第12話
「…えへへ、美味しい、です」
「喜んでくれて何よりだけど…そんなに?」
唯は満面の笑みでポテトをちまちまと口の中に運ぶ。確かにマクドナルドはオレも好きだがここまで喜ぶのは少しハードルが高い。小学生くらいまでなら話は違ったが…
そこで気づいた。幼少期の記憶がないということは子供らしくはしゃいだ経験も親から無条件に愛された過去も持っていないということ。外見は年相応でも内面はもっと幼いのではないか。
「…こういうところ数えるほどしか連れられてきたことないし、自分から足を運ぶこともないから、なんだかワクワクしちゃいます…」
「そう、なんだ。本当によかった…」
段々と彼女が心配になってきた。明らかに人慣れしていない態度。たどたどしい言葉遣い。世間知らずな言動。悪意を持った人間に目を付けられたらあっさりと騙されて酷い目に遭わされてしまいそうだ。
そもそも普通なら『記憶を失う前のあなたを知っている』なんて言われても信じない。少しは警戒してもいいだろう。
「その、大丈夫?人に騙されやすかったりとかしない?」
「?大丈夫、ですよ」
今の彼女らしからぬ確信を持った口調だった。
「…私、昔から人が考えていることとか、どんな人なのか、とか、なんとなく分かるんです…分かる気がするっていうだけなんですけど…でもあんまり外れたこと、ないんです…」
その言葉でようやく思い出した。彼女は人の心を読む特殊な力の持ち主だった。こんなことを忘れるとは自分でも驚きだが、それも仕方ないかもしれない。
今と違い八年前の彼女はどこか超然とした態度を取っていてなにか特別な力を持っていても不思議ではない、と思わせるなにかがあった。
しかしこの口ぶりではどうやら自分の力をはっきりと自覚できているわけではないらしい。彼女の母親は確か知っていたはずだが…
「その、変な話をしてもいいかな?」
「…はい?」
「唯は昔、触れた人の心を読むことが出来たんだ。」
馬鹿馬鹿しい科白だとは自覚しているがこれしか言い様がない。
「…やっぱりそうだったんですか」
すんなりと受け入れられるとは思っていなかったが、彼女は素直にオレの言葉を受けとめた。
「…人に触られるといつも気持ち悪い感じがするんです。なにかが頭の中に入ってくるような…」
初耳だ。昔唯から話しを聞いた時はそんなことは言っていなかった。それに触れて苦痛を感じているような素振りも見たことがない。
「私、それが嫌で人と関わるのが怖くなっちゃって、体育の授業とかも受けられなくて…」
彼女は訥々と自分の人生を語る。初めて話すからかその語り口は綺麗とは言えなかったが、彼女が感じてきた悲哀と絶望は十分伝わった。
「お母さんからはそんなの全部妄想だって言われてたからずっと自分が狂っているんだって…いつも思ってて…」
聞かされていないだけじゃなく、嘘までつかれていたとは。一体何のために。娘が苦しむとは少しも思わなかったのだろうか。
「嘘じゃないんだよね…信じてもいいん、だよね……?」
縋るような視線、か細い声を否定することなど出来なかった。たとえ嘘だったとしても頷いていたと思う。
「…うん、本当だよ」
彼女は本当に嬉しそうに口角を上げてじっと自分の手のひらを見つめていた。そして遠慮がちに質問する
「…あ、あの、手、触っていいですか?確かめたい、から」
「いいけど…」
心臓がドクンと脈打つのを感じたが平静を装って手を差し出した。そこに彼女の柔らかい手の平が重なる。
「…とっても暖かくて安心、する。……アナタも特別なの?」
「えっ、ああ!うん、そうだけど…」
病的なまでに白い華奢な手。細い指が震えながらオレの手に絡もうとする。どこか蕩けたような声はとても色っぽくて否応なしにどぎまぎさせられる。
「照れてるんだ…ふふふ」
唯はそう言いながらも顔を真っ赤にして手を離した。多分オレも似たような感じになっているのだろうけれど。
「……翼はずっと、私のこと探してくれてたんだ…?八年間ずっと」
「…うん」
