第4話

【第三章】


 夜が明けた。スズメの鳴き声がする。

 朝妃は昨晩、悠妃と同じ布団で一緒に寝た。夜中の三時ごろまですすり泣いていた悠妃はやがて寝息を立て始めたが、朝妃はまともに寝ることができなかった。

山口先生は二年前に赴任してきた先生で、この町が地元ではない。中学二年、三年の二年間担任を受け持っていた先生は明るくて親しみやすかった。

 本当に先生が死んだのだろうか。ぼんやりする頭を何とか覚まそうと起き上がり、洗面所で顔を洗った。タオルで顔を拭いて、化粧水を塗っていると、スマホが鳴る音が聞こえた。


「はい」

「朝妃。大丈夫か」


 柊慈だった。


「大丈夫だよありがとう、きっと柊慈が一番に電話してくると思った」


 時計を見るとまだ七時前だ。


「悠妃ちゃんが第一発見者なんだって?」

「うん……。昨日は随分泣いていたよ」


 いまはすやすやと布団で寝息を立てている悠妃も、目が覚めると昨日の記憶がまた蘇ってくるであろう。


「朝妃、朝刊見たか?」

「朝刊? まだだけど」

「今回のことが載っている」

「ああ……」


 早いな。と朝妃は思った。昨晩、朝妃がブレーキ音を聞いたのは確か五時十五分ごろのはずだった。

そういえば、学校から羽鳥の車で帰宅する頃には既にカメラを手にしたマスコミが集まっていたのを思い出す。


「見てみるよ。あ、それでごめん。昨日の事件でうやむやになってたけど花蓮はあの後どうなったの?」

「ああ。花蓮を追いかけたけど、あいつ足が速くてな。坂を下りたところで見失ってしまったんだ」

「そっか……」

「心配になったから、しばらくした後、花蓮の家に電話をかけたらお母さんが出て、ちゃんと帰っているって言ってたから、家には帰っていることは確認済みだ」

「よかった」

「今日、午前中はちょっと用事があるけど昼から花蓮の家に行ってみるわ」

「私も一緒に行こうか?」

「いや、お前は今日は悠妃ちゃんのそばにいてあげた方がいいだろ」

「……そうだね」


 電話の向こうの柊慈は非常に冷静だ。いつもはおちゃらけているけど、いざという時はとても頼りになる存在である。


「大丈夫。花蓮はバカじゃないから話せばきっとわかってくれるさ」

「うん、悪いけど花蓮のことよろしく頼むね」

「ああ」


 電話を切った朝妃は朝刊をとりに行くため玄関から外に出た。いつもと変わらない日常の雪景色。空は今日も曇っているが、いつもより若干雲は薄い気がした。

 リビングに戻り、朝刊を広げる。地元密着の新潟新聞を開くと、そこには昨日の事件が載っていた。黒焦げになった車の写真も印刷されている。


「ええと……。二月十六日、午後五時二十分頃、里峰小、中学校の校内で車が炎上。里峰中学校の教員、山口邦彦が現在行方不明のため、

警察では車内から発見された遺体がこの山口教員ではないかと、現在捜査を進めている」


 そこへ、朝妃の母、朋子が顔を出した。


「おはよう、朝妃……体の調子はどう?」


 第一発見者が自分の次女、第二発見者が長女という稀有な状況に昨晩は動揺した様子の朋子であったが、今朝は落ち着きを取り戻しているようだ。


「あんまり眠れなかったけど、大丈夫だよ」

「そう……」


 恐らく、焼死体は身元特定の為に司法解剖されるであろう。あとは歯型などから身元を確認するか。

 昨日、朝妃が燃え上がる車を発見した時は炎の勢いがひどくて、車の中がどうなっているのかまではよく分からなかった。


「私よりも悠妃が心配だよ」


 朝妃の言葉に悲痛な表情を浮かべる朋子。


「そうね……」



 その日は八時過ぎに愛奈未から電話があり、さらに九時過ぎに菜子から電話があった。

二人とも昨日の事件に驚いて、夜の八時前に学校の前に駆けつけたそうだが、その時点では既に規制線が張られて立ち入り禁止になっていたため、

遠巻きに学校の様子を眺めるしかなかった。と話していた。

 昼前になってやっと目覚めた悠妃は、ぼんやりしていた。


「悠妃、大丈夫?」

「うん……。大丈夫」


 泣きはらした目は充血していたが、思ったより元気そうな悠妃はお腹がすいたらしく、朋子が用意していた朝食をぺろりと平らげた。

昨日はバレーボール部の練習が終わった後、事故現場に遭遇。その後は警察の事情聴取だったため、夕飯を食べるタイミングを失っていた。


「お母さん、もっと食べたい。何かない?」


 予想以上の食欲に驚きながらも朋子はカップ麺を戸棚から取り出し、湯を沸かし始めた。


「お姉ちゃん、あれからどうなったの?」


 日頃からキリリとした目つきの悠妃は落ち着きを取り戻していた。


「えっと……。今日の新聞に載っているけど、読む?」


 朝妃はそっと朝刊を悠妃に差し出した。

 悠妃は昔から芯のしっかりした明るい子だ。今回の事件できっとショックは受けているだろうが、この記事を読んでどう感じるのだろうか。


「山口先生が行方不明なんだ……」

「うん……」


 榎本家のダイニングにしばし沈黙の時間が流れる。その間に朋子が鍋で沸かしたお湯をラーメンに注ぎ、静かに悠妃の前に置いた。


「でも、どうして先生は車に乗ったのかな?」

「え?」

「だって、私が自主練で残っている間、先生はチョコとマカロンに餌をあげに行ったんだよ」


 山口先生は女子、男子共にバレー部の顧問をしている。チョコとマカロンというのは職員室で飼っている金魚のことで、お菓子が大好きな愛奈未がやたらと甘そうな名前をつけたのだ。山口先生は金魚の世話係になっており、昨日も練習が終わった後、体育館に悠妃を残して一人で職員室へ向かったそうだ。


「先生が帰ってしまったら学校の施錠ができないから、私の自主練が終わるまでいつもは待ってくれているのに……」


 悠妃は、うま塩と書かれたカップラーメンを啜る。

 朝妃は昨日の光景を思い出す。タイヤ痕が残っていた地面と急ブレーキの音を考えると、先生は車に乗った後、正門までの間にかなりスピードを出していたのではないだろうか。

何のために? 何か急な用事で急がなければならなかったのだろうか?


「ねぇ、悠妃。ごめんね。昨日のことはあまり思い出したくないかもしれないけど……。燃えている車の周りに足跡ってなかったんだよね?」

「それ、昨日刑事さんに聞かれた」

「うん、私も隣で聞いていたから知っているけど念のため。足跡以外にも何かが落ちていたとかそういうのはない?」


 悠妃はラーメンを食べる手を止めてうーんと思い出すしぐさをする。


「車の方に集中していたから、見てなかったのかもしれないけど、なかったような気がするな」


 ミステリー小説でよく足跡のトリックが描かれているので、つい人の足跡を確認してしまうのが癖になっている朝妃は、

昨日も現場に到着してすぐに痕跡がないか確認したがそれらしきものは見当たらなかった。ただ、悠妃が最初に燃えている車を発見してから十分ほど経過していたので、

あの炎の勢いでは熱で周りの雪が溶けてしまい、足跡が消えたのかもしれない。

 

 どちらにしても、朝妃としては単なる事故だとは思えなかったのだ。

というのも、車は車体の右側が石垣に激突して変形はしていたが、ガソリンタンクから出火するほどの衝撃には思えなかったからだ。

 

 小学生の頃に隣町で交通事故を目撃した経験があるが、その時の事故は悲惨なもので、スピード違反の車が赤信号のまま交差点に突っ込み、右折待ちをしていた軽自動車に衝突した。

衝突された側の軽自動車は衝撃でひっくり返ってしまい、赤信号で突っ込んだ車は交差点左の電柱に激突したがこの時の衝撃はものすごいもので、いまも朝妃の脳裏に焼き付いている。

 スピード違反の車を運転していた男は死亡、軽自動車に乗っていた女の人は頭を強く打ち、意識不明の重体だとニュースで報道されていた。

 あのくらいの衝撃でも火災が発生しなかったのに、今回の事故程度で車は燃え上がったりするのだろうか。

しかも、悠妃の話では、中の人は火の中でもがき苦しんでいたそうだ。その人物が山口先生だと思うと、思わず吐き気がして、胃の中の食べ物が逆流しそうである。

そんな光景を偶然にも見てしまった我が妹は不幸だ。


 普通なら、車から脱出を試みるであろうに、運転席側のドアは石垣で開かなかったにしても助手席のドアは開けられたんではないか。

それとも石垣にぶつかった衝撃で、腰や足を負傷して動けなかったのだろうか。

 そんなことを考えていると家のインターホンが鳴った。朋子が応答する。


「朝妃、翠くんよ」


 朝妃は玄関に向かい、翠を招き入れた。


「翠くんも昨日は災難だったわね」


 そう言いながら、朋子がホットミルクを翠の前に差し出した。


「ありがとうございます」


 悠妃はカップラーメンを食べ終わり、リビングのソファーでスマホをいじっていた。


「あのさ、山口先生のこともすごく気になるところだけど、今日オレ午前中に花蓮の家に行ったんだ」


 そうだ。山口先生のことでつい頭がいっぱいになってしまっていた。と朝妃は気が付いた。


「でも、インターホンを押しても何の反応もなかったんだ。心配だし、花蓮に電話をかけてみたんだけど、留守番電話サービスに繋がって」

「今朝、柊慈から電話があって、昼から花蓮の家に行くって言ってたよ」

「そっか……」

「昨日さ、花蓮がなんで柊慈の家にやって来たのかだけどさ、どうやら柊慈の母ちゃんが、ビールを買いにコンビニに行ったらしいんだよ。

そしたらたまたま、花蓮と鉢合わせて、あれ、花蓮ちゃん、うちにみんな集まっているわよ。みたいなことを言ったらしいんだ」

「えっ」

「しかも柊慈の母ちゃんがお節介にも、花蓮ちゃんもいらっしゃいよ。ドーナツたくさん作ったから是非食べて行って。みたいな感じで花蓮を半ば強引に家に連れていったらしい」


