第34話
住所を伝えられたので暇つぶしがてら様子を見に行くことにした。体が濡れるのはともかく鞄とその中にある教科書が水浸しになっては困るので、コンビニでビニール傘を買った。
春になればさぞ映えるであろう桜並木も今は紅葉を生らしていて存在感が薄い。春に花が咲いているのを見ていなければ桜だと言うことすら分からなかっただろう。
この並木道に面した一軒家に明は住んでいるという。ネイビーの外壁をしたキューブ型の家なんだとか。
ぼんやりとしながら歩いていると聞いていた通りの特徴をした家に辿り着いた。念のため表札も確認しておく。
「宮代…ここみたいだな」
学校を出て十分強程しかかからなかった。何故ここまで近いのに頻繁に欠席するのだろうか。八時に起きてもギリギリ間に合うだろうに。
呼び鈴を押してみる。反応は、ない。念のためもう一度押したがやはり応答はなかった。
「だよな…」
九条の話によるとヤツは雨降りの日に傘もささず外で立ち尽くすのが趣味の大馬鹿なのだ。家にいる訳はない。
しかしそれなら住所を伝えられてもどうしようもないのではないだろうか。気づかなかったオレも抜けているが九条も大概だ。
どうしたものかと振り向くと桜の木の下に人影を見つけた。白いシャツに褪せた水色のジーンズを履いた少年の後ろ姿。
傘は、差していない。欄干にもたれかかってその場から動こうとしない。
「…こんなところでなにやってんだよ?」
近づいて後ろから声をかけた。明は驚いたようで肩を僅かに震わせて振り向く。
「驚いた。キミがこんなところに来るなんて。それはともかく見ての通りなにもしていないよ。ただぼうっとしているだけ」
明はいつものようにニコリと笑っていたが、振り返ってオレに返事をするまでのほんの僅かな時間だけ憂いを帯びた目をしていた。しかし今はいつもと変わらないようにしか見えなかった。
濡れた髪が顔に張り付き、シャツも透けている。なんともみすぼらしいが、この男がやると案外様になっている。雄々しさよりも繊細さを感じさせる、そういう類の魅力が今のコイツにはあった。同性相手にこんな感想を抱くのは気色悪いだろうか。
「それで、キミこそなにやっているの?散歩には相応しくない天気だと思うけれど」
「…お前があんまりにもあんまりな趣味を持っているから心配だって、九条が言ってたんだよ」
そういえば『私の名前は出さないで』とかなんとか言っていたような。まずい、後で怒られるかもしれない。
そんなことを考えている内に明はパチパチと目を瞬かせた。
「…遥が?キミにそんなことを?」
「…ああ、そうだけど」
「少し驚いたよ。ボクのこと嫌いだと思っていたから」
九条は明に嫌われていると言い、明は九条に嫌われていると口にした。二人とも嘘を吐いている様子はなかった。だからこそ妙だった。相当拗れた関係にあるのかもしれない。
しかしオレが立ち入るべき問題ではない。何も知らないオレが口を出しても心に響かないだろうし、かける言葉もない。だから言えることはこれくらいしかない。
「これからは傘くらい差せ。オレはお前がどうなろうと知らんが幼馴染に心配かけさせるなよ」
買ってきたもう一本の傘を差しだした。明はまた数度目を瞬かせてから傘を手に取った。
「やるよ。どうせ安物だし」
「…アハハ、ありがとう」
そう言って傘を開きクルクルと回した。あまりにも嬉しそうに笑うのでつい目を逸らした。
「そういえばボクも聞きたいことがあるんだ。」
「結局唯ちゃんとはどうなったの?会えた?」
「‘ちゃん’ってお前…」
馴れ馴れしい呼び方に呆れたが追及する程のことではなかったので流すことにした。
「会えたよ…そういや言い忘れてた。教えてくれてありがとうな」
「どういたしまして、と言いたいところだけどその口ぶりだと上手くはいかなかったみたいだね。フラれちゃった?」
「…そうだな。見事にフラれたよ。赤の他人の助けなんていらないって」
素直に頷いた。‘フラれる’という表現には少しばかり文句をいいたかったが強ち間違いでもないし、なによりそう言われると事態が軽くなったように思えて少し気が楽になる。
「オレが悪かったんだと思う。結局オレの頭の中には記憶を失う前の唯のことしかなかった。何度も会えば元に戻るんじゃないか、なんてふざけたことまで考えていたんだ。そりゃ怒るだろ」
「キミ、そんなこと本人の前で言っちゃったの?」
「言ってないけれど…バレたんだよ。女の子は勘がいいから」
心を読む力については話せないので適当にはぐらかした。しかし明はそれで納得したようでうんうんと頷いていた。アホなのだろうか。
「虐めの件は?学校には戻れたの?」
「…虐めていたヤツを屋上から突き落とした挙句、学校どころか家から出ていったよ。もうどこにいるかすら分からない」
「アハハ凄い子だね」
笑い事ではないが、簡潔にまとめてみるとそんな感想も浮かぶだろう。
「…それで、キミはどうする?」
「…どうもなにも、もうなにも出来ないだろ。オレに会いたくないって向こうは言ってるんだから」
「キミは?キミはもう会いたくないの?」
ふざけたことばかり口にするコイツには似つかわしくない真剣な眼差し。こちらの腹の内を見通すようなその視線に嘘はつけなかった。
「会いたい、けど」
「なら探しに行きなよ。今なら間に合うかもしれない」
「けどオレには理由が…」
「そんなものがないと動けないのかキミは?理由付けなんてしたって誰が聞くんだ。キミが会いたいと思ったならそれで十分だろ」
オレの不甲斐無さを責める言葉に反論するどころか委縮してしまった。コイツの刺々しい言葉と怒ったような声を初めて聞いたからだ。
言い終えて明は少しの間口を噤んだ。自分が怒っていたという事実に驚いているようだった。そして誤魔化すように咳をして言葉を続ける。
「…あと、これは経験談だけど、人っていうのは本当に助けが必要な時ほど他人を突き放してしまうものさ。だから行ってやりなよ」
「間違ってたら…?」
「その時はキミが恥をかくだけだ。余計な気を遣って付きまとう勘違い野郎ってね。安心しなよ、ボクが言い出したんだから泣き言くらいは聞いてあげるからさ」
カラッとした気持ちのいい笑みだった。コイツの笑顔なんて飽きる程見ていた筈なのに、なぜだろうか笑うところを初めて見たような、そんな気がした。
「…もう用は済んだろ?こんなところで油売ってないでさっさと行きなよ」
らしくないことをしたのが気恥ずかしかったのかヤツはそっぽを向いてしまった。言われた通りここにもう用はない。前に進むために背を向けた。
「…お前もさっさと家に戻って着替えろよ。みっともないから。オレは」
あまりにもバッサリと自分の弱さを指摘されて少々ムカついたが、発破をかけてくれたことには感謝している。けれどここまで言われて素直に感謝できるほど大人ではないから憎まれ口を叩いてしまった。それにこうして互いの脇腹を突き合うような関係の方がオレ達には相応しいだろう。
「やれるだけやってみる」
何から手を付ければいいか分からないが歩き出した。正直言って上手く行くような気は全くしない。だが口数の多い友人の前で啖呵を切ってしまったのだ。止まる選択肢はもうどこにもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます