第6話

「い、いや、それは……」


 その時、ポケットの中でスマートフォンが振動するのを感じた。それなりの山奥だが電波は届いているらしい。取り出して確認すると、朝のサービスエリアで見たものと同じ、会社からの着信だった。スマートフォンは現実を片時も忘れさせてくれない。まるでストーカーに背後から肩をつかまれて引き戻されたようだ。


 友美は、今度は着信を切って端末たんまつの電源もオフにした。


「……じゃあ、せっかくだから一緒にお昼を作ろうか、恭子」


「本当? やったぁ。荷物取ってくるね」


 恭子は嬉しそうにいそいそと自分のテントへ戻っていく。年上なのに仕草しぐさがいちいち無邪気むじゃきで可愛らしかった。ソロキャンプは自由にできるのが魅力だが、やはり初めは近くのキャンパーやネットの動画を参考にしたほうが効率的だ。一緒にしたいと言うなら受け入れてやるくらいの親切はあってもいいだろう。会社からの着信のせいで少し気分が沈んだので、恭子のようなにぎやかな人と盛り上がりたい気持ちもあった。


 恭子は鉄板二枚で挟み焼ける食パンサイズのホットサンドメーカーと、一人用の焚火台たきびだいと、三本足の簡易チェアを持参じさんする。友美は折りたたみ式のまな板の上でハムやレタスをせて準備を始めていた。


「ねぇ、友美。これで良いのかな?」


「うん……これくらいの調理なら焚火台じゃなくて、シングルバーナーがあったほうが早いと思うけど」


「シングルバーナーって?」


「カセットボンベで火を着ける台だよ。まきと炭で火をくのは時間がかかるから夕食でいいかなと」


 友美はボストンバッグから器具を取り出す。ドーム型のカセットボンベに点火部てんかぶ五徳ごとくを付けただけのシンプルな構造だ。火力は小さいがコンパクトで持ち運びやすく、湯沸ゆわかしや簡単な煮炊きにも使えるのでソロキャンプの必需品だった。


「これだと煙も出ないしすすも付かない。小さいから一枚分しか焼けないけど」


「ああ、それ持ってるよ。そんな名前なんだね。取ってくるよ」


 恭子はそう言って再び自身のテントへ戻る。本当に物だけはよく持っているらしい。帰ってきた手にあったのは、やはり友美の物よりワンランク上のブランド品だった。


「恭子って、ひょっとしてセレブなの?」


「セレブ? いやいや、そんなことないよ」


「でもそのバーナーも新品でしょ? キャンプグッズを一式そろえるだけでも結構かかるのに」


「あー、まあ、それなりに? でも仕事もしているからね。独身だし、相手もいないし、趣味に費やせる余裕はあるかもしれないね」


「私も同じなんだけど……仕事って、やっぱり営業?」


「なんでそう思ったの?」


「分からないけど、そんな風に見えた」


「そっか。うん、当たり。いわゆる広告代理店の営業で、プランナーで、ディレクターかな。今日は休み……だと思う」


「思うって?」


「うちって定休日がないからさ。アポイントが入ってなかったら勝手に休むんだよ。仕事も得意先とくいさき下請したうけや現場への直行ちょっこう直帰ちょっきばかりで会社にもほとんど行かないし、個人事業者みたいに動いているの。お陰で連勤れんきんも残業も本人任せ。でも会社からはチェックが入っていて、ちゃんと有給休暇を取りなさいって指導されるのよ」


「へぇ……凄い」


 友美は感嘆かんたんした。やはりこの社交性しゃこうせいと元気さは営業職に向いている。恐らく仕事ぶりも有能で稼ぎも多いのだろう。あこがれるが自分には真似まねのできないスタイルだった。


「友美は? 働いているの? あ、もしかしてイラストレーターとか?」


「イ、イラストレーター? どうして?」


「だって、なんだか繊細せんさいそうに見えるから。ミュージシャンには見えないけど、陶芸家とか?」


「私、芸術なんて全く駄目だから」


「そう? じゃあ……あ、ソロキャンパー? これ仕事なの?」


「じ、事務だよ。普通にメーカーの事務職」


 友美は大きく首を振る。戸惑とまどう様子がおかしかったのか、恭子は楽しそうに笑っていた。


「そうなんだ。確かに事務っぽくもあるよね。真面目に黙々と仕事をしてくれそう。でも今日って休日だっけ?」


「いや、私も有給休暇で……」


「有給で、ソロキャンプに?」


「……いい天気だったから」


「分かる! こんな日は働いている場合じゃないよね!」


 恭子はいきなり大声を上げると、空を見上げて両手を広げた。


「晴れた空に白い雲! 梅雨つゆの終わりで夏の始まり! こんな最高の日に外へ出ないなんてもったいないよ! 会議室でプレゼンしたり、席でパソコンを叩いたりしている場合じゃないよ、友美!」


「う、うん……」


「だって一生のうちであと何回こんな日があると思う? もし明日に隕石いんせきが落ちて地球が滅亡するとしたら、最後の思い出が終電の窓に映る自分の疲れた顔だったら嫌じゃない! こういう日こそ休まないと! 絶好の有給日和びよりだよ、友美!」


「そう、だよね」


 友美は恭子の勢いに気後きおくれしつつ拍手はくしゅする。いささか大袈裟おおげさだが自分の思いを代弁だいべんしてくれた気がした。同時に、彼女の仕事も決して楽なものではなく、鬱憤うっぷんめ込んでいるのが分かった。慣れないソロキャンプに出かけて、やけに初対面の相手に絡んでくるのも元の性格ばかりではなさそうだ。


「私も、恭子の言う通りだと思う。こういう日こそ遊ばないとね」


「そう! だから友美もテンション上げて! 私を一人にしないで! あ、あっちに川があったよね! やっぱりキャンプと言ったら川遊びじゃない? ねぇ、行ってみようよ!」


 恭子はチェアに座る友美に向かって両手を差し出して立たせようとする。しかし友美はとっさに胸の前で腕を組んで軽く身をかわした。それからぎこちなく笑みを作って見せた。


「とりあえず、お昼ご飯を作らない?」


「あ、そうだったね。はい、よろしくお願いします、先生」


 恭子は両手をだらりと垂らすと、そのまましゃがんで持参したシングルバーナーの準備を始めた。友美の態度を特に気にした様子はなかった。組んだ腕の中で震えを抑えて、こっそりと心の中でため息をつく。彼女のざっくばらんな人柄と切り替えの速さがうらやましかった。

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