「…本当に嬉しい。ずっと一人だと思ってたから…」
そう言うと彼女はポロポロと大粒の涙を流し始めた。泣きながら笑っている。
あまりに痛ましい姿だった。八年の間、この少女は一体どういう人生を送ってきたのだろう。
ずっと気になっていた。唯はどういう風に暮らしているのか。連絡が取れなくても、二度と会えなくてもせめて元気でいてくれればとずっと祈っていた。
現実は違った。彼女は自分が何者かすら知らずに自身を異常だと思い込んだまま、孤独に彷徨っていた
何故なのだろう。口ぶりからして彼女の母親は健在らしい。知っていた筈なのになぜ彼女の力のことを教えてやらなかった。なぜオレの連絡は届かなかった。なぜオレに教えてくれなかった。
憤りすら覚えたが、結果は結果だ。受け入れるほかない。なにかやむを得ない理由があったのかもしれないのだし。
眼鏡を取りゴシゴシと袖で涙を拭う唯にハンカチを差し出した。こんなことしか出来ない自分に果てしなく無力感を覚える。
「……いる?」
「ご、ごめんなさい」
眼鏡を外したおかげでさっきより目元がよく見えるようになった。澄み切った碧い瞳は今も昔も変わっていない。それで一つ疑問を思い出した。
「…オレばっかり質問して悪いんだけど…なんで眼鏡つけてるの?視力が落ちたとか?」
「……えっと、目は悪くないんですけど…色が違うのを人に気づかれると、近寄られるから…それが嫌で」
「…じゃあ髪も?」
「染めてます…地毛だって学校には言ったけど結局通らなくて…髪は傷むけど、目立たないし…」
俄には地毛と信じにくい髪色だが染めることを強制するのはあんまりじゃないか。今時そんな教員がいるとは。母親も母親だ。なぜ娘を庇ってやらない。
不快な事実に舌打ちしたくなるほど腹が立ったが堪えた。ここで怒っても彼女を怖がらせるだけだ。
「……眼鏡くらいは取ってもいいんじゃないかな?視界が狭くなって邪魔でしょ」
「でも…」
「それに…ほいっと」
口ごもりながら反論しようとしている彼女の隙を突いて、眼鏡をヒョイと取り上げる。
「あっ」
「うん。やっぱりない方がいいと思うよ。せっかく綺麗な目してるのに勿体ない」
大きくて碧い瞳は透き通った海か星空みたいにキラキラと光を反射させている。これを隠したままでいるのは世辞抜きで勿体ないと思う。
唯は耳まで真っ赤にして恥ずかしがった。本当にからかい甲斐のある子だ。昔の唯にはいつもからかわれてばかりだったから逆転できて愉快な気持ちになった。
「…し、知らない…」
あまり迫力のない怒り顔を見せながらオレの手から眼鏡を取り戻した。けれど眼鏡はつけ直さずにぽつりと呟いた。
「か、考えとく…」
「いつの間に敬語なくなっているね、唯」
「意地悪だから、もう使わない…」
その後も長い間話し合って、気づいたら六時手前まで時間が進んでいた。まだ話したいことはあったが、彼女の親が心配するといけないから今日はお開きということにした。
「結局オレが聞いてばかりだったね。本当にごめん」
「…ううん。楽しかった、し、まだ聞ける機会はこれからもあるん、だよね?」
「うん。キミがよければ喜んで」
遠慮がちに手を振って去って行く唯を見送る。色々気がかりなところはあるが笑っている彼女を見て安心した。
再会が叶ってから、それこそ夢みたいに色々なことが上手く運んでいるように感じる。
このままならきっと何もかも元通りに、唯の記憶だっていつか―
「…雨」
冷たい雨が頬を伝う。いつの間にか雨雲が立ちこめていたようだ。
ポツポツと降っていた小雨は次第に勢いを増して、いつの間にか大雨と言えるようなものに変わっていた。
雨から逃れるため物陰に走る。天気などで未来の出来事を想像して一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいことだと理解はしているが、なにか不穏なものを感じずには居られなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます