第50話
結局、彼らは海辺の街に五日ほど滞在した。
この時代の感覚でいうととんぼ返りに近いが、残してきた味噌と醤油のことも気がかりなのだから仕方が無かった。
やはり、帰れば二十の試作品のうち、半数に問題が発生していた。いくつかの試作品はアルコール化が始まっていたし、カビが生えたものもあった。
味噌と醤油造りでアルコール化するのは塩が少ない場合によくあることであり、叩き台となる数値が得られたとも言える。
カビの発生は生産工程のどこかで雑菌が混入した証拠であり、反省点として蓄積された。
追加として十の試作品を造り足し、味噌と醤油の試作はひとまず終わった。
すでに最初の試作品を造って二ヶ月になりそうだったし、コウやリーンなどは味を試したくて仕方がなかった。
そんな頃、イサムに全員が集められた。
「……こんなとこに集めて何しようってんだ?」
コウは周りを見渡しながら言った。
彼らが集められたのは離宮の厨房で、いまは大きなテーブルが持ち込まれていた。
「それより、オレ様はお腹が空いたのだ」
不機嫌な顔でリーンは不平を漏らした。
「……リーン、お前……何も気がつかなかったのか?」
呆れ顔でクローは言った。
彼は麹室での作業で使った割烹着のような、白衣のような服を着ていた。同じ服を着たクジーン――コウの『ハーレムさん』の一員で世界一の女料理人だ――もいる。さらに王宮から借り出したのか、クジーンの助手なのか数名の厨房女中も控えていた。
「これから食事なのですが、あとは姫君たちが……いらしたようですね」
イサムが来客を告げた。
どうやら彼ら以外も集められたようだが、グネーとケマの王女姉妹、ヴィヴィア、レタリー、キャニー、ティサンと人数は多かった。
「食事って……もしかしてここで食事すんのか?」
ようやく合点がいったのか、コウは誰ともなしに言った。
「おお! そういうことか! 早く食べよう! オレ様はお腹がペコペコなのだ!」
「席なんだが……俺は悪いけどこっち側な。ちょくちょく厨房に立つことになるし」
クローはそう言いながらケマをちらちらと見やった。
察したケマが僅かにほほを染めながら隣の席に座る。
「ああ、そういう趣向か。んじゃ――」
そう言いながら振り返ったコウは硬直した。
背後ではグネー、レタリー、キャニー、ティサンによる静かな戦いがはじまっていたし、クジーンや厨房女中たちの冷ややかな視線もあったからだ。
「んあ? どうしたのだ? ヴィヴィアも早く座るのだ?」
不思議そうな顔でリーンは自分の執事であり、恋人でもあるヴィヴィアに言った。
「ぼ、坊ちゃま……わ、私などが坊ちゃまや高貴なお方と同じ席に……」
顔を真っ赤にしたヴィヴィアが答えた。
「いいから座るのだ。これは……そういう仕来たりなのだし、ヴィヴィアがいないとオレ様が困るのだ」
そう言ってリーンは強引にヴィヴィアの腕を引っ張って自分の隣に座らせる。
「……そうなんだぞ! だからレタリーも席に座れ! えっと……俺が恥をかくらしい!」
便乗したコウがレタリーの腕を引っ張って隣の席に座らせた。
彼女がいつものようにコウの背後に控えるつもりだったのを、コウが見かねたのだろう。しかし、レタリーは真っ赤になって俯いてしまった。嫌なことをされたというより……想定外のことで恥ずかしさが許容範囲を超えたからだろう。それでコウの隣の席争奪戦は幕が下りた。……リーンの隣にコウは座ったからだ。
「まあ、今回は品評会も兼ねてますし……コウの『ハーレムさん』たちには後で考えることにしましょう」
イサムもそう言って自分の席を適当に決めて座った。
「俺の女たちを『ハーレムさん』と呼ぶな! ……まあ、いい感じに頼む」
条件反射のようにコウが噛みついた。
「品評会? 飯じゃないのか? 品評ってなんの品評をするのだ?」
不思議そうな顔でリーンは訊いた。
「なんのって……味噌と醤油の品評ですよ。決まってるじゃないですか」
平然とした顔でイサムは答え――
「事後承諾になりますが、試作品の初期ロットは全て味見をさせてもらいました。いくつかは期待が持てて、いくつかは経過を見たい感じで……その中でも今すぐ使えそうなもので今日の料理は作りました」
と説明を続けた。
「なら……今日はなんの品評をするのだ?」
さらに解らなくなったのか、リーンは難しい顔をしていた。
「今日はあれだ……使える味噌と醤油で和食を楽しもうって趣旨だ。リーン、本当に何も気がつかなかったのか?」
呆れ顔でクローは訊いた。
「……あっ! それで昨日から魚の召喚させられたり、氷作りさせられたりしたのか!」
「……まあ、サプライズになって良かったじゃねえか。趣旨は理解した! 楽しみだな……はじめてくれ!」
コウのその言葉で食事がはじまった。
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