第一章 舞翼の奏主の月二十七日 午後四時

第1話

 遥か昔、この世界には精霊界だけが存在した。

 そこには精霊達の王「十二の精霊王グラン・エレメンツ」が君臨し、彼らの眷属である精霊達が住まう理想郷だったという。

 しかしある時、時空の彼方から魔王が現れ、精霊界との全面戦争が勃発した。

 戦いは熾烈を極め、精霊界の大地は砕け、下界の海へと堕ちた。

 その大地の欠片こそが、人類が住まう世界「パンタシア」であり、精霊界から分かたれた現在も精霊王の魔力は大地に宿り、その加護は世界の至る場所に及んでいる。

 人々はそれぞれの土地に魔力と加護を与える精霊王を守護神として祀り、その魔力の境界線に沿って国を興した。

 すなわち、


 芸術国家シュプーケス王国の守護神・創造と破壊を描く土の王 幻像王フェイク・イリュージョン

 島国イドゥロ王国の守護神・境界を切り裂く風の王 界斬王ヴォルティクス・シルフ

 海中国家イクシス公国の守護神・大海を統べる水の王 聖海龍王アクア・ロード

 砂漠の大国ヴィダ王国の守護神・紅蓮の炎の化身たる火の王 炎帝リガル・サラマンダー

 森林の国シュテリア王国の守護神・大地を統べる土の王 地王グレイス・ノーム

 天空国家ジュメリ公国の守護神・調和を奏でる風の王 舞翼の奏主ツイン・ハルモニア

 水の国ルーリョ王国の守護神・紅き流れを司る水の王 紅龍皇帝レッド・オンディーヌ

 火山の国レーヴェロ王国の守護神・獰猛なる獣の魂宿す火の王 火獣王クリムゾン・ハウリング

 魔導国家パルセ王国の守護神・天地の叡智を司る土の王 深淵王シルバー・ハーミット

 極寒の国ヴァーゲル公国の守護神・秩序を司る厳格なる風の王 厳白王ノーブル・ニンバス

 剣の国コルピクス王国の守護神・漆黒の刃を纏う水の王 黒滅帝グリム・スパイラル

 浄化魔法の国ソティスト王国の守護神・慈悲深き聖炎の王 蒼月王プレア・ヴェール

 

 人々は生まれた地を守護する精霊王の魔力を帯び、精霊界の名残とされる精霊遺跡から発見された魔法やタリスマン、錬金術を解明し、今日の文明を発展させてきた。

 途切れることなく世界に加護を与え続ける十二の精霊王への信仰は時の経過と共に強固なものとなり、王達に感謝を捧げる精霊王祭グラン・フェスティバルが、月ごとに国を変えて開催されるようになって、数百年が過ぎた。


 

「ね、その髪と目の色は精霊族シャーマンよね!?」

「そうだけど……、やっぱり、他の国の人から見たら変な感じかな……?」

 イグは自分の髪に触れた。藍色の髪がサラサラと指の間を流れた。

「ううん、とっても綺麗! もっと黒髪に近い青だと思ってたんだけど……、本当に蒼い髪なのね……」

「少数派だけどね。どちらかっていうと、金髪のほうが多いみたいだよ」

 精霊族は十二の精霊王の加護を強く受けた者の末裔達だ。その証は髪や瞳の色を始めとして、身体能力や強い魔力となって表れる。

 世界は精霊王の魔力を受けた土地ごとに十二に分けられるが、精霊族の容姿も地域ごとに特徴がある。

 例えば、イグの蒼い髪と瞳は守護神・蒼月王の魔力を受けた蒼月王領の精霊族そのものだ。

「君も精霊族でしょ? 紅龍皇帝領の」

「あら、わかる? 一発で当てられる人はあんまりいないんだけど……」

 自分の長いストレートの白金髪プラチナブロンドを思わず撫でた。

 ここ紅龍皇帝領の精霊族は、金髪か赤髪に茶系の瞳だ。

 紫がかった赤髪は紅龍皇帝領の精霊族特有の色だが、リィルの白金髪にセピアの瞳のように金髪と茶系の瞳を持つ精霊族は他の精霊王領にも沢山いるし、人間にも同じ色の髪や瞳は珍しくない。

 それだけに、魔法を使ったり戦っている姿を見せない限り、一目でリィルが精霊族だと見抜く人は少ない。

「それだけ魔力が強ければね。それに、『ワイトフォール』は紅龍皇帝領の聖殿関係者に多いファミリーネームだもの。さすがにわかるよ」

「『研究者は賢者の卵』って聞いたことあるけど……、そういうことまで知ってるんだ……」

「まあね……、研究者を名乗るなら、これくらいは知ってなくちゃ」

 謙遜しているわりには、イグは照れ笑いを浮かべて視線を彷徨わせた。

(あ、けっこう可愛いかも……)

 童顔なせいもあるだろう。小さな子供のような無邪気な笑顔で、見ているこちらまで和んでくる。神学校にはいないタイプだ。

 ふと、彼は机に広げたままになっていた本に視線を落とした。

「『幻想夜ファントム・ナイト』の記事……? 調べてたの?」

「うん、ちょっと興味があってね」

 幻想夜は、世界各地で起きている怪現象だ。

 無数の幻蛍フェアリーが宙を舞い、その僅かな時間の間だけ、蛍が舞う空間ごと異次元に迷い込むという。

 精霊界への入り口に続いているという説もあれば、魔王が目覚める前触れという不吉な説もあって、研究者によって見解はいくつも分かれているが、調査は全く進んでいない。

 不思議なことに、幻想夜は確かに存在するのに、どういう現象なのか、その始まりと終わりでさえ詳しいことはわかっていない。

 幻想夜に遭った全員が、「よく覚えていない」と口を揃え、記録もほとんど残っていないのだ。

「正体不明の怪現象って、夢があるじゃない。最近は瘴気ブラック・エーテルとか魔の霧デモン・フォッグとか、暗い話題ばっかりだもの……」

 溜息交じりに本を閉じた。

「でも、幻想夜は卒論にするのは厳しいわよね……。世界のどこで、いつ起きるのか、誰にもわからないんだもの……」

「ワイトフォール補佐は神学校生なの? 卒論のテーマ探してるなら、四年生くらい?」

「ううん、五年生。ブルクル中央聖殿の神学校に通ってるの。普段は寄宿舎にいるんだけど、今は祭典前の長期休暇中」

「五年?」

 イグは眉をひそめた。

 なんとなく、彼が考えていることと次に口にするだろうセリフがわかった。

「今年で卒業なのに、この時期に卒論のテーマが決まってないって……、ヤバくない?」

「う……、まあ、そうなんだけど……、事情があるっていうか……」

 出入り口から風と足音が入ってきた。

 白を基調とした神官服に臙脂えんじ色のマントを羽織った金髪の女性は、こちらに気づくことなく奥へと歩いていく。

「……フルスの神官さん?」

 こそっと囁いたイグに合わせて声を落とす。

「ベリア=ワイトフォール神官長。このフルスのトップよ」

「……ワイトフォール? 君の……、姉さん?」

「ううん、叔母。挨拶しとく?」

「忙しそうだから、後にするよ。祭典前は邪魔しないようにしなきゃ」

 イグが言うように、ベリアは何事か考え込んでいる様子で足早に資料室へと消えてしまった。

(叔母様……、帰省してからずっと難しい顔してあの調子だわ……。時間があれば資料室にいるみたいだし……)

 神学校が休暇に入って帰省してきたのが七日前だから、本当はもっと前から悩んでいたのかもしれない。

(祭典のことで悩んでるのかしら? でも、あんな深刻な顔してるの初めてなのよね……)

 一年に一度の紅龍皇帝の精霊王祭が行われる祭典月が来週に迫っている。正確には、あと三日だ。

 精霊王祭は、王を祀る聖殿はもちろん、各地の精霊王領に位置する国が威信をかけて行う、まさに年に一度の一大国家イベントだ。

 神学校もこの期間は休校で、生徒は実家の手伝いの為に一斉に帰省する。

 祭典月の間は、世界中から見物客が押し寄せ、辺境の地方聖殿にも旅人や研究者、巡礼士の訪問が倍増し、とにかく忙しない。

 このフルスも例に漏れず、祭典直前の今は最後の仕上げや段取りでかなり忙しい。補佐のリィルでさえ、これが今日初めての休憩だ。

 更に忙しいベリアが煮詰まっていてもおかしくないのだが――、祭典の悩みとは、何かが違うような気もする。

「そろそろ行こうかな。宿泊手続きは礼拝堂の隣の事務局だよね?」

「待った!」

 咄嗟に少年の腕を掴んだ。何故か、どこかへ行ってしまう気がした。

「案内するわ! 眺めのいい部屋が空いてるの!」

「気持ちだけもらっておくよ。卒論、頑張ってね」

「そう言わずに……! お客様のご案内も、あたしの仕事だもの!」

「でも……、この時期に卒論のテーマ探してるって、かなりマズいよ……? ちょっと言いにくいんだけど、卒論落として留年コース、ほぼ確定だよね?」

「言いにくいわりには、けっこうハッキリ言ったわね……、じゃなくて! で、できればでいいんだけど……、相談に乗ってほしいな、とか……」

 切実な顔をしていたのだろう。

 イグの顔に心の底からの同情と憐みが浮かんだ。

「いいけど……、僕は蒼月王領だから、あんまり参考にならないかもしれないよ?」

「あ、ありがとう……! 聞いてもらえるだけでも、助かるから……!」

「とりあえず、場所を変えない? 神官長さんもいるし、図書室でこれ以上話すのはちょっと……」

「そうね……。あ、そうだ、あたしのことは、リィルでいいわ。『ワイトフォール補佐』って、呼びにくいでしょ?」

「じゃあ、僕もイグでいいよ。短い間だけど、よろしくね、リィル」

「うん! よろしく!」

 生まれて初めて、別の精霊王領の友達ができるかもしれない――、そう思うと、意味もなくはしゃいだ気持ちになった。

 これが、「短い間」どころか、何年かかるかわからない、遠くて長い旅の始まりになるなんて、思いもせずに。

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