第21話「親友だったAのこと」
2023/10/12、禁酒生活2日目(治療を始めて35日目)
あとからアスペルガー症候群だとわかったんですが、僕は小さい頃からおかしい子供だったみたいです。親戚たちがそういうふうに僕を見るのを、マッマは大変に心配していたと最近知りました。僕はでも、鈍感なので全く気付いてませんでしたけどね。
ただ、友達を作るのは下手で、友情を培うのはもっと苦手でした。
でも、小中高と友達もできたし、いじめられながらも無事に生き延びました。
運がよかったのもあるし、周囲に恵まれたし、打ち込む趣味があったのもよかったのかもしれません。子供の頃の僕は、ゲームと読書ばかりしてました。勉強はからっきしです(笑)
そんな僕が、初めて親元を離れた18歳の春……専門学校に進学し、仙台の男子寮に入りました。そこで出会ったのが、後に四半世紀ほど友情を育むことになる、親友のAでした。あっちはどう思ってたかはわからないですが、今どう思ってるかは薄っすらと分かる気がします。まあ、それはどうでもいい話なんですが。
仙台でできた一番の友だち、それがAでした。
わかりやすく最近の例で言うと、僕とAの関係は「呪術廻戦の夏油傑と五条悟」です。僕は頭でっかちで論理と合理を尊び、ポジショントークで相手を正論で叩くような人間でした。逆にAは野生と本能……というよりは、義理人情と仁義、感情で動くタイプの人間でしたね。男気に溢れ、清廉潔白で御洒落で勢いがある人でした。
全く水と油だった僕とAは、共通の趣味を通して友情を深めました。そう、格闘ゲームです。若い頃はお互い、時間とお金とが許す限り己を鍛え、互いに切磋琢磨するライバル関係でもありました。あの時代は今でも、特別な時間だったように思えます。
卒業後に無事二人共東京に就職し、社会人になってからも友人付き合いは続きました。僕が心身を病んでドロップアウト、都落ちしてからもそれは変わりません。
僕は青森、Aは東京で暮らしながら、よく連絡を取ったり、たまーに会ったりしてました。そして、会えば飲みますね。大変によく飲みました。一番の飲み友達だったと今でも思います。二人で一晩で、電気ブランを一本全部飲んでしまうような、若さに任せた飲み方ばかりしていた時代もあります。
その後は、格ゲーを一緒にやる機会こそなくなりましたが、FGOという共通の趣味もあって交友関係は続きました。僕は双極性障害もあって、普通の就職ができず、小説家の道を選びます。家での作業ばかりで、話すのはパッパとマッマだけ、そんな日々が当たり前になりました。
Aとは喧嘩したりもしたけど、定期的に連絡を取っていましたね。
で、やっぱり離れていてもLINEを使ってチャットしながら飲む訳です。それも毎晩。Aも都会で大変な目にあってるようでしたが、相変わらず自分の生き方を貫くしぶとさと力強さが伝わってきました。派遣切りになる人たちを救うために、会社に噛み付いたりしている、本当に変わらないなあと思ったものです。
あと、僕にはAの存在はありがたかったです。青森にも友人はいますが、皆には家族がいて、妻や子供がいる人もいます。たまに一緒に飲めば盛り上がりますが、そうそう頻繁にという訳にはいきません。
その点、Aはいつでも晩酌に付き合ってくれたんですね。
水と油ですからすぐに意見は対立するし、結構長く連絡を取らない時期もありました。でも、なんとなくまたよりを戻して、一緒に毎晩飲んでました。両親以外で毎日話すのは、LINEを介してのAだけだったと思います。
趣味のFGOや新作アニメ、経済、政治、彼はなんでも話せるインテリジェンスを持っていました。楽しい夜は毎晩のように、僕を向かいのコンビニに走らせましたね。
ただ、青森と東京に離れて暮らす二人は、徐々に変わっていったように思います。それも当然で、人間は暮らす環境や現場によって、変化してゆく生き物だからです。
Aがどのようにして、何故変わってしまったかはわかりません。
変わってしまったなあ、と思うことが多くなりました。
でも、それはお互い様で、僕も以前のような僕ではなくなってしまったようです。よくならない、根治しない病気を抱えて、ろくな収入もなく年金頼りの日々というのは、僕を卑しく卑屈な卑怯者にもしたように思います。
結果、何度目かの大喧嘩のあと、またお互いに連絡を絶ちました。
いつものことといえばそうなんですが、個人的には酷く堪えました。一人で飲んでても、酒の減りが早くなるばかりですしね(笑)
Aは僕の両親にとってもお気に入りの子、息子の一番の友人でした。
僕がAと絶交したらしいと知り、少し心配していたようです。
そして、パッパのがんがとんどん悪化し、ついに末期の緩和ケアが始まります。
パッパはあらゆる全ての抗がん剤を試したのですが、身体にベストマッチ! する抗がん剤が見つかりませんでした。がんの進行を遅らせることはできたんですが、手術もできないレベルで転移してしまって、最後は症状の緩和、ようするに痛み止め等しか処置の施しようがない状態でした。
そんなパッパがある日、ポツリと一旦です。
「守や、A君とはその後どうしてるんだい?」
こんなにまでなって、パッパは自分よりも息子の自分を心配してくれている。
焦りました。
なんとかしないといけない。
安心させないと。
じゃないと、ドラえもんが安心して未来に帰れないんだ!
