第3話

 駐車場の奥は石段のあるゆるやかな斜面となっており、見上げるとその先に三角屋根を載せた大きな木造の建物が見える。恐らくあれがキャンプ場の管理小屋なのだろう。手前には横長の板に『いななき森林キャンプ場』と書いた立て看板がある。事前に調べた通りの場所に違いなかった。


 立て看板の側では一人の男がこちらを見下ろしている。カーキ色のオーバーオールに麦わら帽子を被った大柄な人物が顔を向けて留まっていた。遠さと逆光のせいで表情までは分からないが、服装と身長の高さから見ても男性だろう。見返しても動き出さない様子から、このキャンプ場の従業員に思えた。


 友美は気まずい空気をいなすように会釈えしゃくする。だが相手はそれでも微動だにせず無言で威圧感をかもし出していた。何か気にくわないことでもあるのか。予約もせずにやって来た女を何者だろうと見定みさだめているのか。少し緊張しながら石段を上がって近づくと、ようやくその態度の真相に気づいた。男は動くはずのないカカシだった。


 木の杭を支柱にして宙を浮かぶようにカカシが立っている。駐車場から見上げると支柱の部分は傾斜けいしゃに隠れるので、異様に背が高く見えていたようだ。カカシのくせに少し猫背で、両腕も真横に伸ばさずだらりと下げている。体は綿でも入れているのか肉付きがよく、服も絵ではなく市販されている物を身に着けているので違和感はなかった。ただし顔はベージュ色の布が貼られただけで目鼻などは描かれていなかった。


 友美は鼻で小さく溜息ためいきをつくと、冷めた目を向けて横を通り抜ける。立て看板の飾りか、ちょっとしたお遊びか。出迎えの演出としてはあまり趣味が良くない。複数人で来ていたら驚いても笑いの種になるだろうが、一人で来て騙されたら馬鹿みたいだ。それとも見間違えるほうが珍しいのか。いや、あのカカシには悪意があった、と自問自答を繰り返して恥ずかしさをごまかした。


 キャンプ場は管理小屋を北側の縁にしたシェラカップ状というか、底が平らなすり鉢状に敷地が広がっている。手前には短い草の生えた広い砂地があり自由にテントが張れるフリースペースとなっていた。その奥には東西を横断するように川が流れ、橋を渡った先には南側の斜面に沿って数軒のバンガローが建っている。こちらはテラスでバーベキューをして室内で寝泊まりできるようになっているようだ。


 バンガローは丸太小屋をイメージした雰囲気あるたたずまいで、宿泊者の人数に合わせられるようそれぞれ大きさが異なっている。橋に最も近い一軒のテラスには客らしき男の姿が見えた。視線を下げたテントサイトのほうには、客が持ち込んできた色も大きさも様々なテントが4つ見える。仲間内ではないらしく、テント同士は縄張なわばりのように一定の距離を空けて張られている。そしてテントとテントの合間には例のリアルなカカシがぽつりぽつりと立っていた。


 カカシはおのおの体格や服装を変えつつ敷地に点在している。もはや騙されることはないが、テントを張る際の障害物にならないだろうかと気になった。いや、むしろこれはロープや白線を用いずにテントサイトを区切るために立てられているのかもしれない。カカシを避けてテントを張れば、おのずと見えない一区画を占有せんゆうできるということだ。


 もしそうならば考えたものだが、それなら樹木でも植えたほうがふさわしい気もする。やはり単なるオーナーやスタッフの趣味か。似たり寄ったりな他との差別化を狙ってのことか。ひとまず友美の頭には、カカシのいるキャンプ場と記憶された。



 管理小屋はやはり手前に立っている三角屋根の広い建物だった。正面へ回ると看板の下に『受付・売店』の表記があった。建物の右隣にはトイレとシャワー室があり、さらに共用の水場とゴミ捨て場が設けられている。左隣はひさしの下にまきが積まれて、『一束300円』と値札が付けられていた。


 小屋に入ると右が受付で、左は売店になっている。さらに奥にもう一つ広い部屋あり、そちらにはテントやウェアや焚火台などキャンプ用品が販売されているようだ。売店ではカップラーメンやアイスクリームなどの軽食から、紙コップやウェットティッシュなどの日用品、さらにバドミントンのラケットや水鉄砲、それにシャボン玉ができる玩具がんぐなどが陳列されていた。


 シャボン玉の玩具は息を吹きかけて飛ばすオーソドックスなものから、ドライヤーのような形状で大量に噴射できる電動式の物まで多数揃えられていた。汚れることを気にせずに遊べるのでアウトドアの定番だ。それを前にして2人の子供があれこれ触れて遊んでいる。小学生高学年くらいの女の子と未就学児くらいの男の子。恐らく姉と弟だろう。2人とも右の手首に緑色の虫けのリングを付けている。目を輝かせて声を上げる男の子を、冷めた目をした女の子が相手をしている風だった。


 受付カウンターには三十代くらいの男がいた。直線的な眉に目尻の下がった顔つきで、鼻の下とあごに薄くひげを付けている。ネイビーのキャップの上にサングラスを載せて、ロングスリーブのTシャツを身に着けていた。


 キャンプ場のスタッフらしく、筋肉質のスポーツマン的な印象がある。うつむいて何やら事務仕事をしているようだが、時折ときおり目線だけを上げて小屋内の様子をうかがっていた。首からげたネームホルダーには野島のじまとある。友美が近づくと彼は一瞬だけ顔を上げてから、またすぐに下を向いた。


「あの……」


「はい、なんでしょうか」


 野島は溌剌はつらつとした声を上げるが、顔をこちらに向けようとはしない。何か仕事が立て込んでいるのか。少し気まずい空気が流れた。


「……キャンプ場を、使わせてほしいんですけど」


「ええ、どうぞご自由に」


「いえ、そうじゃなくて。初めて来たので受付を……」


「あ、はい。受付ですね」


 野島は妙に視線が定まっておらず、友美の顔を見たかと思うと右にらしたり、左に逸らしてはまばたきを繰り返したりと落ち着きがなかった。


「それじゃ、ええと、こちらの受付用紙に名前や連絡先などをご記入お願いします」


「予約も入れずに来てしまったんですけど、大丈夫でしょうか?」


「はい、大丈夫です」


「……一人の、ソロキャンプで、テントサイトで一泊、できますか?」


「はい、はい」


 野島は目を泳がせたまま強くうなずいた。友美は軽くあごを下げると卓上のペンを取って受付用紙に記入を始めた。態度がぎこちないのは受付業務に慣れていないのか、元からそういう対応なのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る