 それはまた不運というか、タイミングが悪いというか。朝妃は思わずため息をついた。


「花蓮、誤解したよね」

「ああ、自分だけが仲間外れで五人集まっていたって思っているだろうな。まぁ事実といえば事実なんだが」

「花蓮、大丈夫かな……」

「柊慈が行ってくれるならきっと大丈夫だろ」

「でも家にいなかったんでしょ?」

「あーどうだろな。確かにちょっと心配だな。オレも行くから一緒に行くか?」

「そうだね。行ってみよう」


 そう言って、二人で花蓮の家に行くため、朋子に悠妃のことを任せて玄関を出ようとした時だった。インターホンが鳴る。

 玄関のドアを開けると、そこには昨日別れたばかりの羽鳥ともう一人の刑事が立っていた。


「あれ、二人一緒なんだ。悪いんだけど、もう一度話を聞かせてくれないかな」


 朝妃と翠は顔を見合わせた。


「仕方ない。とりあえず対応して、終わり次第花蓮のところに行こう」


 翠が朝妃の耳元でそう囁いたので朝妃は二人を自分の家にあげた。



 愛奈未は通いなれた学校の前で呆然としていた。正門には黄色いテープが貼られ、その左側、駐車場へ続く道の途中に真っ黒に焼け焦げた車が見えた。

 マスコミであろうか、肩に重そうなカメラを乗せた男性と、メモを片手に持ったスーツの女性がウロウロしている。そして愛奈未の姿を見つけると、突然近寄ってきた。


「失礼します。こちらの学校の生徒さんでしょうか。先生が亡くなられたようですが、いまの心境はいかかですか?」


 何がいかかですか? だ。新商品のジュースの試飲会場でお味はいかかですか? と質問されているかのようなノリに腹が立った。

愛奈未は答えることなく、質問してきた女の目を睨みつけた。


「な、なによ……」


 女性とカメラマンはブツブツ言いながら愛奈未から遠ざかった。山口先生。どうか車の中の遺体は別の人でありますように。と願う。

 先生はいい担任だったと思う。生徒の話をよく聞いてくれたし、明るくて朗らかで……。いい担任? 

いや、違う。愛奈未はずっと見て見ぬふりをしていた自分の気持ちを隠せずにいた。優しい笑顔や気さくな言葉がいまもリアルに心に残っている。

夏までバレーボール部にいたが、顧問をしていた先生は、愛奈未がミスをした時に、ドンマイと背中を叩いてくれた。その手は大きな男の人の手で、思わずドキドキした。

 愛奈未の目に涙が滲む。

 明日から学校はどうなるのであろうか。しばらく休校になるのであろうか。


「みんなどうしてるかな……」


 愛奈未は学校を離れ、一人西へ向かって歩き始めた。



 朝妃のスマホが鳴ったのは午後二時半を過ぎた頃であった。柊慈だった。


「朝妃! 大変だすぐ来てくれ!」


 尋常ではない様子の柊慈の声に、翠と顔を合わせる朝妃。やっと刑事が五分ほど前に帰宅して、いまから花蓮の家に向かおうとしていたところだった。


「何、柊慈、どうしたの⁉」


 質問すると、柊慈のごくりと唾を飲む音が聞こえた。


「…………死んでる」

「えっ……」

「花蓮が……死んでる」


 その言葉はまるでどこか異国の難しい言語のように朝妃の頭の中では処理できなかった。


「どうしたんだ朝妃?」


 真っ青な顔をしている朝妃の隣で翠が尋ねる。


「翠? もしかして翠がそこにいるのか? 翠! 大変だ、とにかく花蓮の家に来てくれ‼」


 電話越しに柊慈の声が響いた。

 朝妃の家から花蓮の家までは遠く、徒歩三十分ほどかかる。夏だったら自転車を利用するところだが、雪道では自転車には乗れない。

翠に手を引かれて走っていても、まるで自分の足が宙に浮いているようだった。


「カレンガシンデル」


 その言葉が頭の中で何度も何度もループする。


「くそー。こういう時車を運転できたらいいのに」


 翠が辺りを見渡す。すると、一台の車が通りかかった。


「良介(りょうすけ)おじさん!」


 翠がヒッチハイクをするみたいに親指を立てると、車は路肩で停車した。窓が開き、髭面の良介が顔を出す。


「どうしたんだぁ、そんなにせいで(急いで)」


 良介は翠の家の近所で工務店を経営しており、陸山家とは昔から顔なじみだ。


「頼む! 緊急事態なんだよ! ちょっと谷口の方まで乗せて!」


 翠は工務店の名前が書かれたハイエースのスライドドアを開けて、先に朝妃を押し込むような形で乗せ、自分も乗車し、扉を閉めた。


「緊急事態って何だぁ? だれか病気かあえまち(怪我)したが?」


 不思議そうな顔をする良介に事情を説明する翠の隣で車窓の景色がゆらゆらと蜃気楼のように揺れて焦点が定まらない朝妃。


「朝妃、大丈夫か⁉」


 翠に呼びかけられてハッと我に返る。


「そりゃおめさん、死んでるってそんげこと……寝ているの間違いでないか?」


 良介は信じられないと言った具合で話す。


「とにかく行ってみないことにはわからない」


「だけん、昨日は学校で何かあったみたいだし、なして今日は生徒さんが生きてるか死んでるかわかんねぇが。こりゃたいへんだ」


 信号が少ない町なので、花蓮の家には僅か五分ほどで到着した。


「ありがとう良介おじさん!」

「いや、待て。オレも一緒に行くが。もしそんげ話が本当だとしたら大人が誰かいた方がいっち(いい)」


 そう言って、良介はハイエースを木下家の前に停めて、車から降りた。門を開けて玄関の扉を引くと、扉が開いた。


「柊慈! いるんだろ? オレだ! 翠だ!」


 その声に反応するように、「こっちだ」と声がした。一階の奥の方からだ。

 翠と朝妃、そして良介が声のした方に向かうとそこは脱衣所で、柊慈は花蓮の胸を押さえて人工呼吸をしている。


「一体どうしただ⁉」


 朝妃は花蓮の顔色を見て愕然とした。血の気がなくて唇は真っ白、まるで人形のようだ。

隣の風呂場には洗濯ものを干すためのポールがかかっており、洗い場には二つに切られたマフラーが転がっていた。二つに切られたうちの片方は固く結ばれている。

カラメル色のチェックのバーバリーのマフラーはいつも花蓮が学校につけてきているやつだ。


「風呂場で首を吊っていた」


 柊慈の言葉に衝撃を受ける。


「救急車は⁉」


 翠が確認すると柊慈が


「すでに呼んだ。警察にも電話した」と答えた。


 やがて、サイレンの音が外から聞こえた。



 朝から再開された鑑識班による現場検証に立ち会い、学校の内部を隅々まで調べていた羽鳥だったが、学校の中からは特にこれといった怪しいものは見つかっていない。

さらに指紋の検出は学校ということもあり、不特定多数の指紋があちこちから検出された。当然と言えば当然だが、

中学校の職員通用口のドアノブからは、中学校の校長、教頭、教務、そして教員全員の指紋が検出された。そして小学校の職員通用口のドアノブからは同じように小学校の教員の指紋が検出された。その他無数の指紋も検出されたが、小学生がふざけてドアを開けようとしたなどで触れる可能性も十分にある。

 昇降口の扉やその他教室の窓などの指紋も調べられたが、すべて不特定多数の指紋が検出されるのみであった。


 そして、第二の火災があった焼け跡から出てきたUSBメモリースティックは、焼け焦げて変形してしまっているため、解析は厳しいようだ。

昨日はあった多人数の足跡も、昨晩雪が降ったため、新雪によって消されてしまった。


 羽鳥は、車の助手席で思索にふけっていた。先ほど榎本家を訪れて、再度、朝妃と悠妃、そして偶然居合わせた翠から昨日の状況を聞いていたが、昨日聞いた内容とほぼ同じだった。

 榎本悠妃は夕方五時にバレー部の練習が終わった後、一人で体育館に残って自主練をしていた。その間、山口は職員室の金魚に餌をあげに行くと言い、職員室へ向かう。

山口が体育館を離れてから約十五分後に急ブレーキと何かが衝突したような音がして、驚いて彼女は体育館から飛び出した。

 里峰小、中学校の体育館は正門から一番離れたグラウンドの端にある。そのため、正門近くに辿り着くのに五分ほどかかった。

 榎本悠妃が正門近くに到着すると、石垣ブロック塀に衝突した車が燃えていた。そして、車の中でもがき苦しむ人間を目撃したが、動揺している間にその人は動かなくなった。

 彼女が現場に到着してからおおよそ五分後、衝突音を聞きつけた榎本朝妃と陸山翠がやって来た。

 榎本悠妃の証言では、車の周りには足跡らしきものを確認していないとのことだ。

 山口が乗っていたフォレスターの排気口は右側にある。ガソリンタンクは通常、排気口から一番遠い位置に設置するものだ。実際焼け跡の車のガソリンタンクは左側前方にあった。

給油口も左側なので、擦った摩擦熱でガソリンに火がついたとは考えにくい。

それに、中の人間がもがき苦しんでいたというのは、脱出できない状況にあったのだろうか。


 その後、化学消防車が到着して火は消し止められたが六時前になって今度は学校の裏門の外にある農機具倉庫の前で様々な物が燃やされていた。

 なぜ、何のために。

 羽鳥がうーんと唸ると、運転席の笹本が「考えこんでいるな」と声をかけた。


「疑問の多い事件ですからね」


 羽鳥はやれやれと頭を掻く。

 雪がちらついてきたので、笹本はワイパーをかける。

 羽鳥が里峰中学校を卒業したのは、八年前のことである。卒業当時、まだ小学一年生だった朝妃と翠はとても可愛くて、鬼ごっこやかくれんぼをして一緒に遊んだことを思い出す。

悠妃は「ねえね、ねえね」と姉の後を追いかけまわしていた幼児だったのに、いつの間にか成長して、女らしくなっていた。

 消防隊によって消火された車の中からは身元不明の遺体が発見された。その遺体は現在司法解剖に回されている。


「そもそもなぜ山口は車に乗ったのでしょうね」

「山口邦彦だと断定された訳じゃないぞ。別人の可能性もある」

「すみません。でも仮に山口だったとしたら、榎本悠妃がまだ体育館で自主練をしているのに、放ってどこへ行こうとしたのか」


 羽鳥は運転する笹本の顔を一瞥する。まだ四十代前半のはずだが、目元に刻まれた皺の数は、これまで数々の難事件に立ち向かってきた証だ。


「なぜ車に乗ったのか。車に乗る必要性があった。それとも全く別の人間が車を勝手に動かした」

「わからないことばっかりですね」

「全くだ。農機具倉庫の前の火災も、訳のわからんものばかり燃やされていた」

「燃やすってことは……何かの証拠を隠滅しようとしたのでしょうか」

「お、珍しく鋭いじゃないか」


 笹本に褒められた羽鳥は苦笑いをする。


「珍しくですか」

「車を燃やして何かを隠そうとした。そして、農機具倉庫の前で何かを燃やして隠蔽しようとした」

「ということは、やっぱりあの燃えカスの中にあったものの中に重要なものが含まれているってことですかね。あのUSB……」

「いや、USBはカモフラージュじゃないか」

「えっ」

「燃えカスの中で確かに重要な証拠を握ってそうなのはそれだが、実は別のものを隠蔽したかった。あくまで憶測だけどな」


 羽鳥は昨日の燃えカスの内容を思い出す。竹、ペットボトル、衣類、コンビニの袋、そしてお菓子の箱。約二十本の釘。この中に重要なものが? 思わず頭を抱えてしまう。

 一度、十日町署に帰るため山道を下ろうとしていた時、羽鳥のスマホが鳴り響いた。電話の内容に羽鳥は思わず「えっ」ととぼけた声を出してしまう。


「笹本さん。山口邦彦という男は存在しないそうです」


 笹本が、ため息をついた。


「何だかややこしい事件の臭いがしてきたな。存在しないってことは、戸籍上存在しないってことか?」

「はい。戸籍のない人間が公立中学校の先生になんてなれるんですね」

「うむ……」


 笹本がしばし黙りこむ。山の中腹に、必要性を全く感じないぽつんと一つ立っている信号がある。生憎、黄色の点滅から赤になったので、ブレーキを踏む。


「昨日、校長から山口の履歴書を預かっただろう」

「はい」


 羽鳥と笹本は、昨日の事情聴取で校長から山口邦彦を採用した時の履歴書を預かっていた。

 鞄の中のファイルからその履歴書をコピーしたものを取り出す。

 履歴書の学歴欄に


「平成二十七年 東京都立浦高等学校 卒業」

「平成三十一年、関東教育大学 教育学部 卒業」


 さらに、職歴欄には


「平成三十一年、東京都立川市立藤川小学校 勤務」


 と書かれているが、先ほどの電話では、こちらもすべてデタラメという話だった。

 羽鳥は履歴書に貼られている山口を名乗る男の写真に注視する。二重瞼と形の整った鼻。唇は薄くて少々エラが張っている。いたって普通の容姿。

美形でもなく不細工でもない、どこにでもいそうな顔立ちだった。


「山口の家の方はどうなっている?」


 山口邦彦は、里峰小、中学校から少し離れた山沿いにあるアパートで独り暮らしをしていた。


「今朝から家宅捜索組が行っているはずです」


 羽鳥がそう言った瞬間、再びスマホが鳴り響いた。


「はい、はい。えっ……」


 それは山口と名乗る男が担任をもっていたクラスの子が亡くなったという知らせだった。




 ひどい倦怠感で布団に倒れ込んで昼過ぎまで眠ってしまっていた翠は、目が覚めるとぼんやりとした視界のまま、枕元に飾ってある写真立てを手にとった。

 六月に行った修学旅行の写真。佐渡島の綺麗な海をバッグに撮影された写真には、笑顔の六人が写っている。

花蓮もほんのりと口角をあげており、昨日の出来事がすべて夢だったのではないかという気になってくる。

 翠は写真の中の大好きな人を見つめるのが朝の日課になっている。その人は背が小さくて黒いつやつやの髪をしている。

派手でもなく地味でもなく、キリリとした目が知性を感じさせる。

 数秒間見つめた後、今度は隣に置いてある写真立てを手にとる。こちらには頬のふっくらした可憐な女の子が写っている。

最高の笑顔でポーズをとっているその子はレースのついたまるでお姫様のようなドレスを身にまとい、高いヒールの靴を履いている。


 葵(あおい)はとてもオシャレな女の子だった。幼稚園に通う時も毎日「お姫様みたいな髪型にして」とお願いしては母親を困らせていた。

髪飾りだけでも数十種類は持っていたのではないか。

 そんな彼女は兄の髪の毛を触るのが好きだった。いつも「やめろ」と言うのだが、兄の髪をわしゃわしゃにして遊ぶのだ。

 そんな可愛い妹に翠は兄妹ながらも軽く恋心を抱いていたんじゃないかというくらい惹かれていた。いや、溺愛していたというのが正しいだろうか。


 しかし、この写真を撮影した一週間後に葵は帰らぬ人となった。

 事故だった。たまたま河原で綺麗なアオスジアゲハを見つけた葵は蝶に夢中になって足元を見ておらず、川へと落下した。

 春は上流から雪解けの水が流れてくるので、川が増水する。

 家族が目を離した数十秒間の間に彼女は川に流されて、下流で遺体になって発見された。その時も葵は桃色のかわいいワンピースを身にまとっていた。


 悲しみに暮れる陸山家だったが、彼女の火葬の前にずっと伸ばしていた黒い髪を切って保管することにした。

 彼女の仏壇にはいまも可愛い髪飾りがたくさん飾ってあり、仏壇の前のハンガーラックには当時のままのワンピースなどがかけてある。

 ただ、翠には一つだけ気になることがあった。それは、川で蝶々を追いかけていた葵のすぐ近くに、花蓮の家庭教師をやっていた土屋麻衣子の姿を見かけたことだ。

 勉強ばかりしているという噂の女がどうして川にいたのだろうか。ただ散歩をしていただけなのかもしれないが、七年経ったいまでも翠の頭の片隅でひっかかっている。


「葵、おはよう」


 翠は写真に向かってそう声をかけ、立ち上がった。




 花蓮のお通夜に参加できなかった朝妃は、家に帰ってきてからリビングのソファでぼーっとしていた。


「お姉ちゃん……大丈夫?」


 今度は悠妃が朝妃の心配をしている。

 月曜から臨時休校だというメール連絡があったが、いつまで臨時休校なのかという記載はなかった。テレビのニュースでは花蓮の件については一切報道されていない。

 悠妃がホットコーヒーを入れて、朝妃の前に差し出す。


「ありがとう……」


 花蓮は亡くなった。青白い顔をして微動だにしない花蓮を呼び続ける柊慈の声と、あたふたする良介おじさんの声が朝妃の頭で何度も反芻する。


「こんなものが置いてあった……」


 昨日の脱衣所で柊慈が手に持っていたのは一枚の紙きれだった。そこには


「わたしだけなかまはずれ しにたい」


 と鉛筆で書かれていた。

 それを見た瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃に襲われた。

 もっと早く花蓮の誤解を解いておけば……。もっと早く菜子が謝っていたら。あの日、花蓮も柊慈の家に呼んでいれば。後悔しても花蓮が死んだ事実は変わらない。


 中学三年になったばかりの春。花蓮と朝妃はたまたま教室で二人になった時があった。


「えっ、東京の高校を受験するの」

「うん」

「なんで? やっぱり都会に憧れるから?」

「……」


 うつむき加減で少し頬を赤らめた花蓮はこう答えた。


「モデルになりたいから」

「えっ?」


 花蓮の声はとても小さかった。


「モデル……になりたい」


 恥ずかしいのだろうか朝妃と全く目線を合わせない花蓮は窓の外へ目線をやる。


「うわあ、ぴったりだね!」


 花蓮がさらさらの髪を指でつまみ、朝妃の方をチラリと見る。


「ほんとにそう思う?」

「思う思う! 身長は高いし、美人だし、モデルになるために生まれてきたんじゃないかって思うくらい」


 朝妃は日頃、あまり感情をあらわにしないタイプだが、この時ばかりは、花蓮がトップモデルになって活躍する姿を想像して、ワクワクせずにいられなかった。


「お母さんは複雑そうだけどね」


 花蓮の家がシングルマザーなのを思い出した朝妃は、そっかと小さく答えた。

 窓の外では見頃を終えた桜がひらひらと舞い、ソメイヨシノの木は葉桜になりかけていた。窓の外を眺める花蓮の顔はとても凛々しくて清々しい。



「違う……」


 朝妃の消えそうな声に悠妃が反応した。


「えっ? ごめん、コーヒー薄かったかな」

「違う」

「ええと……そもそも飲みたくなかった?」

「花蓮は自殺なんてしない」


 悠妃はソファーの上でダウンコートを羽織ったまま、真剣な顔をする姉の発言に驚いた。


「花蓮は自殺するような子じゃない。だって夢があった。モデルになりたいって夢をとても大切にしていて……」

「お姉ちゃん……」


 朝妃は花蓮と過ごした日々を思い出す。言葉数は少なく感情をあまり表に出さない彼女だが、内面はとても強く自分の意思をしっかりと持っていた。

 確かに花蓮を除く五人で集まっていた。それに、菜子の言葉で傷ついたのも事実であろう。しかし、そんなことで死を選ぶほど、彼女は軟弱ではないと朝妃は思う。

 その時、ダウンコートのポケットに入れていたスマホが鳴った。柊慈だった。


「はい」

「朝妃、起きていたか」

「うん。ねぇ柊慈。私、花蓮は自殺なんてしないって思うんだ」

「どんぴしゃだな」

「え?」

「オレもいまそう考えていたところなんだ」

「やっぱり」

「誰かに殺された可能性がある。恐らく……山口先生を殺した奴」

「うん。私もそう思う」

「探そうぜ」

「……探すって、犯人を?」

「ああ。オレたちの大切な仲間を奪った奴を探そう」


 朝妃は力強く「うん」と返事した。


「そもそも、あの遺書だっておかしくないか?」


 昨日の遺書を思い出す。何の変哲もないレポート用紙に、鉛筆でメッセージが書かれていた。


「うん、なんで文字が平仮名だったんだろう」

「だよな。あとなんか、紙の上の方にテープかなんかを剥がした後があった」

「誰かが花蓮の遺書を偽造した」


 朝妃はソファーから立ち上がった。


「えっと……。柊慈が花蓮の家に行った時って玄関の扉の鍵が開いていたの?」

「ああ、インターホンを押しても応答がないから玄関扉をひいてみたら開いたんだ。

何度も花蓮の名前を呼んだんだけど、やっぱり返事がないからおかしいなと思って勝手に入らせてもらった」


 昔からこの地域に住んでいるお年寄りなどは、玄関の扉を開け放ったまま外出することもしばしばあるが、花蓮や千夏のように都会で暮らしていた者が、

鍵を開けっぱなしで外出することはまずないはずだ。


「誰かが侵入した痕跡とかなかった?」

「いや、特に普通だったと思うけど」

「誰かと争ったような形跡は?」

「なかったよ」


 駆けつけた救急隊によって病院に搬送された花蓮は死亡が確認されたが、朝妃が脱衣所に駆けつけた時点で既に花蓮は死後何時間か経過しているような気がした。

 実際に人が死ぬ様子を見たのは、祖母が亡くなった時だ。病院のベッドで死後しばらく祖母の手を握り続けていた朝妃は、

最初のうちまだ少し温もりを感じたが、だんだん冷たくなり、一時間経つと祖母の体温はもう感じられなかった。昨日の花蓮も血色がなく、肌が真っ白になっていた。

だらんと垂れ下がった手を握ってみたが、その皮膚はとても冷たかった。


「花蓮のお母さんはパートに出ていたんだよね」

「ああ」


 花蓮の母の千夏は、その日、朝の九時半からスーパーでの仕事をしていたそうだ。家を出るまでは花蓮はいつもと変わらない様子だったと、昨日病院に駆けつけた千夏が嘆いていた。

朝妃が花蓮の死体を確認したのは午後三時ごろ。柊慈は午後二時四十五分ごろに花蓮の家を訪ねたそうだ。そこで、首を吊った彼女を発見し、慌てて降ろしたそうだ。


「マフラーで首を吊ってたんだよね……」

「ああ。風呂場のポールにマフラーを巻きつけてそこで……だ」

「花蓮をどうやって降ろしたの?」

「マフラーが固く結んであったからなかなかほどけなくて、キッチンバサミで切ったんだよ」

「花蓮の体はまだあの時点では柔らかかったよね?」

「そうだな」


 人は死んだ後、約二時間後から徐々に死後硬直が始まる。あの時点では、死んだ直後って訳でもなく、二時間以上経過している様子でもなかった。

つまり、朝妃が花蓮の死体を確認した際に、彼女は死後一時間程度経っていたんじゃないだろうか。そう予測する。


「花蓮の遺書って脱衣所にあったんだよね」

「ああそうだ」

「あの字……偽造にしては花蓮の字にそっくりだったよね」

「そうだな……」


 朝妃も柊慈も小学三年の頃からずっと花蓮と一緒に過ごしてきたので、彼女の字を見間違う訳がない。だが、何かがひっかかる。


「どうして平仮名だったんだろう」

「それはオレも気になる」


 あの遺書はいまどこにあるのだろうか。


「とにかく一度、聞き込みに行こうか」

「聞き込み?」

「ああ、昨日花蓮の家に誰かが侵入したのを目撃した人がいないか。怪しい人物を近くで見かけなかったか」


 柊慈の提案で翌朝、聞き込みをするために家を出た。しかしこの日は天候が悪く、寒風が吹き荒れ、視界が悪い。

柊慈の家から坂道を下った地点で合流し、二人で木下家へと向かうと、昨日と同じく家の周りには鯨幕が張られている。

 鯨幕が雪に叩かれ、風になびいて波打っているのを一瞥し、近隣の家へと向かう。本来ならクラスメイトである朝妃と柊慈もこの葬儀に参列すべきなのだが、

昨日、千夏に追い返されたので、とても木下家には近づけない。


「ごめん、こんな日に呼び出して」

「ううん、早く花蓮を殺した犯人を見つけたいもの」


 朝妃はフードを深く被っているが、それでも顔面を冷たい雪が叩きつけて鼻先がヒリヒリ痛む。

 木下家から五十メートルほど離れた一軒家にやってきた。インターホンを押そうと手を伸ばした時、雪かき用のスコップを片手に玄関から出てきたのは、

顔なじみの秋山さんだった。秋山さんは七十近い男の人で、春から秋にかけては米を育てている稲作農家だ。社交的で快活。

地元の夏祭りでも先陣を切って神輿(みこし)を誘導し、冬の餅つき大会では毎年大きな杵(きね)を振り下ろし、巨大なお餅をついている。


「秋山さん」


 柊慈が声をかける。しかし、こちらを見た秋山はいつものような人懐っこい笑顔ではない。


「ああ、おまんた(お前ら)」

「あの……。木下さんのお嬢さんが亡くなった一昨日(おととい)にこの辺りで不審な人物を見かけませんでしたか?」


 柊慈の問いに、鼻をひくひくさせる秋山。


「おまんた。自分たちのせいでなくて、誰かが殺したとでも言いたいがん?」

「えっ……」


 予想外の返答に戸惑う二人。


「おまんたが花蓮ちゃんをいじめたんろ。おやげねえ(可哀そうに)」


 朝妃は目の前が真っ暗になった。そうか。私たちが花蓮をいじめて、それが原因で彼女が自殺した。恐らく昨日の通夜の席で千夏がそう言いふらし、町中に知れ渡った。

この小さな町では情報が一気に広がる。

 そこへ、秋山の妻の里美が玄関から出てきた。


「あら、あなたたち……」


 里美は吹雪で視界が悪い中、目を凝らしてこちらを見ている。


「里美さん。すみませんこんな日に。あの……。一昨日にこの辺りで不審な人物を見かけたりしませんでしたか?」


 柊慈の質問に無言のまま何かを考えている里美。


「こいつが、自分たちが原因でねぇて、どうやら花蓮ちゃんは別の人物に殺されたって思っているらしいが」

「……そう」


 里美は、肯定するでも否定するでもなく、ただ、吹雪の中に立つ二人の姿を真顔で見ている。

 朝妃と柊慈は、完全に町の中で孤立していることに気が付いた。社交的な秋山といつも愛想のいい里美。二人の視線が今日は冷たく突き刺さる。それでも柊慈が食い下がる。


「花蓮さんは自殺ではなく、他殺だと思うんです」


 すると、秋山は手に持っていたスコップを勢いよく雪に刺して、突然怒り始めた。


「責任逃れすんな! おまんたのやったことをえっせ(しっかり)猛省するが」


