第5話

 ソロキャンプの女が見知らぬ男から声をかけられるという話は聞いたことあるが、自分が経験するのは初めてだ。もし絡まれても無視すればいいと思っていたが、テントを張って基地を作ると立ち去ることもできないことに気づいた。


 一体なんの用ですか? 別にあなたと話す気はないんですけど。邪魔しないでください。頭の中で声を上げるが、そんな強気の台詞せりふは口にできない。河津もそれほど危険そうに見えず、本当に女のソロキャンパーが珍しくて様子を見に来ただけにも思えた。こういう時に軽くあしらって追い返すことができればスマートだが、友美はそんなスキルを持ち合わせていない。できることは空気が重くなるような沈黙と乗りの悪い返答ばかりで、相手が居たたまれずに帰ってくれるまで待ち続けるしかなかった。


「キャンプってテントを張ったらもうすることがないよね。ソロキャンプだと話し相手もいないし。水瀬さんは今からどうするの?」


「えっと、どうしようかな……とりあえず休憩して、お昼ご飯でも作ろうかなと」


「そうなんだ。あ、俺、ミルきのできる奴を持っているんだけど、うちでき立てのコーヒーでもどう?」


「え? あ、私、コーヒーはあまり……」


「遠慮しなくていいよ。こういうところで出会うのも何かの縁だし。水瀬さんのことももっと教えてほしいな」


「い、いえ、私は……」


「まあまあ……」


 河津は笑顔で友美の肩に触れようとする。


「あっ」


 ぞっと寒気が走り思わず砂を蹴って後ずさりする。河津は驚いたようにその手を止めた。


「ああ……悪い」


「い、いえ、すみません……」


「ねぇねぇ、どうしたの?」


 その時、通りがかった女が友美と河津の間に割って入ってきた。ショートボブの髪型に高い鼻、細眉で気が強そうな顔をしている。ベージュのブルゾンを着てショートパンツの下にレギンスを穿いていた。やはり少し年上に見えるが、河津の知人でもないようだ。


「なんだか変なやり取りをしているみたいで気になったんだけど、喧嘩けんかでもしているの? あ、私、邪魔かな?」


「け、喧嘩じゃないです。あの、出会ったばかりなので」


 友美は慌てて取りつくろう。近づいた河津を強くこばんだ様子を見られて誤解を与えてしまったらしい。


「出会ったばかり? あ、じゃあナンパされているんだ。えー、やめたほうがいいよ。迷惑行為はお控えくださいって、キャンプ場の利用規則にも書いてあったでしょ?」


「そんなんじゃないよ……大体いきなりなんだよ、君は」


 河津はいぶかしげに眉を寄せる。しかし女はわざとらしい笑顔を返した。


「いきなりなのはあなたも同じでしょ。私、里見さとみ恭子きょうこって言いまーす。よろしくねっ」


「名前なんて聞いてないし。俺はただ、ソロキャンパー同士だからコーヒーでもどうって誘っただけだよ」


「それをナンパって言うんじゃないの? この人あんまり乗り気じゃないみたいよ。ねぇ、嫌なんでしょ?」


「い、いえ、それは……」


 友美は小さく首を振りつつ、肯定こうていとも否定ともつかない返答をする。河津の誘いに乗る気はないが、無碍むげに断るのも申し訳ない気がした。


「あ、私も一人なんだけど代わりに誘われてあげようか?」


「はあ? 何言ってんだよ」


「ご自慢のコーヒーとやらをおごってよ」


「俺は自販機じゃないんだよ。もういいよ。気が失せた。じゃあね、水瀬さん」


「あ、はい……」


 河津はぶっきらぼうに言うと背を向けて立ち去っていく。里見恭子と名乗った女は、えーっと鼻にかかった可愛らしい声を上げてからこっちを向いた。


「……私の扱い、ひどくない? 自販機でももう少し愛想あいそ良く光るでしょ」


 その真剣な口調に友美も思わず吹き出した。



 里見恭子は友美より年上の三十代。河津はつれなくしていたが、友美から見ると活発そうな顔立ちでスタイルのいい女性だった。テントは若草色で三角すいのワンポールテントで、友美のところからは緑色のパーカーを着た女のカカシを挟んだ隣の敷地を占有している。さっき言ったように同じく一人でやって来たソロキャンパーだと、尋ねる前から矢継やつぎばやに自己紹介してくれた。


「でも私、実はソロキャンプって初めてなんだ。キャンプ自体は学生のころに何度か行ったことがあるけど、一人で来ることってなかったから」


「そうなんですか? 私はてっきり慣れた人だと、上級者だと思っていました」


「全然、全然そんなことないよ。知ったかぶりが得意なだけ」


「テントも可愛いし。チェアも素敵で……あれ、いい奴ですよね」


 友美は彼女が作った陣地に目を向ける。チェアは骨組みと座面を分解できるアウトドア仕様だが、構造が特殊でハンモックのように揺らすことができる。有名ブランドの製品で価格も数万円の高級品だった。


「そうだったかなぁ。あとで座ってみる? 私ね、なんでも道具から揃える人だから。家にも使っていないダイエット器具がいっぱいあるよ」


「ダイエットの必要なんてあるんですか?」


「あるある。三十過ぎたら出てくるんだよ、あっちこっち色々とね。恭子でいいよ。そう呼んで。水瀬さんは?」


「あ、友美です」


 つられて答えると、友美ちゃんね、と恭子が繰り返した。同性だからか、河津と比べて会話が弾む。それだけではなく、彼女の明るい表情と軽妙けいみょうな口調には気兼きがねなく話せる雰囲気があった。


「それで友美ちゃん……いや、友美って呼んでもいい? ちゃん付けだと子供っぽいし、さん付けだと仕事みたいでしょ? 私のことも恭子でいいから」


「それはいいですけど……」


「あと、お願いだから敬語もやめて。私、年上になりたくないの」


 恭子は拝むように手を合わせてくる。距離の詰め方が素早く強引だ。しかし無遠慮ぶえんりょでなく、きちんと理由を付けるところが上手なのだろう。嫌な気はしなかった。


「それでね、友美。せっかくだからソロキャンパーの活動を見学してもいいかな? これから何するの?」


「見学って言われても。これからお昼ご飯でもしようかなと。ホットサンドメーカーがあるので何か軽く焼こうかと思っていました……思っていたよ」


「あ、あの挟む奴だよね。私も持っているよ。でも使ったことない。ねぇ、私も隣で真似してもいいかな? 駄目だめ?」

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