第18話

「…………」

 制止の声は届かず彼女は外に去ってしまった。追おうと思えば容易く追えたはずなのに足が動かなかった。

 一体なにをしでかしてしまったのか、まるで心当たりがない。ないからさっきまでの会話の内容を必死に思い返した。

 唯の様子が目に見えておかしくなったのはオレが昔の彼女について話してからだった。そして手を握ってからは感情の機微にそれほど聡くないオレでもおかしいと気づけるほど動揺していたのは覚えている。

 つまりこの時にオレは失言、もしくはなにかをやらかしたということになるのだが、やはり全く心当たりがない。聞かれたとおりに過去のことを答えただけだし、彼女がショックを受けるようなことも考えてはいなかった、筈だ。


 店を出て家に戻った後も考えたがやはり自分のなにが彼女を傷つけたのかついぞ分からなかった。彼女に電話やメールを送ったがそれにも返信はこない。

 ベッドで仰向けになって虚空を見つめながら益体のない思考に耽る。そうやってなにもせず時間を潰している内、もしかすると八年前唯がオレの前から姿を消したのは今みたいにオレの無神経な言動に傷つけられたからじゃないのか、なんて考えまで浮かんできた。

 静寂を電話のコール音が破った。唯からの連絡かと勢いよく身を乗り出して画面を確認したが、送信者の名前は美月、姉だった。

 数秒迷った後、通話ボタンを押した。暢気そうな声が耳の傍でけたたましく弾ける。

『あっ、翼元気してるー?愛しのお姉さまに会えないのが寂しくて夜な夜な枕を濡らす癖は治った?』

「…そんな癖は元からねーよ」

 普段は相手にするのも億劫だが、今は少しだけこの馬鹿な煽りに救われたような気がした。

『……翼、なにかあった?』

 いつもはちゃらんぽらんなのに変なところで察しがいいからやりづらい。適当にはぐらかそうか。

「…なん」

『なんでもないって言ったらぶっ殺すから』

 先読みされた。どうしてこの姉は頻繁に殺害予告をしてくるのだろうか。せめてぶん殴るで済ませてほしい。

 腹を括って正直に言うことにした。

「…唯と会ったんだ」

『え…?』

 ハッと息を呑む音の後に長い沈黙が続いた。まあ驚くのも無理はない。オレだって会えるなんて思ってもみなかった。

『…けど、めでたしめでたしって感じじゃなさそうだね。なにがあったの?』

「ごめん、それはちょっと話せない」

『オイ』

「誤魔化そうとしてるんじゃなくて…オレの中でもまだ整理がついてないんだよ。落ち着いたらちゃんと美月にも話すから」

‘落ち着いたら’口にしながらそんな時が来るのだろうかと自分でもその言葉を疑った。

『分かった…でも困ったらちゃんと頼りなさいよ。不本意ながらもアンタの姉なんだし』

「不本意なのかよ」

 しかし美月はオレ自身でさえ信じてきれていない言葉を素直に受け取ってくれた。憎まれ口を返しながらも僅かに罪悪感を覚える。

 ふと、電話がかかってくる前に弄んでいた疑問を思い出した。美月ほどオレを知っている人間はいないだろうし聞いてみよう。

「なあ、オレって無神経なところあるかな?」

『…………そういうところよ」

 重い諦念が込められた声とともに通話は途切れた。なぜ急に怒ったのだろうか。それを問いただしたいがかけ直すまでのことではないと判断し携帯から手を離した。

「よく分からないな…」

 なにをもってそう断言したのかは定かではないが嘘ではないだろう。もしかしたら妄想でもなんでもなく本当にオレが鈍いせいで彼女を傷つけたのかもしれない。そう思い至って余計に気分が落ち込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る