第3話 孫娘の未来
ナイトメア計画は、電子的なジャミングに対抗するために、感受性の強い人間の感覚を機械的に増幅し、魚雷やミサイルといった武器を遠隔操作しようという自衛隊の研究だ。身寄りのない孤児の中から感受性の高い子供を選び、さらに感受性を高める訓練を行い、サイコファイターと呼ばれる隊員に育てた。
完成したナイトメアシステムは〝ナイトメア〟と名付けられた潜水艦に搭載し、2029年からアメリカ海軍の指揮下で実践訓練に入った。そうして敵国の潜水艦などを沈める成果を上げていた。
2031年4月、日米両政府の合意の下、それまで海中でのみ行っていたナイトメアシステムの運用を、海上に広げるテストが行われた。弾道ミサイルを〝ナイトメア〟によって迎撃しようというものだ。
〝ナイトメア〟は日本海にあって、朝鮮半島沖の米国潜水艦から東京、岩国、沖縄上空を通る軌道の弾道ミサイルが発射された。それらが実験用のそれではなく、核弾頭を搭載したものだと察知したのは、まさにサイコファイターだった。
米国潜水艦が誤って発射したミサイルの内2発は自爆処理が間に合ったが、最初に発射されたミサイルは間に合わなかった。それはサイコファイターに操られて目標を大きく外れ、福井県の原子力発電所上空で爆発した。サイコファイターの彼女は、弾道ミサイルの軌道を変えたものの、迎撃には失敗したのだ。
その事実を、日米両政府は
アメリカ第一主義を掲げるカード・アメリカ大統領は、自国の非を認めなかった。いや、むしろ事件を利用して国内の引き締めを図ろうと、敵対国による攻撃だと断じた。
従前よりカードの方針を支持していた白石総理も、ナイトメアを他国に貸与し、実践に当てていたことを公表できない。カード大統領に口裏を合わせ、事件を、関係の悪化していた隣国の攻撃だと断じて宣戦布告した。これが〝4月戦争〟と呼ばれた戦いの発端だった。
原因はともかく、核爆発による電磁パルスで福井県周辺の電気設備は破壊され、多数の原子力発電所が全電源を喪失。高放射線を浴びた地域では人間が死滅し、電源喪失に対する対策を講じることも出来なかった。複数の原子炉、核燃料プールでメルトダウンが発生、放射性物質による被害は深刻化した。
政府は、北陸、近畿、中国地区の安全確保と核施設の被害拡大を阻止に注力するために、戦争行為はアメリカに一任することを決定し、被災地周辺で復旧活動にあたる一部の部隊を除き、陸海空の自衛隊の指揮権をアメリカ国防総省へ委譲した。
国内からは無責任だといった批判があったが、快進撃を続ける同盟軍の動画がニュースサイトに上がると多くの国民は拍手喝采。批判は沈静化した。
米日韓同盟軍が小国に対して勝利するのは易しいが、核ミサイルが落ちた地域の復興は簡単ではない。
「いくつだ。何基、メルトダウンした!……現場の映像はないのか?」
白石は関係機関から送られるデータを確認し、どれもこれも役に立たないものだと癇癪を起こしてゴミ箱を蹴飛ばした。ゴミ箱はカラカラと音を立てて転がり、キャビネットにぶつかって戻って来る。
「福井県内の原子力発電所は全て、全電源喪失。電力会社の報告では、稼働していた4基と8カ所の燃料プールの核燃料がメルトダウンしたものと推測されます」
総理補佐官が報告すると「推測ではいかん。正確なところを報告しろ!」と須賀が怒鳴った。
「現地に生存者は無く、詳細は不明です。防衛相は、放射線量が高いために現地に入るのは無理だといってきています。原子力規制庁も同様の意見で、今の所、ここで現地を確認する術はありません」
「クソッ」
転がっていたゴミ箱を須賀が蹴った。
救いがあったとすれば、4月戦争が半月ほどで終わったことだ。某国が核兵器を使ったという理由で支援する国はなく、同盟軍の圧倒的火力の前に降服したのだ。
とはいえ、核ミサイルによる被害は甚大で、日本国に浮かれる余裕はない。40万に及ぶ日本国民が一瞬で犠牲となり、関西、北陸地域の経済は破綻。敦賀市を中心とした半径80キロ圏内は避難区域となり、福井県内の原子力発電所の30キロ以内は人の立ち入りが禁じられた。それはマスコミでも例外ではない。彼らは、立ち入り禁止地区を〝聖域〟と名付けた。
核爆発による被害が甚大なことと、復旧復興の目途が立たないこと、事件の発端が日米両国によるナイトメアシステムの実験にあること、といった負い目があり、日本政府は情報を秘匿、「現地状況の掌握に勤めている」「正確なことが分かったら発表する」として情報公開を遅らせた。
世論は政府の無能、無策を攻撃したが、それに対して政府が正面から応じることはなかった。
「ナイトメアなど、誰が造ったのだ」
白石がゴミ箱を蹴る。それは壊れていて、とっくの昔にゴミ箱としての機能を失っていた。
「そうだ!」
須賀が、ポンと手を打った。
「須賀さん。名案でもあるのかね?」
「一昨年でしたか、廃炉システム開発機構の岩城理事長が話していたことを憶えていませんか?」
「ヒトデ型ロボットのことか?」
「違います。放射線に耐性のある人間のことです」
「あぁ。夢物語のような話だったな」
「もし、聖域の原発の処置にかかれるのが20年先なら、彼の言ったような人間が働く余地があると言うことです」
「20年待てと、国民に話せと言うのか?」
「場所にもよるでしょうが、チェルノブイリやF1の例を見れば、聖域は20年や30年、人が住むことなど出来ないでしょう。他国の攻撃で使えなくなった土地です。無償で接収というわけにはいかないでしょうが、安値で買い取れば、あとは無人の荒野。そこなら特殊な人間が働いていても目にはつかない」