……なにをどう言って、どう謝ったか覚えていません。なにはなくとも、僕はわらにもすがる思いでAとの交友関係を無理矢理再開させました。Aは生来、器の大きい男です。大胆で繊細、しかして公明正大で愉快痛快な男でした。なんだか意味がわからなかったでしょうが、僕の謝罪を受け入れ再び友人付き合いをしてくれたのです。
その時にはもう、パッパは薬で眠ってることの方が多かったです。
会話もできなくなってましたが、Aと仲良くやってると伝えました。
その声が届いたかどうかはわからないんですが、パッパはその数週間後に息を引き取りました。とても静かで厳かな最期だったと思います。
僕はまあ、パッパを安心させるためだけにAを利用したことになりますね。やっぱり、離れてLINEの文字だけでやり取りすると、些細なことが非常に気になります。顔を合わせて面と向かって、言葉を声にして伝えるのとは違うんです。対面での会話には、言葉の文字以上の情報が多数含まれてるんですよね。
例えば「ばっかwwwwwクソかよwwww」ってLINEで言われる。
例えばですよ、例えば……そういう言葉はもらったことがないですけど。
でも、目の前で笑顔で声が弾んでれば、意図が伝わりやすいんですよね。
お互いに酔っ払って、文章だけでのコミニケーション……このやり取りの中で、どんどん互いの変化が浮き彫りになり、食い違ってゆく中で喧嘩別れしたんです。
パッパが亡くなったあとも、僕はAとの付き合いを改めて大切にしたいとは思いました。でも、同時に無理っぽいなとも感じてて……でも、また毎晩一緒に飲んでました。
結果、些細なことで、本当につまらないことでやっぱり絶交してしまったんですよね。まあ、自業自得というか、因果応報というか……親友Aを利己的な欲望に利用した報いかもしれません。
本当に些細なことと言うか、Aが何故激怒したのかもわからないんです。
FGOの話をしてて、お互い酔ってて、なんか唐突に思えて。
泥酔気味だったので、売り言葉に買い言葉という感じで……
以来、もう一年近く連絡を取ってません。TwitterやLINE等、あらゆる連絡手段を絶ちましたし、今度こそ本当の終わりだなと自分でも思っています。
友達とね、お酒を飲むって、幸せなことなんですよ。
そういう友達がいることは、この上なく豊かで恵まれてるんです。
飲まなくても、友達って尊い……この年になると、嫌というほど実感します。そして、それをなんとも思わず都合よく利用できる、それが僕という人間なんです。
あの時、もう少しお酒を控えていたら……あんなに酔っていなかったら。
まあ、それを言っても詮無いことですし、時間は巻き戻りません。
今まで数多の交友関係を、ほんとに気軽にサクサク切り捨ててきた僕への、これは罰かなというのが正直な思いです。それに、これが一番堪えたんですが……Aとの関係が終わってから「Aは死んだと思うことにしよう」って自分で決めて、あまり動じずに生きていられることがショックでしたね。
ショックなんだけど、「まあ、そうだよねー」程度のものだったんです。
僕はそういう人間なんだなあ、とはっきりわかった。以前から簡単に人間関係を切り捨てられたのも、そういうイキモノだからだったのかもしれませんね。
一人だと、酒が進むんですよ。
飲むだけで、文字を打ったり話したりしませんから。さりとて、コミュ障なので誰とでも飲みたい訳でもなく、飲みたい友もプライベートや仕事、家族があります。
邪魔になってもいけませんし、邪魔したくはないんですよね。
あと、最近は一人で飲む方が気楽だし、誰とも喋りたくない日も増えました。基本、誰かと喋るのも話すのも苦手ですし、1対1の対話は怖くて嫌です。
そう思ってたら……ものすごい量を毎晩飲むようになってたとさ、めでたし、めでたし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます