モノローグ06 またどこかを間違うのか
いくら考えていても似合う答えを思いつかなくて分からなくなったのだけれど、けっきょく頭にもう一度さっと電流が流れるようにしびれることになって、追いかけるように血の流れで足から上へ針金がみゃくに沿って入ってもらってもなおピリッとうずく感じがしなくてかえってもの柔らかで温かく膨らんで腫れてもらって、ガンガンなる瞳と耳から一抹の名も無き火がごっそり燃えあがってきてくれた俺には、どうしてピクリと動きながらもつれることになりかけそうな手のひらにあの刃ぶっているものがどう捨てたいと思ってみてもきっちり張り付いてくれたとすらも、知恵を絞っていても思い解かなくなりそうだった。
そんなになにか名状(めいじょう)しがたい答えを見つけるとちゃんと教えてもらいたいという気持ちが分かるようにさせるのか。そんなになにか後戻りしがたい答えを探し当てあげていなくちゃならないという気持ちが分かるようにさせるのか。
分からなかった。分からなくなったのだけれど。
知らず知らずのうちにずっと俺の周りにうろつきながら波立ちかけてきて淡い緋色になった靄(もや)が潮が干たごとくちらちらと散り落ちて乱れ広がっていく。
間もなくだんだん遠ざかって散らばっていて生気がしなびることになったらしくて淡い靄(もや)には枯れた落ち葉みたいな霧つぶがちらついて、もともと淡い緋色がもっと淡いバラ色になりかけて、ステージの稜角(りょうかく)もちらつきかけて、すべてはしだいに最初の模様に戻れそうになるとぼやぼやしながら気がするのだけれど。
「なんだ、またその目つきか?あたしに詭弁(きべん)で言い訳を話せるつもりか?」
「いいえ…」
「…」
「…」
悪夢の続きはまだまだ日常茶飯事(にちじょうさはんじ)のように毎日この家に上演されてもらったのだ。
もう疲れてしまった体を引きずって歩きながらはっとため息をつく俺に視線を向けたはずみに由も聞かず、頭ごなしにしかり飛ばしてくれるのは間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
壁にもたれないなら腰で体を支えられなくなって、いいえと言わないなら心で悪夢をひと時に掠められなくなるのは間違いなく俺のいわゆる自分だ。
息づまるところはどこ、それをくぐってゆける方法はどこ、どうやって見つけるとまったく分からなかったのだけれど、くぐり抜けそうになる考えがふと湧き出そうなたびになにか変わるらしいものに気づいていた俺はやっとその「なにか」を目の当たりに見かけるなんだ。
あれは悪夢の日常に言われるいつもよりいつもながらの夕暮れだった。
そういつもほどの評価が言われる評価軸(ひょうかじく)は自分に分からなくていてもよく知っていて、おばさんの罵声大会に荒く張り上げられた声の程度だ。汚らわしい話をだんだん深く浸って溶けて溺れそうになる俺はひっしにそのざわざわした声を自分の中に入ろうとする耳を塞いでみて、瞳を覆ってみたのだけれど、けっきょくのところは完全に無駄になることに気づいた。それにしても、せめて自分の心に染みられないほうだけでもいいとぞくぞくと祈っている俺にとって、絶えずに方息をつくのを借りて持ちこたえつづけてこれるようにしかなに一つの方法を持ち合わせなかったのだ。
「また先生に親を呼びなさいって言われたか?!」
「うん…」
「何度も何度も事を好んでどの家(うち)の問題児か?!」
「…」
「ぴゃん!!~~」
「頭を下げるな、言えよ!」
「…」
また怒りがこみあげて腹を立てながらぴゃんって張り飛ばすのは間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
そしてまたほとばしり出る呪いのような言葉をこらえながら言いたいことを飲み下した末に、ぴゃんって張り飛ばされて癪(しゃく)の種と見られるのは間違いなく俺のいわゆる自分だ。
行きづまってそんなひしひしと身に迫る言語を服毒の如くがぶがぶ飲まざるを得ない俺の周りに、あのドライアイスで作り出してくれたごとく立ち込める靄(もや)に枯れていて薄くなったはずの霧は、あんな考えが湧き出るときともなると、すぐにそれぞれの見当を早めに知っているようにゆっくりと寄り集まることになりかけて、追いかけるようにひと固まりになった霧がまた前と同じような生気に戻ってきたうえに、さらに前よりもっと濃い緋色になりかけながらなにか強いにおいをかぎ当てるらしくて、よみがえる魂みたいにところどころに流れかけてきた。
どうしてよいかわからずお手上げのていになって逃げおおせたいと思ったのだけれど、けっきょく足がなまりのようなものを注ぎ込まれたごとく極めて重くなって、どうもがいていても抜き出さずに立っていて、いや、あのよみがえる魂みたいな雲霧(うんむ)は俺の存在を気づいたはずみに、事前に約束したように、はたなにか嗅ぎ当てるように俺の周りへとどんぶりこ流れてきて舞いまわりかけて、速度を上げるとともに濃くなった緋色が柔らかいに煙の液体と化して、何気ないうちに俺の足がすでにそのかすんだぬかるみにだんだんと落ち込んでいる。
「欠点と言えるところはどこ、それをおぎなってゆける方法はどこ、どうやって見つけるとちゃんと教えてやるよ…」
いきなり俺の中にそんなかすかな呼び声がみゃくに沿って伝わってきた心臓の鼓動につれてどんどん押し流してくれた。追いかけるようにまだまだいいのかわるいのか、正しさなのか間違いなのかとうろうろした俺の体をすっと逆巻いた激浪のような上昇気流がピッタリ包むことになった。
止められなくて、止まらないのだ。
もう晴れなさそうになった霧がもう一度肌に張り付きながらそれをうまく嚙みこなして、かえって前にあんなさまざまに苦しくてしょうがない気分がおもむろに深呼吸をするにつれてリリースされて、思わず落ち着いてきて、手も足も胴体も今までのなくすっきりとしそうになって、ほんとうは夢みたいな感覚しか覚えていないのだ。
ただ、あんな安心感を給ってくれるのはやっぱりあれを欠くことができないのね。
前にも赤い霧ののぼるとともに現れて、優しい触感を持ち合わせていて、光があるあれ、そうだ、十センチぐらいのジャックナイフだそうだ。
そう考えると、握ったままの左手にずっと静かに宿っている温かみが柔らかにばらけて、そっと持ち上げるとやっぱりあの導こうとする呼び声のソースのナイフだそうだ。
だけど、意味不明な物言いでも優しいナイフでもどうやって区切ってその欠点と言える穴を満たしてこの嫌がる気持ちを消してあげていいのかと、まったく疑いが晴れなかったのだ。今度はまた自分の気分に則するのを選んだのか。
分からなかった。分からなくなったのだ。
ああ、たのむ、誰か教えてくれよ。
「ぴゃん!!!~~」
「なにか思う!とぼけるな!あたしの話も聞けねえのか?」
「いえ…」
また一発で張り飛ばされたのは俺のいわゆる自分だ。
「ったく、ほんと親に帰らせない問題児だわ!」
「へえ~?」
頬から伝わってきて引き裂いたような痛みにつれて、もともとむんむんのぼった湿っぽくて赤い霧が高い天井について、なのにさっきの話が雷みたいに強くて青い明かりと化して、はっと空から引き裂いてくれた。
親に帰らせない、問題児?!
俺は、そんなの問題児なのか?!
俺のせいで俺がいろいろな間違いをあやまったせいで、お父さんとお母さんに帰らせなくて、帰られなくて、帰られたくないのか?
俺は、そんなの問題児なのか?!
「なにお人よしを装うのか!」
「気取るなよ!」
「つれなく見てだけでひどい!」
「じろじろ見るな、キモい!」
「…」
「…」
いままでのみんなが吐き出してくれた言葉が全部、一つ一つの長い鎖のように俺の目の前にすらすら絡まりかけてきた。正確に言うと、俺の体じゃなく、俺の目の届くところのあちこちにもそんなうるさいうるさい罵声が一段ずつ巻き付くのをあがった。一回りする鎖はルーレットみたいに回りはじめて、俺の前へ、後ろへ、左へ、右へ、上へ、下へ絶え間なく回りながら金属音が聞こえた気がする。
そしてさらに天井までわがままに散り敷いてしまったのは間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
「あ…あ…あ…」
もう大声で呼んだこともできなくなってひたすら喘いでいる俺には、手も足もぐんと力を入れば入れるほどぶるぶる震えずにはいられなくて、ついに腰でも支えられなくなってぱっと後ろに転んでしりもちをついた。もう一度立ち直ってみる力も入らなくて、そのままあの赤い霧が溶けていったぬかるみに手をも足をも沈めて、溺れていく。
そのままでいいのか、そのままでいけないのね。でも。
「教えてやるよ…」
溶けていきそうになった俺の身にまたあの呼び声が届いた気がする。
自分の手でその物言いに答えを探し当てられなくなったら。
あの十センチぐらいのジャックナイフが教えてくれたら。
誰でもいい、教えてくれよ。
これからはそのまま自分の気分に則するのを選んでいいよね。
手をぎゅっと握りしめたら、左手にひそかに注ぎ込んだ優しい力が血の流れでみゃくに沿って体じゅうへ染みてくれて、さっきからずっと溶かしてもらいそうになった流れる霧もしだいに左手から入ってくれて、完全に前の荒れる波とちがって、すっぱり静まることになって、柔らかに俺の体を引き起こしてくれたのだ。
とっくりと伏し目がちに見ると、手のひらに宿る赤いものはきらきら光っていて、俺の手とうまく一つになって、いままでしかりつける後で体のあちこちに残っていた違和の裂き感も癒されるらしいだ。
ただ、どうしてのジャックナイフを持ち上げるのか。何をするつもりか。
分からなかった。分からなくなったのだ。
だけど、強いて言うならこのジャックナイフにもまたひとつの嫌がっておかしがるお笑いがあるそうだったね。
最初はある日のホームルームで先生に図工時間で使うべきものを説明してもらった。
「来週の図画工作科にステンシル版画を作って、みんなはカッターナイフを忘れないですよ!」
「「はい!」」
「とくに、笙くん、決してカッターナイフを持ってくるのを忘れない!」
「…あ、はい~分かりました…」
「「ははは…」」
強いメリハリの口調で知らしてくれた先生。
何気ないか故意(こい)かに耳が痛くなる笑い声がしたクラスメイトたち。
すぐにでも穴があったら入りたいぐらいに頭を下げた俺のいわゆる自分。
追いかけて家に帰った後でおばさんにカッターナイフを買いたいのをお願いしてみてあげた。
「は?また買ったものがある?面倒くせえな、これでいいか」
「えっと…もう少し…」
「なんだって?中古ぐらいでいい、はやく買ってきて晩ご飯やってくれ」
「…」
そのまま直接に会話をしまって言いつけてくれたおばさん。
いくら言っても無駄になったすえに小さい小遣いだけをもらうことに軽くあきれ笑いがした俺のいわゆる自分。
仕方がないで、言いつけられるときにしか出かけることができない俺は街に沿って歩きながら漁(あさ)って、やっといくつか曲がった後で片すみにあるリサイクルショップでいい値段のナイフ、つまりいま持ち合わせているこのジャックナイフを買ってくれたのだ。
かろうじて買ったナイフを恐る恐るパックする俺は帰ったら例外なく愚痴をこぼされて、幸い遅くなったとかご飯はまたしょっぱいとかなんとかだけでぶつぶつ言ってもらったのだけれど。
「笙くん!カッターナイフって買ったナイフじゃない!」
「「ははは…」」
強いメリハリの口調で頭に来てくれた先生。
はっきりとにやにや耳が痛くなる盗み笑いの声がしたクラスメイトたち。
すぐにでもこの空間から消えてしまったのだけれど、できなくてしっかりと目を閉め切って頭を下げてこぶしを握った俺のいわゆる自分。
かろうじて買ったナイフを恐る恐るパックする俺は学校に行ったら例外なくあざ笑われることになったね。
中古のものはどう考えてもちょっと旧っぽくてすらすら使えないけれどすごく安くて、それに俺にとって一番重要なことに、手を差し伸べてくれてばかりで嫌がる気分を与えてくれない。それは十分だ。
あんな安心感を給ってくれるのはやっぱりこのナイフしかなかったのだ。
だったら分からなかったって、分からなくなったって、持ち上げてもいいかもしれない。
なにせもう一度そっちにもたれて立ち直ってきてもらえる俺のいわゆる自分。
これからはそのまま自分の気分に則するのを選んでいいよね。
まだ何も気づいていなくてどんどん騒がしくののしってくれるおばさんに向かって一言でも出さない俺は唇を深くかじっていきながらまたいつものようにして、この汚される時間を更かしてみたいのだけれど。
「なんだ、またその目つきか?あたしに詭弁(きべん)で言い訳を話せるつもり?」
そんな言葉を聞くと、真っ黒な薔薇らしい花が彼女の顔からみごとに咲きこぼれるとはっきりと見えた俺は、手のひらに宿る赤い明かりは瞬く間に俺の左手から脳みそにかけてみゃくに沿って血に溶けていって頭の上にほとばしり出た。
いきなり自分の体が差し控えられないように動き始めた。
じろじろ彼女の顔を見上げて、はって深くため息をついていてもゆるめなくなって脳天にじかに突き進みそうな熱気の働きかけることによって、思い切って右手を前に差し伸べて彼女の左腕をペンチのように掴み取ってきて、ずっと後ろに隠していた左手をさっと前へ持ち上げて、窓ガラスから差してきた青い明かりの視線できわめて輝いている刃と、水色のワンピースを着ている彼女の胸のところに縫い付けたポケットを目線でつなげて、両方を代わりばんこに一目で見つめて、そして次の振る舞い。
