第39話

 地上に出てすぐに彼女は通行人を差し向けてオレを止めようとした。人数は多かったがさっきより格段に使える空間が広い。すり抜けるのは簡単だった。

 操られた人間達をオレが躱している間に彼女は錆びれた立体駐車場の中に逃げ込んだ。彼女より僅かに遅れてオレも中に入る。

 駐車場は五階建てで地下にも二階あった。彼女の姿は視界の中にはない。この階に潜んでいるのか、それとも別の階に移動したのか。

 しかし悩むまでもなく答えは見つかった。

「足跡だ…」

 滴り落ちた水でできた真新しい染みがコンクリートの上に続いていた。足の大きさから見ても彼女のもので間違いない。

 足跡は入ってすぐの左手にある扉に続いていた。開けた先には階段があった。

 足音がコツコツと上から落ちてくる。彼女は上に上り続けているようだ。止まる気配がない。

 上りながらふと疑念が過った。なぜ彼女は上に逃げ続けているのだろう。地下でも同じことだがどれだけ上に行っても逃げ道はない。むしろ逃げ切れる可能性が狭まるだけだ。

 ただの悪足掻きなのだろうか。それとも…

 屋上に辿り着いた。扉を開ける。雨は、止む気配がない。分厚い灰色の雲が、濡れた衣服の重みが、ザアザアという雨音が感覚を埋め尽くす。

 屋上の縁にある柵、そこにもたれかかるように唯は立っていた。息が切れたのだろう。肩を激しく上下させている。

「もう、終わりにしよう」

 手を差し伸べて歩み寄った瞬間

「…うん、そうだね」

 彼女はごく自然な動作で、軽やかに柵の上に足を乗せて、立った。制止する間もなく彼女の体は地面に引きずられるように傾いていく。寂しい笑顔をしながら彼女は口をゆっくりと動かした。

『ごめんなさい』

 雨の音にさえぎられて声は聞こえなかったのに、そんな言葉が胸の中に響いた。

 一も二もなく駆け出す。自分の身の安全とか常識とか、そんなものを勘定に入れる余裕はなかった。一気に距離を詰めて、跳ぶ。身を投げ出した彼女の体を空中で捕まえた。彼女が驚く声が聞こえたような気がしたがそんなことに構っている場合ではない。

 勢いがつきすぎて向かい側の建物の壁面に激突しそうになる。なにもしなければ壁にぶつかってそのまま地面に落ちる羽目になるだろう。オレは耐えられるが彼女はきっと助からない。

 駐車場とその向かい側にある建物、この間にある川、そこに視線を向ける。自身はないが、やるしかない。

 壁に体がぶつかる寸前、身を捻って両足で壁を思い切り蹴った。反作用が足に伝わって苦悶の声が漏れかける。

 蹴りで得た速度そのままに川に突っ込む。着水する直前、自分の背中がぶつかるように上半身を横に捻った。どれほどかは分からないが少しはオレの方に衝撃が来てくれることを期待して。

 水切りの石のようにオレ達の体は何回も水面を跳ねる。その度にゾウに踏まれたような圧倒的な衝撃が全身を満遍なく打ち付けた。

 意識が飛びかけるのを必死で堪える。今はまずい。ここで気を失ったら溺れ───

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