第19話

 彼から何回も連絡が届いていた。『悪かった。何に怒ったのか説明してほしい』直視は出来なかったがそういうことが書いてあった。

 留守番電話にも何通かメッセージが残されていたが多分同じようなことを言っているのだろう。それも聞いてはいないが。

 本当に申し訳ないと思っている。彼に落ち度がないことは理解している。それでも彼の心の中にいるあの少女と私を比較されるのはどうしようもなく嫌だった。

 だとしてもきちんと事情を説明して謝ればいいだけじゃないのか、と私の理性的な部分は囁く。最初の内はそうしようと自分も思っていた。

 けれど無視した電話やメールの数が増える度に謝ることへの恐怖がどんどん深まっていった。もしあの温和な表情をしている少年が自分に対して怒るようなことがあったら、と思うと指が震えて動かなかった。そうしている内に時間はどんどん経っていき、さらに恐怖が肥大化していく。まさに悪循環。

 学校での姫川からの虐めもエスカレートしていった。以前から目をつけられていたが先日の一件で完全に標的にされてしまったらしい。通りすがりにいやらしい笑みを向ける、聞こえるように大声で悪口を言う、なんていうのは軽い方で私の弁当を床に落とす、昼休みに私の机と席を勝手に使って侮辱的な落書きしていくなんてことまでしてきた。

 不思議なもので姫川が私を攻撃していく内に全く関係のないクラスメイトまでも距離を取るだけでなく、私を見下すような態度を取ったり馬鹿にするような言動を見せるようになった。もう私は‘そういう’扱いをしていい人間なのだと思われているのだろう。

 噂はクラス外にも広められているらしく文芸部にも行きづらくなった。攻撃的な言動は取られていないが、視線が合うと気まずそうな表情をしてくる。背の高い大人びた雰囲気をしている部長は気遣うようなことを言ってくれたが、それでも居た堪れない。

 傷ついているような素振りを見せればつけあがってもっと酷いことになるのは目に見えている。だから無視してなんてことのないふりをしているが、他人の敵意や悪意に晒され続ける日々は想像していた何倍も苦しかった。

 廊下で吐瀉物をばら撒いて、翼に一方的に別れを告げたあの日からまだ一週間程度しか経っていないのに体感ではもう何か月も過ぎたような感覚がした。それくらい私と私の周りは様変わりしていたし、私は疲れ果てていた。

 学校や塾での授業も最近は頭に入らなくなってきた。集中力や注意力も低下して普段ならしないようなミスを頻繁に起こすようにもなっている。

「……もう、やだ…」

 思わず零れた声は笑ってしまいそうなくらいに弱弱しかった。きっと鏡で見たらこれ以上ないほどに無様で惨めな女が映っているだろう。

 助けを呼ぼうにも誰に縋ればいいのだろうと考えて、初めに担任の教師の顔が思い浮かんだがすぐに消えた。たばこの吸いすぎで肌と歯が染みだらけになっている中年の男。既婚者のくせに女子生徒にデレデレとした表情を見せるバカな大人。姫川のあからさまな演技にも気を良くするような男だ。頼りになるわけない。

 母さんは…母さんには教えたくない。頼りになるかどうかではなくて自分がいじめられているということを知られたくなかった。実の親にそんなこと言える訳ない。

 最後に彼の顔が浮かんだ。数少ない候補の中ではもっとも頼りになりそうな人間だったがあんなことをしでかしておいて助けなんて求められるわけがない。それに過去の私を知っている彼にこれ以上落ちぶれた姿を見せたくなかった。

 頭を抱えている間にも時間は過ぎていく。また十数時間も経てば学校かと思うと気が滅入る。

 なにかしようと思い立ちとりあえずイヤホンをつけて曲を流した。聞きたくない雑音の代わりに音楽を聞かせてくれるこの機械が私は大好きだ。姫川に虐められていても学校に通えたのはこれのおかげだと思っている。

 黒く小さな機械をぼうっと眺めていると、今まで気にも留めていなかったその出自が気になった。

 母から買ってもらったもの、というわけではなかったと思う。記憶が正しければ(もっとも記憶喪失の私が言っても説得力はないけれど)母からなにかをプレゼントとして贈られたことは一度もない。気づいた時にはそばにあった。

 となると記憶を失う前に母から贈られたものなのか?しかしそれも違うような気がした。根拠はないがこの機械からは母の匂いのようなものがまるで感じ取れない。となると一体誰が…

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