第7話


 ホットサンドで簡単な昼食を済ませた2人は、片付けのあとキャンプ場を散策さんさくする。友美も当初から見回るつもりだったので、川のほうへ行こうという恭子の誘いを受けることにした。山の日差ひざしは強く、じりじりと首筋を焼かれるような感覚に脅えてパーカーのフードで隠す。ただ日陰に入って風が通り抜けると都会にはない爽快そうかいさが感じられた。


 テントサイトを見渡すと他に2つのテントが見える。友美のテントから対称となる敷地の西側には河津隼人の青いドームテントがあった。彼はその前で背もたれの長いチェアをたっぷりとリクライニングさせて、銀色のマグカップを手に景色を眺めていた。気配を感じてこっちを振り向いたが、友美が会釈すると黙って顔をそむけた。


「どうする友美。今度はこっちから絡みに行く? 手伝うよ」


 恭子はいたずらっぽい笑みを浮かべる。友美はわずかに身を引いた。


「いや、いいよ。私、気にしてないから」


「そうだね。あの人、ちょっと変わっているけどいい人だと思うよ。お金持ちっぽいし、実はお堅い職業じゃないかな」


「悪い人ではないと思うけど、お堅い職業って?」


「だってナンパが下手だったから。私が話しかけたら途端に機嫌が悪くなったし。私、友美が困ってそうだから行ったけど、河津さんが乗ってくれたら3人で遊んでもいいと思っていたんだよ」


「なるほど。私も3人なら話しやすかったと思う」


「ナンパっていうか、人付き合いってそういうもんでしょ。だけど彼、あっさり引き下がっちゃって。だから本当はそういうことに慣れていないんじゃないかなって」


「あんな風に帰ったらそれでおしまいだからね。でも、それならどうして私のところにきたんだろ。無理をしてまで」


「そりゃ友美が可愛かったからでしょ」


「ないよ」


 友美が即答すると恭子は流し目を向けてふぅんと返す。河津を見ると彼はいつの間にかサングラスを掛けて表情も分からなくなっていた。ナンパはお断りだが、自分もせっかく声をかけてくれた相手に対して冷たい態度を取ってしまった気がする。そういう性格だから職場でも孤立してしまうのだと少し落ち込んだ。


 川のある南に向かってしばらく歩くと、今度はカマボコ型をした横に長いテントが見えてきた。まるで深い森のように濃いモスグリーン色をしているので、大きさの割には景色に紛れて目立ちにくかった。こういうタイプを選ぶ人はキャンプの熟練者に違いない。テントの前では岩のようにどっしり構えた初老の男が地面に腰を下ろしていた。


「見て見て、あの人。雰囲気あるね。山男やまおとこって感じしない?」


「うん。相当慣れた人だと思う」


 男は白髪しらがの目立つ長髪を後ろに束ねて、口髭くちひげを付けた栗の渋皮しぶかわのような日焼け顔を見せている。服装は青色のシャツにポケットの多い黒のジャケットを身に着けて迷彩柄めいさいがらのズボンを穿いていた。


「何をしているのかな? ナイフで作業をしているみたいだけど」


「ブッシュクラフトかな。木を削って道具を作るっていう」


 ブッシュクラフトは森の中で生活するために、森で手に入るものを使って物や道具を作ることだ。広い意味ではライターや着火剤を使わずに火をおこしたり、木を伐採ばっさいしてテーブルやチェアや食器を作ったり、さらには住処すみかを確保することなども含まれる。ただしキャンプ場では火打ひうちいしを使って焚火たきびを熾したり、ナイフやナタで拾ってきた枝を加工してランタンスタンドなどを作るのが一般的だった。


「凄い人だと太い木を組み合わせてチェアを作ったり、一枚の布でテントを作ったりするんだよ。自由に木をれるところじゃないと難しいけど」


「へぇ、面白いね。あとであの山男さんのところにも遊びに行ってみようか」


「それは……どうだろう」


 山男が何をしているかは興味深いが、遠目とおめにも気難しそうに見えて関わりたいとは思わない。そういう見物はネットの動画で済ませたかった。


 山男のテントから目をらすと、少し離れたところにもう1つグレーのテントがあった。友美のものと同じ形状をした1人用のパップテントだ。入り口は閉じられて周辺にキャンプ道具もないので、まるで地面から大きな岩が突き出したようにも見える。人の姿はないので持ち主が中にいるのか外に出ているのかも分からない。カンカン帽に花柄のワンピースを着た女のカカシがモデルのようなポーズで固まっていた。



 敷地の南にはやや広い川が東西に横断しており、橋を渡して斜面にバンガローが建っている。河原かわらでは管理小屋で見かけた2人の子供が水遊びをしているようだ。


「水めっちゃ綺麗きれいだね!」


 恭子が声を上げて河原へ下っていく。川の水は清らかで底の砂利じゃりまで見えるほどんでいる。森が近くなったせいでせみの声も大きくなり、川のせせらぎとあいまって賑やかな夏が耳に届いていた。


 歓声が聞こえて目を向けると、男の子が川に浸って水を飛ばしている。年上らしき女の子は河原で見守るようにたたずんでいた。


「気持ち分かるなぁ。友美、水着は?」


「入るの? まさか……」


「さすがにそこまで用意してないねぇ。足くらいは浸けてみようかな」


 恭子はまぶしげに目を細めた。男の子は遊びながら徐々にこっちへ寄ってきた。


「こんにちはぁ。水、冷たい?」


 恭子が優しく声をかけると男の子は足を着いて川の中で立つ。Tシャツと短パンに見えるのは子供用の水着なのだろう。


「全然冷たくないよ」


「嘘だぁ。全然ってことはないでしょ」


「あっちのほうが冷たい」


「ああ、奥のほうが深そうだからねぇ」


 川は近くで見ると思ったよりも流れが速く、遠くのほうは底が深いらしく色が暗くなっていた。遊泳禁止の看板などはないが、背の低い子供は気をつけたほうがいいだろう。


 男の子は短く切り揃えたおかっぱ頭を濡らして、小動物のように大きくて丸い目を輝かせている。水滴が玉となって流れる丸い頬は、のぼせたように赤く染まっていた。


「きただけ、いつきです」


「お名前? ありがとう。私は里見恭子です。こっちのお姉ちゃんは水瀬友美ちゃんね」


 恭子に紹介されて友美もうなずく。男の子はざぶざぶと川から上がってこっちに近づいてきた。

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