モノローグ04 善良とは、そういうものではないのか?
「ぜっぜっぜ、なんだその表情、なにか言いたくないのか?」
「…」
ベッドに臥してまっすぐ上を見かけるのは細かな羊雲(ひつじぐも)みたいな煙にもやもや立ち迷われながら煤っぽく染められて鈍いなまり色だらけの天井だけなんだから。
もともと一人で進んでいる俺を包んだ明るみも天井ときっかりとけじめをつけなくなりはじめてきて、正確に言うとその二つのシーンが密に織り合わせて溶けることになってきそうだ。いつも灯した一筋の明かりもあの件から薄暗くなったすえに、真っ黒な空間に囲まれるときのような光度だけを保たれていそうだ。場面の変わるとともに晴れていってもらえるようにするステージの上の霧もぼんやりと見えてもうもうとしたままに周りの空気をしだいに痛く溶けていって、波にゆれゆれと揺られるように転がりながら漂っていて、おもむろにはらりと零れ落ちていく。
うつろのような部屋にくりかえし響いている誰かの声が届くにつれて、目の前にくるくるのハローもまた凸レンズに映るように柔らかに突き出ることになった。追いかけるようにステージで周りの景色とシルエットが鮮明に浮き出てきた。
病室。
もしくは早いうちに分かってくるはずだった声のあるじ、目の前に渋い顔をして舌打ちをしている女は間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
そしてベッドに臥して少しも動きが取れなくなって、ものを言われないのは俺のいわゆる自分だ。
俺の目を覚ますのを待っていながら見かけるとすぐもどかしげな顔に眉をひそめてきてそう話してくれたおばさんは俺の半メートルぐらいの前にちんと座ったのだけれど、口にえがらっぽくてにがい味が広がっている俺はまだなにもしゃべれないことになったのだ。
ただ自分でもよく分かったのは、なにか言いたくないのかを単純に聞き取れないわけではないただいま、あんな重大な事故を解釈することができる言葉ならなんでも無駄になったのだ。冷蔵庫の件からもう三週間ぐらいを過ぎた今日に、少し回復している俺を見舞いに行ってもらう口実にまだ床上げもできない俺の前に現れた彼女の目的は、見え見えで決してあの日の事故の顛末(てんまつ)をじっくりと知り尽くしてくれるつもりじゃないで、見つけられたときにその息子の体にかぶってもらったスウェットにすらお礼を述べてくれるつもりじゃないで、ましてテレビの上で演じるように病気になった子どもに差し入れを持っていくなんてことはなおさらだ。
ついに聞くまでもなく主役としてもらう俺の責任を問うてくれると思えたのだろうか。
それともなんの由も聞かず、ただ頭ごなしに叱りつけてくれると思えたのだろうか。
どっちでもいい、今さら療養(りょうよう)することしかほぼなにもしたくなくなって、もしくはなにもできなくなって、ダメ人間になりそうな俺なんだけれど。
「日ごろは強がりがちじゃない?ここに来ると認められる勇気もないか?」
「…」
「…」
「…」
ざわつきながら大げさな身振り手振りをするのを日常茶飯事(にちじょうさはんじ)を見なすように俺の応えるのもかまわず、毒舌を叩きつけるのは間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
果たしてやっぱり思った通りで、なぜ彼女の息子をあんな危険極まりない場所につれて遊んでいくのかとか、この家にもう容れないのかとかなんとか、わざと息子を煽り立てていっしょに冷蔵庫に入らせて取り籠めるつもりのさえがみがみしかり飛ばしてもらった。
ただ、なるほどね、早いうちに分かってくるはずだったことだろうか。どっちでもおんなじだろうね。いつものように持ちこたえればいいと思えるのは俺のいわゆる自分だ。
「ふん、てめえのくそおやじとくそおふくろの顔といっしょでほんとむかつくな!」
たぶんそうかもしれないかな。こんなよそ風にも土砂降りにもびくびく震えるしかないとうったえる体で直接に言い返す気分もだんだんと消え去りそうだ。
十五分後、なんだか何としても悪口を言い足せなさそうで、おばさんはふっふって、すぐ前に置いたテーブルをぱっと叩きつけてから、ふんと立ち上がって病室から離れ去っていった。
また一人の空間に戻ったらありがたいと言えるぐらいの勿怪(もっけ)の幸いだ。
天井も周りの空気も淡い霧に絡まれて不条理な色が芽生えてきそうだけれど、ステージで景色とシルエットが鮮明に浮き出てきた明るみにも道しるべみたいな一筋の明かりにもそんなに明らかに光を放たなくなってきてくれそうだけれど、深呼吸で落ち着いてだんだんとなじんできた俺にとってはすごくいい気分なんだ。
なんだかなにか高層ビルみたいな難問が立ち並ぶ街を抜けてゴールに飛び込むようにしてから与えてくれるご褒美らしくて、その日からこの身がしびれることになった俺を迎えてきたのはめったに一切のざわざわしたことのない月日がはじまる。
当日に俺を冷蔵庫から引っ張ってしばらく顔を見せてくれたおじさんとさっきから見せなくなったおばさんだけじゃなく、学校のほうもあたかも俺に学業の役が消えることになってもいいように長いこと便りをしないで、なんだか不真実ほどの空間で生きている気がする俺だったが、ほうとうは素晴らしい覚えなんだ。
まだまだうまく動かずに横たわっている毎日に頭の中からずっと浮かんではグルグル回っているのは、クラスメイトたちに与えられてあげた高すぎる期待、おとなしく改めてあげなかった悪いくせ、及びなにかが欠けて招いた災いのことばかりだ。俺の中に物足りない欠点はいったいなんのかなって、一人一人のみんなに吐き出してもらったセリフに、いったいなんの意味が隠れるのかなって、違和を覚えながら考え込む日々を過ぎてくる。
ただ、なるほどね、早いうちに分ってくるはずだったことだろうか。そんな月日は無理もないだろうね、むしろ当たり前のようなことさえ言えるぐらいに、退院の日からこの身が自由になった俺を終わってきたのは深い色の薔薇みたいな花のつぼみのほころびることがはじまる。
もともと淡い霧がさっとなにかファンに湧き上がってもらうように周りへ流れてきて、しだいにステージまで飲み込みながら明るみに薄暗い色をじゅうじゅうに染みることになった。しかしちらっと見られて表れてきて違うところのは、後ろの景色とシルエットが鮮明に浮き出てきたのだけれど、くるくるのハローの飾った下にぼんやりと見えそうになりかけてくる。
「てめえなにそのにらむ目つきか?なぜくたばらねえのか?!」
「毎日あたしのお金を費やさされてあげてばかりで、恩返しまで知らねえのか?!」
「てめえのうざい顔を毎日見かけるとどうイライラになるなんか知ってんのか?!」
「うちに食うのも飲むのももらってもなお満足してねえのか?!」
「あたしたちの代わりに、こればっかりのことを働くなんかじゃごく当たり前じゃねえのか?!」
しゃべりながら一言をしかりつけてくれて、いや、しかりつけながら一言を言いつけて、追いかけてまたしかりつづけてくれるのは間違いなく俺のおばさんのことはずだ。
この身が生理的にノーマルな状態に回復したとたんにおばさんの家に帰るのを手配されざるを得ないあの日から、言及されるときにこうやって会話にひびき渡っているのは口汚なくののしるものでなければ、もっと口汚なくののしるものばかりの場面が新たな日常茶飯事(にちじょうさはんじ)にすっかり変わってもらったのだ。
朝ご飯は下ごしらえの不足で二分間だけ遅くなったり、掃除した後は疲れてすみに置いてある椅子で座ってちょっと休んでみたり、スーパーの代物(しろもの)の選択は割引きなしでちっとやそっとのより高く買ってきたりすらいったんすると、少なくとも激しく毒づいて、ひどいならののしりながら打ったり蹴ったりともよく遭遇することがあったのは俺のいわゆる自分だ。
そんな息づまる生活を送る中でぞくぞくと行きづまる道をうろついてくる俺だったけれど、あんなに冷ややかな温度を持ちこたえてくれば、いったいなにを手に入れるのかな。
朝起きるから夜寝るまでずっとずらずらと働いたり、ご飯を準備したり、部屋ごとに掃除したり、買い物に行ったり、クラスでみんなに手を差し伸べてあげたり、ワークブックを収めたり出たり、使い走りしたり、スケープゴートをしたりもやっていたのだけれど、そんな俺に手に入れるものはさまざまで意味不明で、俺の中にいったいなにが欠けるのもしゃべれない言い分しかなかったのだ。
できる限り周りの全ての人に手を差し伸べてあげるのに。
できる限り周りの全ての人に荒いトラブルを起こしてあげないのに。
できる限りあんな恐ろしい件まで後の子として助けてもらって逃げ出したのに。
だけどどうしてテレビに言い広めるように、褒めたり笑顔を返したりする人は、誰もいなかったのか。
それとも俺の中に「いい人になったら幸せになれる」という人生信条に対して理解が物足りないのか。
どうして今まで吐き出してもらった言い分もそんなことを解明しないのか。
高すぎる期待を早合点に与えられてあげなくて、悪いくせを改めたいと思って、欠点を知りたいと思う俺の純真でない善心に、いったいなにか物足りないのか。
いつでも笑顔でみんなのために助けるだけは助けてあげるなんて、
善良とは、そういうものではないのか?
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