「なるほどなぁ。さすが須賀さんだ。悪知恵が働く」
「いえいえ、総理には敵いません」
須賀は、禿げあがった頭をつるりとなでた。
「で、どうやるんだね?」
「総理は岩城さんと千坂教授のもとに足を運び、極秘裏に彼女の同意を取り付けてください。そのための研究所は福島県に作ります。F1があるので、疑われないでしょう。……これから私は会見を開き、某国の非道を訴え、聖域の国有化を発表、そのうえで最大限の情報を出します。とにかく世論を味方に付けませんと何も出来ません」
「ああ。目いっぱい汚くののしり、我々に同情の風を吹かせてくれ」
白石は須賀の背中を見送った。
電子パルスの影響で多くの電子機器は破損し、残った映像データは官民ともに少ない。日本政府は集めたデータを取捨選択。ミサイルの映像や進路、日本海上に浮かんだ自衛隊の艦船などの都合の悪いものを除いたものをマスコミに提供した。メディア側には独自のデータがないから、与えられたものを利用するしかない。
青い空が真っ白に変わる瞬間の映像。巨大なキノコ雲。電子パルスの影響で墜落した民間航空機。爆風でなぎ倒された鉄塔や民家。完全防護服姿で爆心地に近づこうとする自衛隊員。放射線熱傷で死に絶えた家畜たち。熱波で焼ける家々の消火活動に走り回る消防隊員。ゴーストタウンとなった街々。避難する人々。長い車列。彷徨するペット達。怪我人を助ける医師や警察官。
マスコミは連日連夜、受け取った映像を流して現地状況を推測し、コメンテーターがそのエリアが死の大地となったと断じて日本国が直面している国難を解説。国民の多くが納得し、〝がんばれニッポン〟を合言葉に復興に挑んだ。
数カ月後、須賀は重大な提案を胸に総理執務室を訪ねた。あの事故以来、顔色の悪かった白石総理はご機嫌だった。
「須賀君。良くやった。後援会からの苦情が無くなった。我々に順風が吹いたよ」
ゴルフクラブを磨きながら世論を味方につけた須賀の健闘をたたえた。
「いえ、総理こそ、千坂博士を上手く口説き落としたとか。助かります」
「なあに、演技は選挙で慣れているからな。政治家は一流の役者であれ、ご意見番が言っていた通りだ」
彼は悪意のない笑みを浮かべた。
ご意見番?……誰のことか分からないが、無視した。
「ゴルフですか?」
須賀は総理のクラブに目をやった。
「順風満帆、明日は大学を経営する古くからの友人とコースを回る。自分が執務室にいなくても、須賀さんや優秀な官僚たちが実務を執行してくれるから何の心配もいらないよ」
白石がカラカラ笑った。
「総理。順風だからこそ、解散総選挙に打って出ませんか?……ゴルフにうつつを抜かしている場合ではないと思うのですが」
白石に忠実な須賀も呆れ、丁寧に説明するつもりだった提案をきつく言った。
「やっと気持ちに余裕が出来たのだ。少し休ませてはもらえないか……。それにね……」
彼はポケットからスマホを取り出して動画を再生した。10歳くらいの少女が『お爺様、愛してる』と投げキッスをする映像だった。
「孫だよ。学校行事で関西に行っていて音信不通だった。それがやっと生きていると分かった。猫が大好きでね。将来は獣医になりたいというんだ。その件も明日、友人に頼まなければならないのだ」
可愛い孫のために獣医学部入学への道筋をつけたいらしい。とんだ爺バカだ。……それを口にできないのは、自分も子供たちが勤めている企業に有利な仕事を回しているからだった。
「今、解散を打てば、最低でも今後4年間、白石総理の政権が続くのです。お孫さんの進路も見守り易いのではありませんか?」
今度は優しく説いた。
「孫のために解散したとあっては笑われるだろう。それに復興は始まったばかりだ。国民が解散総選挙に納得するはずがない。他にこれといった大義もない」
「大義など、こじつければよろしい。たとえば、国難を突破するためといえば済みます。今なら総理は復興のリーダー、楽に支持を得られるでしょう。しかし、もし、アメリカ側から4月戦争の原因が
須賀は細い眼を一層細めた。提案をきいてもらえないなら職を辞する覚悟だった。
「クッ……。確かにカード大統領なら、ぽろっとつぶやいてしまいそうだな」
「あの人は、実に巧みにSNSを使います」
初夏のフロリダでコースを、白石とカード大統領と一緒に回った時、軽口をたたくカードの赤ら顔が脳裏を過る。
「むっつりスケベの須賀さんとは段違いだ」
白石が笑った。
「先般のミサイル迎撃実験は失敗に終わりましたが、サイコファイターが他国の兵器さえコントロールできると分かりました。カードがそのことに気づいたら、ナイトメアシステムを潰しにかかるに違いありません。口が悪く心変わりしやすいカード大統領の存在は、日米同盟の最大のリスクでもあるのです」
「潰すとなればつぶやくか……。あの口の悪さが駆け引きなら良いのだが、本音だからな。……よし、分った。世論の風がナショナリズムに向いている間に解散し、ナイトメアシステムを完成させよう。再び米国と刃を交える時が来るかもしれない」
「ご賢察、ありがとうございます」
「あ、でも、発表はゴルフが終わってからだよ。明日は90を切りそうな気がするのだ。孫も応援に来るのでね。いいところを見せてやりたい」
白石が口角を上げ、『お爺様、愛してる』と繰り返す動画の孫娘にチュッとキスをした。
為政者は笑う ――2031―― 明日乃たまご @tamago-asuno
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