第17話
結局また一緒にご飯屋さんに行くことになってしまった。前回と同じところでは味気がないという理由で彼がうどん屋さんに決めた。ハンバーガーショップくらいなら何回か母に連れられて来たことはあるがうどん屋さんは一度もなかった。しかもその店は注文するときに列に並び、お盆を持ちながらうどんやトッピングなどを自分で載せなければいけないシステムだったので一見の私は困惑させられた。うどんをのせたお盆はちょっと重かったし。
店内はそれなりに混んでいてテーブル席は埋まってしまっていたので座敷に腰を下ろした。座った時、家には和室がないし茶道なんかもやったことがないから畳というものに触れたのが初めてだということに気づいた。同年代の人間と外食に行くのも昨日が初めてだし、最近は‘初めて’が多い。なんだか成長したような気がして少し嬉しくなった。
「…ごちそうさまでした」
丼に入っていた麺を全て啜り終えて手を合わせた。チェーン店だが中々美味しかった。いやチェーンになるくらいだから美味しいのは当たり前じゃないだろうか。
「キミ結構食べるんだね。うどん大盛に天ぷらも二つ食べちゃうなんて」
「よく食べるとか…女に言うことじゃないと思う…」
確かに少しカロリーの摂りすぎとは自分でも自覚していたが仕方がないじゃないか。朝はあんまり食べれなかったし、昼も吐いちゃったんだし、とまた同じ言い訳を自分の中で重ねた。
「ダメなのかな、よく食べる子は好きだけど」
「…調子のいいこと言って誤魔化せると思わないで…」
怒りを逸らすための文句だということを理解していても’好き’と言われると心が揺らいでしまう。そんな自分の単純さに呆れかえった。
「で、結局何かあったの?学校で、とか言いかけてたけど」
改めて質問されて自分が何故彼に会いに来たかようやく思い出した。あの時覚えた重くのしかかるような絶望的な感覚も。
しかし今更言うべきことだろうか。こんな風に楽しく会話できているのにいきなりそんな暗くてジメジメとした話をしてこの空気を壊すのは嫌だ。
まだ虐めと言えるほどのことはされていないのだし、今は気が少し楽になったしやっぱり止めておこう。それに学校に通うことが苦痛なのはいつものことじゃないか。一々取り立てて言うことじゃない。
「…今日学校で体調崩しちゃって、早退して、家にも誰もいないし、誰かと話せたらなって思って…」
咄嗟に口から出た言葉に嘘は混ざっていなかった。ただ重要な部分を省いてあるだけ。嘘の才能があるのかもと心の中で自嘲した。
「それは大変だったね。だから制服じゃなくて私服なんだ」
「…うん」
彼は私の言葉を疑わず素直に受け入れた。嘘がバレなかったことへの安堵感を覚える、と同時に気づいてくれないことへの失望が生まれた。
結局この人も同じだ。他の人と同じで私の気持ちに気づいてくれない。私は知りたくもない他人の気持ちを無理やり感じさせられるのに、こんなの不公平じゃないか。そんな身勝手で理不尽な言葉が産まれて、心の奥深いところまで突き刺さる。
それでもそんな感情を表に出してはいけないという理性は辛うじて残っていたから平静を装い続けた。
それから彼と私は他愛のない話をした。メールで聞いてきたどんな音楽が好きなのかという質問の続き。私はいつも以上に自然に受け答えしていたが内心上の空だった。どんな風に答えたのか、本当のことを言っていたのかさえ、今となっては思い出せない。
会話が途切れて重たい沈黙が流れる。そんな中、ある疑問が芽生えた。
「…昔の私はどうやって自分の力に折り合いをつけていたんだろう…?」
「え?」
彼の困惑した声を聞いて自分がそれを口に出していたことに気づく。しかし今更取り下げことなど出来なかった。腹を括って思っていることを全て話すことにする。
「…私人に触るといつも気持ち悪くなって、それで他人と関わるのが苦手になって…昔の私はどうしていたんだろうって…」
水を飲みながら考えるような素振りを見せた後、彼は答えた。
「どうって…特にそういう話は聞いた覚えがないけどな…」
「え?」
「結構平気で色んな人に触ってたしむしろ楽しんでいたようにも見えたな。まあ人の心を覗いて楽しむのはあんまり褒められたことじゃないとは思うけど」
懐かしむような表情と楽しげな声はますます私を困惑させた。人の心に直接触れて楽しむだって?あんな生ごみの山に顔を突っ込むような真似をしておいて平気なふりをするだけでもおかしいのにあまつさえ笑って見せるなんて。まるで理解できない。眩暈すら覚える。
「…八年前の私ってどんな人間だったの?」
「凄く明るくて優しかった。人一倍物知りだったし、料理が得意で教えてもらったこともあったっけ…手を引いて色んな場所に連れて行ってくれたりもしてさ…なんでもできて、人気者で、いつも笑いかけてくれて…小さかったからっていうのもあるけど…凄く遠い世界にいる人みたいに感じたな」
「………………………は?」
聞かされた人物像があまりにも今の自分とかけ離れていて同じ人間の話をしているとはとても思えなかった。自分はなにか聞き間違いをしたのだろうか。
「…それ、は本当に私のことなの?」
「?うん、そうだよ」
答えが返ってくる前から本当だと言うことは分かっていた。彼からはまるで嘘の気配が感じ取れなかったから。それでも直接聞かされると頭を固いもので強打されたような衝撃を感じる。
記憶を失う前の自分がどんな人間だったのかなんて深く考えたことがなかった。母親からは終わったことより先のことを考えろと言われていたし私自身あまり興味がなかったのだ。大きな違いなんてないと思い込んでいたから。
けど実際は何もかも違った。性格も能力も人徳も全て今の自分より上回っていた。
一体何がこんな差を生んだのだろう。記憶を失う前の私も同じ脳と体を使っていた筈なのになんでここまで私は劣っているんだ。
もしかして記憶を失う原因になったという頭の傷でなにか重篤な障害が残ったんじゃないだろうか。そんな考えまで頭に浮かんでくる。
あまりのショックに言葉が出なくなった私を彼は困惑した顔で見つめていた。
「…ごめん、なにか変なこと言った?」
胸の奥にあるなにかが急速に冷えていく。目の前にいる少年が八年間も探していたのは、好意を持っていたのは、本当に‘私’なのだろうか。
聞く限り今の‘私’と昔の‘ワタシ’を比べて私が勝っているところは一つもない。そんな比較などしなくとも私自身、自分が他人に好かれる要素がないことを嫌というほど理解している。
「………手、出して」
「え?」
「…手」
突然の要求に戸惑いながらも結局彼は手を出してくれた。私は礼も言わずに手を握った。
確かめたかった。九分九厘予想通りの答えが待っていることは分かっていてもその気持ちは止まらなかった。
「…」
やはり姫川を触った時のような気持ち悪さは微塵も感じ取れなかった。日向にいるように気持ちが安らぐ。しかし依然と違って戸惑うような、警戒するような色がほんの僅かに、けれど確かにあった。
目を閉じて知りたいことを強く意識する。彼の中にある記憶、彼が見ていた八年前の‘ワタシ’。
ぼんやりとした映像が瞼の裏で流れ始める。どこか公園のような場所で金色の髪をした少女の背中が映っていた。
少女は怒ったような仕草を見せながら前を歩いて行って、私は/彼はそれを必死に追いかけていた。
悪かった、ごめん、と何度も謝っても少女は止まらなかった。
『ふふふ、嘘』
いたずらっぽい笑みは可憐でなによりも美しかった。誰の足跡もついていない雪のように無垢で、なんの屈託もない綺麗な笑顔。
ゆっくりと手を離す。ようやく理解した。この人が探していたのは、見ているのは、私じゃない。八年前にいたキラキラと光っていたあの少女だった。
そして彼が私の記憶が戻ることを期待していたことも知ってしまった。今の私は全く必要とされていなかった。
他にも色々なことが分かった。彼の住んでいる場所。彼の力の正体。そして私の力で出来ること。
「…………ありがとう、私、そろそろ帰るね」
「唯、ごめん。なにか酷いことしたなら謝るから!待っ」
悲痛な声をあげて謝る彼に背を向けて店を出た。罪悪感はあったがもう彼の顔を見ていられなかった。
とてもいい人だとは思うし、好きだった。けど、私は‘ワタシ’じゃない。彼の期待には応えられない。それに代用品として見られるのは嫌だ。
結局これは八つ当たりなのだろうか。勝手に惚れて、勝手に相手が自分のことを好いてくれていると勘違いして、違うことが分かったら勝手に怒って離れていく。
最低だ。最悪だ。分かっているのに足は止まらず、振り返ることが出来なかった。
「………」
傷付けたのは私で、泣く資格なんてないのに視界が滲む。アスファルトにぽつぽつと涙が落ちていった。
時折振り返りそうになって、彼が追ってきてくれないかと期待しながら歩き続けた。
結局家に着くまで誰も話しかけてはこなかった。
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