浄化剤も薬草もあるが、目的地の宿泊棟や裏門の反対側の棟だ。
仮に辿り着けたとしても、この瘴気の中で経口の浄化剤を口にするのは危険だし、薬草も枯れてしまっているだろう。
だからといって、ベリアがいない第一居住棟に置いていけるはずがない。
(そうだ……! これ、蒼月王だっけ……!)
ペンダントを外した。小さな掌に鎖を巻いて石を固定し、マスクに覆われた小さな顔を覗き込んだ。
「シャーリー……、これ、握ってて……。少し楽になるかもしれないから……ね?」
蒼月王の精霊石ならば、発動させられなくても浄化能力があるはず。首からかけられればよかったが、精霊石から放出される魔力は強力すぎて他のタリスマンを無力化してしまう。
「少し外に出るけど……、頑張れる?」
コクンとシャーリーは頷いた。
無理をしているのがわかるが、他に方法はないどころか、時間が経つ程に事態は悪くなっていく。
「苦しかったら、すぐに教えて! 遠慮しなくていいからね!?」
小さな体を背負い、廊下を突っきった。
玄関の外は黒い霧が不気味な生物のように蠢きながら流れ、紅い光を帯びているはずの噴水の水は灰色に染まっている。
――行かなくちゃ……っ
竦みそうになる足を叱咤して駆け出した。
宿泊棟にはイグがいる。彼と合流さえできれば、シャーリーの手当ができるかもしれない。
この最悪な状況も、きっと少しは好転するはず――!
根拠なんてなければ、合流できる保証もない。それでも、今はそう信じ込まないとおかしくなってしまいそうだった。
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