第33話

「───」

 情動が全て止まったような状態で一日を過ごしていた。悲しいというのとは少し違う。ただ虚しさが胸中を占めていた。


 唯と再会した時、ようやく望みが叶ったと思っていた。しかし再会が齎したのは望みの成就ではなくその真逆、喪失だった。

 こんなことになるなら、ウォークマンを返して、二度と彼女の前に姿を現さなければよかった。そうすれば少なくとも彼女は自分の力に気づかず、母の記憶を消し、姫川を殺しかけるようなことはしなかっただろう。全てがオレのせい、と言い切れる程思い上がってはいないが間違いなく原因の一つにはなってしまった。


 彼女は傷ついて、心の殻に閉じこもっている。それは明らかだ。しかしオレの助けは求めていない。意図していないとはいえ傷つけてしまったのだから彼女にとってオレはもう助けを求めるべき相手ではないのだろう。

 誰かが助けなければいけないとしてもそれはもうオレじゃない。そういうことなのだろうか。

 事実、記憶を失う前の彼女に伝えたいことは山ほどあるが、今の彼女にかける言葉は見当たらなかった。

 それも当然。普段話している何人かのクラスメイトの方が知っていることが多いくらいなのだ。悲しい程今の彼女のことを知らない。


 だというのに何故オレはまだ彼女のことを考え続けているのだろう。自分に資格がないと分かっているなら諦めればいいのに。


 自問自答を続けているといつの間にか終業時刻を迎えていた。生徒達が教室を出ていく。何度か一緒にカラオケに行った男子生徒が遊びに誘ってくれたが断った。理由を聞かれたので『体調が優れない』と答えるとなにかがツボに入ったのか笑われてしまった。よく分からないままオレも笑みを返して別れを告げる。

 教室に用があるわけではなかったが、立ち上がる理由も見つからなかったので自分の椅子に座りこんでいた。

 オレ以外にも何人かの生徒が居残っている。もっともオレのように無為に時間を潰しているのではなく課題や試験の準備に取り組んでいるのだが。

 何の気なしに視線を背後に巡らせると、

「「あ」」

 先日オレの不注意で迷惑をかけてしまった女生徒、九条と眼が合ってしまった。

「「……」」

 特段話すこともなかったのだが、こうなってしまった以上だんまりというのも気まずい。適当な話題を振ることにした。

「あー、何してるの?」

「…こっちのセリフよ、黒羽君。用もないのになんで残っているの?学習意欲が削がれるから他所に行って欲しいのだけれど」

 相も変わらず手厳しい。語気の強い女性は美月で慣れたと思っていたがやはり家族と他人では言葉の攻撃力が違う。

「…まあ、それもそうだな。帰るか」

「ちょっと、あっさりすぎでしょう?本当になんで三十分近く何もせず座ってたの?」


「…帰る理由も何かをする気力もなかったから座っていただけだよ」

「…贅沢な時間の使い方ね」

 まったくだ、とオレは小さく零した。どうにもオレには感傷に浸りすぎて時間を浪費する癖があるようだ。悪癖とは分かっているがなかなか治らない。

「…やることがないならお友達の明君とつるんでいればいいんじゃないの?アイツも大概暇人だし」

「…げっ、友達に見えるのか?オレとアイツが」

「違ったの?変人同士仲良くしているように見えたけれど」

 訂正しようと思ったがムキになって反論すると逆に真実味を帯びてしまう。ここは口を噤む方がよさそうだ。というか変人ってなんだ。オレはアイツと違っておかしなことはしていないぞ。

 文句が脳内を光の速さで走っている時、九条の言葉にある違和感に気づいた。

「…あれ、アイツのことよく知っているような口ぶりだけど…」

 オレの指摘に九条はやや顔を赤らめて視線を逸らした。この反応はまさか…

「九条さんもしかしてアイツのこと」

「そっから先言ったら殺すから」

 筆箱から取り出したボールペンを喉元に突き立てられたので降参の意を込めて諸手を挙げた。しかしまさか九条のような子があんないい加減なヤツを好きになるとは。やはり顔がいいからだろうか。

「…勘違いしないで。たまたま近所だから顔見知りってだけで別にそういうのじゃないの、分かった?」

“嘘だ~”とからかいたくなったがそんなことをすれば喉に穴を開けられるだろうからここもやはり口を噤んだ。

「小中高全部同じ学校なのよ。幼稚園だって。見たくなくても嫌でも目に入るわ」

「…ふうん」

「…なに、その反応?舐めてんの?」

「いや、特に意味はないってば」

 九条は口許に手を当て小さくため息を吐いた。

「覚えていないだろうけれど貴方も私達と同じ小学校出身よ。といっても引っ越しするまでだけど」

 同じ学校出身ということも驚きだったが、‘引っ越し’という単語に動揺させられた。

 否応なしに唯との別れ、そして引っ越すきっかけとなった父の死を思い出させられるから。

 表情に出ていたのか九条は気まずそうな顔をする。どうやらオレの家のこともある程度は知っていたらしい。

「お父様のことは…お気の毒だったわね。嫌なこと思い出させたみたいでごめんなさい…」

「……いや、いいんだ。九年も前のことを引きずってはいないよ…」

 大丈夫と言っても九条は申し訳なさそうな顔をしていた。こんなことで申し訳なく思う必要なんてないのに。

「…九条は優しいんだな」

「…別にそんなんじゃ」

 九条は照れたのかそっぽを向く。話してみると案外いいヤツだった。今まで半年以上も話しかけようとしなかったのは勿体なかったかもしれない。

 もう少し喋っていたかったがこれ以上勉強の邪魔をするのも悪い。そろそろお暇することにしよう。

「勉強の邪魔になるしそろそろ帰るよ。さようなら、九条さん」

「はるか」

 席を立った時、九条はそう口にした。何が言いたいのか分からず首を捻ると、彼女は涼しげに笑った。

「九条遥。どうせ下の名前覚えていなかったんでしょう?」

「じゃあ遥って呼べばいいって」

「んなわけないでしょ。気安すぎるわ。名前くらい覚えとけって話」

 そこまで言うことないじゃないかと苦笑いが零れた。そして今度こそ立ち去ろうとしたその時、激しい雨が窓を叩いた。

「うわ、凄い雨だな。傘持ってきてないぞオレ」

「馬鹿ね、と言いたいところだけど私も忘れたわ」

 お前もかよ、と言おうとして顔を見ると九条はどこか遠い目をしていた。

「雨、嫌いなのか?」

「まあ、そうかもね。降る度に馬鹿な知り合いが傘もささずに棒立ちするもの。恥ずかしくて見てられないわ」

 その知り合いというのが誰のことはなんとなく察せられた。アイツにそんな奇特な趣味があるとは…なんて思う訳ない。まあそういうことをしていてもおかしくはないヤツだ。

「…黒羽君、お友達が風邪でも引いて進級が怪しくなるくらい休んだら困るでしょう。アイツのところに行って乾燥機の中にでも突っ込んでおいたら」

 アイツの家がここからそう離れていないことは知っている。しかしオレにはそこまでして行く義理がない。なにより

「…明のことが気になるなら、自分で行けばいいんじゃないか?幼馴染が会いに来たらアイツも喜ぶだろ」

「私じゃダメ。アイツ、私のこと嫌っているもの」

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