ジャックナイフはまるでこの赤い空間で重力しか感じれないようにその蜘蛛の糸っぽくて細い目線伝いですっと目的地へと舞い落ちてしまった。
ただ、確実にぐさっと突き刺していったと分かった。分かることになったのだ。
「パリッ!!!」
パリッと彼女の体が薄い紙みたいに俺の左手の刃に引っ張って裂いてしまって、胸のところから血の吹き上げがぽっと勢いよくほとばしりながら噴き出してくれて、もともとみんなの言葉に一段ずつ巻き付くのをあがられた俺の目の届くところのあちこちすら、燃え上がった炎のような血の噴泉にぬぐい取られて、見分けるものすべてが果てしない鮮やかな赤色にぬぐい取られて、もはやなにも失われそうだった。
やっと、おばさんに俺の本音をまじめに告げてあげることが出来上がったのだ。
今度は出来映えをしておいた俺がみんなに褒めてもらえるのかな。
今度は間違いにお父さんとお母さんを帰らせてもらえるのかな。
目の当たりに見かけた俺は初めてこうにたにたと笑えることになったのだけれど。
ただ、どうしておばさんに予想通りにその答えを教えてもらわないのか。
どうしておばさんが予想通りにその答えを教えてくれないのか。
それだけじゃなくて、なにか思いもかけなくておかしいことが起こりかけそうだ。
「あああああああああ~~!!!!!」
「は…は…は…は…は…」
いや、まだまださまざまな反響(はんきょう)がのこって立っている。
すらすら抜き出してくれた俺の左手の刃と同時に投げ出したのは、彼女の喉からのぽつりぽつりな鋭い絶叫だった。
どくどく噴き出してくれた彼女の鮮血と同時にはみ出したのは、俺の喉からのぽつりぽつりな熱い息だった。
少しだけ我に返ったって頭がまだまだガンガンしていてぞくぞくと熱く膨らんできた俺の体に、噴き出した鮮血がわがままに舞い降りながらおもむろに染みていくことになった。ズボンにも、ニットにも、シャツにも、首にも、顔までも、さびついた匂いが軽く漂っているあの一縷一縷の赤色の液体はだんだんとうちに染み入って、張り付いて固まって冷えてきたのだ。
対照的にかっと瞳を見開いて口を広げて後ずさりしたのだけれど、ぞくぞくと張り裂けてきた彼女の体がひくひく震えながらヌードルみたいにぐにゃぐにゃと倒れて、どっかと壁にぶつかることになった。
「ドスン~~!!」
「どうした?!」
突然に男らしい声が遠くからぼんやりと伝わってきたけれど。
目の前に思いもよらない事件に首をかしげる俺だった。
いま、なにしてるの?なにしたいの?
そのまま自分の気分に則しただけじゃないだろうか。
左手の刃が突き刺さった前になおごてごてと並べているのに、どうしておばさんのほうがばったり倒れるのか。
どうして俺に欠点と言えるところをしかりつけてくれないのか。
ずっとそのまま自分の気分を持ちこたえているのは俺のほうだろう。
どうしておばさんのほうがさきにばったり倒れるのか。
ただその答えを探し求めてみたくてジャックナイフに教えてもらってそのまま自分の気分に則せざるを得ない俺だけなのに、どうしておばさんのほうがばったり倒れるのか。
ただその答えを求めてつづけていく俺だけなんだろうよね。
分からなかった。分からなくなったのだ。
まだまだその答えを探し当てられないんだよね。
まだまだ立ち止まられるはずがないんだよね。
おばさんの目を覚ますようにしたい俺には、体が同じくひくひく震えながらなお差し控えられなく前へずらされて、だらだらとなにか流れそうな声も聞こえた気だけれど気に留められない。
十センチぐらいの空気を隔てるそこへと踏み出して立ち止まって、壁にもたれて座り込んでひくひく震えた彼女が我に返ってなにかしかりつけてくれようとすることに気づくと、すぐにもうしだいに大きくなって赤く黒く咲いているところの下を狙って、もう一度突き刺さろうとする手が動き出す。
もう一回ならきっとなにか意味不明じゃない物言いを吐き出してもらえるんだよね。
もう一回ならきっとなにか答えを探し当てられてもらえるんだよね。
もう一回ならきっとばったり倒れられなくなるんだよね。
もっと多くの答えをえぐりたい俺なんだけれど。
一回、もう一回、再一回、左手の刃が上がったり下がったりしたのだ。
止まらなくて、止められないのだ。
「笙くん何してる?!やめろ!」
は?俺は何しているのか?
そのまま自分の気分に則して答えを探し求めるしかないじゃないのか?
いまの行動はダメなのか?
おばさんの目を覚まして答えを教えてもらうしかないじゃないのか?
またどこかを間違うのか?
どうしてまた間違いと判定されたのか?
そうなんはずじゃないだろうね。
ああ、誰でもいい、教えてくれよ。
すでに完全にびくともしなくなった彼女を見やって、呆然とした俺は空っぽになった。
時間が止まるごとく俺の周りにすべてが気分の鼓動につれて一度震えたきりリップルを返さないことになった。漂っている霧も湧き上がっているぬかるみも、一段ずつ巻き付くのをあがっている鎖のような言葉も絶え間なくくるくる回っている周りも、生きる魂に注ぎ込まれた鮮血まみれの目の届くところも、無声(むせい)、無息(むそく)、無知(むち)、無感(むかん)。
だら、だらと、だら、だらと、水漏れの時計が進行している声がかすかにはかなくて、まだ聞き分けない方向からだんだん大きくなるように伝わってきたのだけれど、そのわりに頻度はだんだん速くなったのだ。
ぼっと立っているままに前を見やる俺の頭上で、濃いより濃い赤色の小雨ががむしゃらに押し流してくれて、気がついたらすでにピンク色の土砂降りになった水流がさっと打ち寄せてきて、頭をあげるすらもできなくなった俺に、もともと鮮やかより鮮やかな色に塗られる周りがしだいに色褪せて、鎖のような言葉も壁も天井もいっしょに色褪せてラスティな錆跡になったらしくて、ひとむらのおぼろげな骨組みみたいなものばかりが残っている。
だんだんと俺の身に色褪せてくることになりそうだ。
「たったった~!!」
遠くからしだいに大きくなってどたばたとした足音につれて、まごまごしたおじさんらしい人の声がけたたましく飛び込んでひびき渡って、一瞬でびっくりされて動かずに立ち止まった俺になにも気づかぬうちに、両手を誰かがぎゅっとつかまれて引き離されどうだったのだ。
後ろに引きずり出された俺はもう一度ぐっと深呼吸をしてみようとしたのだけれど、けっきょくそんなことさえできない。まるで空気の抜けた風船みたいな俺の身にはどうしても力が入らなくて、引きずり出される途中で刃でも左手の中からするっと抜け落ちていった。
「ばたん!!!」
足元にぱっと落っこちてしまうその左手の刃と言えるはずなのに、いまや血まみれの凶器と言えるものに気づいてから、何をしているという疑問の中でその「何」が分かってもらいそうだった。
さつ…じん、なのか?殺人をしたのか?
そんなことをしたのか、俺は?
ただそのまま自分の気分に則して答えを探し求めるしかないじゃないのか?
おばさんの目を覚まして答えを教えてもらうしかないじゃないのか?
だったら、どうしてそんなことをしたのか?
そうなんはずじゃないだろうね。
ああ、誰でもいい、教えてくれよ。
また、あの針がねがみゃくに沿って入ってもらって血の流れでぴりぴりぐらつくだけじゃなく、抑えきれなくて引き裂かれるようにひどく腫れた痛む気分がもう一度頭の奥からがんがん飛び出そうなことになった。それに伴ってかなくさい味がどんどん流れながら周りのさびついて豊かな色に塗られた空気に巻き付けてひさびさに吹き飛べない。いまだに知られなかったにがい苦しみがすっと俺の目に鼻に、口に喉に突き入れて、まったくアコードができない二つの感覚が俺の奥をかき回しながらかき回して、俺の身を滅ぼして俺の命を息づまりに迫りそうになった気がする。
どうしてこんなに苦しいより苦しみを感じているはずなのか?
もう一息でも吸い上げなさそうな俺の心臓まで鼓動するごとにどんぶりともっと強い衝撃が奥から手にも足にも頭にも沸き起こってくれた。
ごくりとつばを飲み込んでみようとしたのだけれど、かえって何倍も知らなくてにがくて渋すぎる味がぐっと口の中に広がってきたのだ。
どうしてこんなもんになったのか。
分からなかった。分からなくなったのだ。
ああ、誰でもいい、教えてくれよ。
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