第2話 スターフィッシュ計画 2

 スターフィッシュ計画は、年を越すと世間の話題に上らなくなった。日本人は熱しやすく冷めやすい。メディアも同様で、スポンサーを集めにくい原発事故のニュースに大きな価値を見出すことは難しかった。経営的側面からも多くのマスコミは、国民が関心を持ち、スポンサーがつく明るい話題、……スポーツであれ芸能であれ、科学技術であれ、を強調するニュースを選んだ。それがなければ、グルメ番組を作った。


 人々の意識を事件から遠ざけるのは、経済的価値の有無だけではない。もその一つだ。繰り返されるニュースやプロパガンダに人は慣れ、反応が衰えていく。


 デブリの回収に当たる技術者たちの意識も同じだった。スターフィッシュが順調に動いていると、彼らの意識は納容器の底に溜まったデブリだけに集中していった。彼らの頭の中から、スターフィッシュの腕によって沈殿物が撹拌される汚染水のことはどこかへ行ってしまった。


 攪拌された放射性物質は化学反応をおこし水素ガスを発生させた。設計段階でその対策はとられていた。それで技術者の頭の中から水素ガスは幻のように消えてしまったようだ。設計段階で慎重に検討された可燃性ガス・センサーの設置場所も、スターフィッシュ搬入用レール設置時に移設するさいには安易に決められた。


 2030年3月。……ドーンという爆発音とともに原子炉建屋が揺れた。離れた所に設置されたコントロールルームも揺れ、バタバタバタと屋根の上に飛散した建屋の部品が降った。


 スターフィッシュを吊り下げたレールはねじ曲がり、スターフィッシュの足も踏ん張りが効かずに格納容器の底に落ちて動かなくなった。デブリを吸いあげる管は砕け散り、デブリの粉が原子炉建屋周辺に飛び散った。


 デブリの回収に光明が見えたと考えていた関係者は、一転、奈落の底に突き落とされた。




「振り出しに戻ったのか……」


 岩城から爆発の報告を受けた白石栄一郎総理は、原子炉建屋内の映像を前に肩を落とした。


「振り出し?……もっと悪いかもしれません」


 須賀博臣官房長官が言った。


「岩城さん。そうなのか?」


 白石が岩城をにらみつけた。


「はい……」岩城は恐縮しながらも正直に話した。「……スターフィッシュによるデブリ回収は技術的な前進です。しかし、不慮の事故とはいえ、水素爆発とデブリの飛散を世間は許さないでしょう。規模は全く違いますが、3・11の悪夢を呼び起こしますから。……そういう意味では、原子炉の解体事業に逆風が吹きます」


「今回の件は、隠しようが無いということだな?……岩城さん。正直に言いたまえ。圧力容器内のデブリが順調に回収できても、格納容器内のものについては、課題が残っているのだろう?」


 須賀の冷たい視線に、岩城はそうだと答えるしかなかった。原子炉建屋内は放射線量が高く、落ちたスターフィッシュの回収と修理は絶望的な状況にある。


「では、どうすると言うのだ?……岩城さんほどの人が、他に何の手もないと言うのか?……手立ての構想もなしに、おめおめと私の前に現れたわけではあるまい」


 白石が詰め寄るので、「実は……」と、かねてから密かに考えていたことを話した。放射線に強い人間を創りだし、建屋内で作業を実施するというアイディアだ。


「なんだと!……放射線に強い人間を創る?」


 岩城の話に白石は驚きの声を上げ、須賀は笑った。


「実はクマムシを研究していた学者が宇宙のような高放射線、無酸素環境下で一定期間活動可能な人類を生み出す可能性についての論文を発表しました。それがDNA操作を伴うために、生物学会、医学会、核物理学会ともに倫理的な問題があると一蹴したのですが……」


「論文だけなのだろう。口で言うなら、私だって言えるさ。しかし、そんなものは研究者の夢物語だ。実効性がない。名誉欲か、研究予算欲しさに発表したものだろう」


 須賀の対応は木で鼻を括るものだった。


「しかし、彼女……、研究者は若い女性なのですが、今は熊木田ホールディングスが出資した研究所で人工出産システムを造り、運営しているそうです。口先だけの人物とは思えません」


「まさか、……武上前総理の子供が機械から生まれたという噂があったが、……あれか?」


「はい。人工子宮を使って受精卵を育てているものと思われます。それで高齢の武上前総理も在職中に実子が持てた。……遺伝的な問題のある夫婦でも、DNAを操作し健康な受精卵を作り、子供を作っているとのこと。その彼女が、放射線に耐性のある細胞の研究発表をしていた。学者の戯言ではないと思い、何度か接触を試みました」


「それで……?」


 それまで無関心だった須賀が身を乗り出した。


 白石のスマホが電子音を発した。孫娘からのメッセージ動画が着いたのだ。


「孫からだ……」


 彼は目尻を下げてそれを再生する。


『お爺様、愛してる』


 小学生の孫娘が投げキッスをする映像だった。


「孫のためにも、私は人の道を踏み外すわけにはいかない。廃炉作業の遅れよりも、DNAを操作された人類が誕生することの方が孫娘の人生に悪影響を及ぼすだろう。第一、DNA操作はまずいよ。世間にばれたら政府が倒れる……」


 白石は、自分の首をパンパンと叩いて見せた。


「……あくまでも万が一の話しだが、……放射線に耐性のある人間が創れるとして、使えるようになるには20年やそこらかかるだろう。そんな先のことなら、ロボットでもなんとかなるのではないのかね?」


 岩城には答える言葉がなかったが、須賀が応じた。


「しかし、白石さん。事故からもうすぐ20年になるが、原子炉の解体は遅々として進んでいない。この調子では、次の20年もあっという間に過ぎるかもしれませんよ」


「須賀君。20年後には、君も私もこの世にはいないよ。生きていたところでベッドの中だ。記憶がどうなっているかも怪しい。原発の処理が上手くいっていなかったなら、新しい世代が何とかしてくれるだろう……」


 白石が笑い、岩城に目をむけた。


「……それよりも岩城さん。このままでは政権支持率が下がる。まさか、私をつぶすために下手な仕事をしているのではないだろうね?……何とか、他の手を考えなさい。国民に希望を持たせて支持率を上げるにはスピード感が大切なのだ。確実性ではない。ヒトデがだめなら、ウミウシでもクラゲでも作ればいい。何とかしたまえ」


 岩城を絶望の淵に立たせて3人の会談は終わった。

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