 日頃穏便な秋山に突如怒鳴られた二人は思わず後ずさりする。


「仕方ない、一旦引き上げよう」


 二人に軽く会釈をして柊慈と朝妃はその場から離れた。


「完全にオレたちが悪者だな」

「確かに私たちにも責任はあるけれど……あんなに怒った秋山さん初めて見た」

「くそ、オレのミスだ。あの日、花蓮を家に呼んでいたら」


 柊慈が険しい顔をする。


「柊慈は花蓮と菜子が仲直りできるように考えていたじゃない。タイミングが悪かったんだよ」

「ん、ちょっと待てよ」


 柊慈が足を止める。打ちつけるような雪で彼の被っているフードの上には大量の雪が積もっている。


「犯人が別にいるとしたら、なぜその人はオレたちが花蓮を仲間外れにしたことを知っているんだ……⁉」

「あ……」


 朝妃はまた金槌か何かで頭を殴られたような衝撃を受けた。犯人は花蓮以外の五人で集まっていたことを知っている人。または花蓮が菜子の言葉で傷ついたことを知っている人。


「わ……私たちの中に犯人が……⁉」


 吹雪のせいで表情がよく見えないが、柊慈が眉間に皺を寄せていることがなんとなくわかった。


「いや、オレたち以外にも知っている人間がもしかしたらいるかもしれない」

「えーと……」

「例えば、花蓮が誰かに自分のことを話した。それか学校でのオレたちの会話を別の学年の奴が聞いていた。とか」


 確かにその可能性はゼロではないが、花蓮はあまり自分のことを人に話さないタイプなので、前者は違うような気がした。


「オレたちの中に犯人がいるなんて……考えたくもねぇ」


 柊慈の言う通りだ。ずっと一緒に過ごしてきた大切なクラスメイトの中に犯人がいるなんてあり得ない。と朝妃は思う。


「朝妃」

「な、なに?」


 柊慈はフードの下でどんな表情をしているのだろうか。ただ名前を呼んでそこで停止してしまった。


「どうしたの?」

「……決して疑うつもりはないんだけど、一応伝えとく。十六日の車の炎上事件があった日に裏門付近に長い髪が落ちていたと小耳にはさんだ」

「えっ……小耳にはさんだって、どこで……」

「もしかしたらデマかもしれないけど、オレの母ちゃんが消防団の人から聞いたそうだ」

「……」


 朝妃はセミロングで菜子は髪が長い、そして愛奈未はショートカットである。


「ごめん、伝えるタイミングを間違ったかな」


 体の力が抜けていく、そういえば十六日の事情聴取で、自分と悠妃が裏門に近づいたかどうかの質問をされたのを思い出した。

そうなると、いまの柊慈の話はデマではない可能性が高い。朝妃は何も言葉を返せなかった。もしかしたら自分が容疑者の候補に入っているのかもしれない。

何よりも、信頼している柊慈に疑われるのは耐え難い苦痛だ。


「帰ろう」


 柊慈はそれっきり黙ったままで、朝妃は冷たい吹雪の中、絶望的な気分で彼の後をついていった。



 家に帰ると、朋子が暗い顔をしてため息をついている。


「朝妃……本当なの? 本当に花蓮ちゃんをいじめていたの?」


 やはり自分の母親も知っているのか。朝妃はホットレモンを作り、冷たくなった指先をマグカップで温める。


「いじめてなんていない。でも……」

「でも?」

「花蓮が亡くなる二日前に、菜子が花蓮の悪口を言って、それを花蓮が偶然聞いてしまって……。その次の日に、柊慈の家に花蓮を除く五人で集まっていたことを花蓮が知ってしまった」

「どうして、花蓮ちゃんを誘わなかったの?」

「それは……。花蓮に謝るように菜子を説得するために」


 朝妃は自分の発言がすべて言い訳のような気がしてならなかった。


「そうだったの……」

「町の人に何か言われた?」


 朝妃の質問に、朋子はもう一度深いため息をついて、家の固定電話の方に目をやった。


「花蓮ちゃんのお母さんから電話があって……。うちの子はクラスメイトに殺されたって……」


 朝妃は自分のせいで家族にも迷惑をかけていると思い、胸が痛かった。


「お母さん、今からしっかり謝ってくるわね」


 朋子はそう言って、和室で黒いスーツに着替えて、花蓮の家へと向かった。

その後ろ姿を申し訳ない気持ちで見送る。

 花蓮は自殺じゃない。誰かに殺されたんだ。と加害者の私たちがいくらそう叫んだって町の人の耳には届かない。こんな状況で真犯人を探そうなんてとんでもなく無謀な気がした。

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