第42話

「……お前、それで良いのか?」

 クローはコウに問いただした。

 そう言われたコウは馬の上で……二人乗りをしている。手綱を取るのはコウではなく、彼を後ろから抱きしめるよう騎乗した女騎士だ。……彼女もコウの『ハーレムさん』の一人で世界一の女騎士である。

「良いのかって……仕方が無いだろうが……俺は巧く馬に乗れねぇし……」

 そうぼやくコウ。

 彼らの周りには同じような騎馬の者が集まっていて……コウの近くには女性ばかりだ。世界一の女剣士、世界一の女槍使い、世界一の弓使い……護衛としてコウの『ハーレムさん』達から武闘派が選りすぐられたのだ。もちろん、常にコウに付き従うレタリーもいる。

 リーンも馬に乗っているが、彼は貴族の子供として乗馬を教わっている。彼に付き従うヴィヴィアも当然に乗馬ができる。

 そして、なぜかイサムも乗馬ができた。これは異世界に来てから乗馬を習得したのではなくて、異世界に来る前から趣味として乗馬を嗜んでいたからだ。

 コウだけが独りで馬に乗れない。

 しかし、馬車での移動は全員の速度を落とすことになる。馬だけでの移動なら片道十日程度、馬車ならその倍以上と言ったところだ。そもそも、行き帰りで約二ヶ月も馬車に乗るのはコウにしても願い下げだろう。

 クローの声に棘があったのは……恋人のケマと涙ながらの別れを済ませてきたばかりだったからだ。

 ケマの振る舞いはクローの前で泣くまいと健気に涙を堪え、引き止めまいとする必死の覚悟が感じられるもので……クローの心は大きくかき乱されたに違いない。

 その直後に仲良く二人乗りをしているコウである。

 同行しない『ハーレムさん』たちが賑やかに見送りに来てたりもして……クローの心を逆なでするのに十分すぎた。

 ここで説明しなければならないのが……別にケマが心配性であったり、情緒が豊か過ぎではないことだ。単純にこの時代の人にとって旅行は命懸けの大冒険なのだ。

 まず、危険云々の前に長期間の移動が難しい。

 仮に行き帰りで十日の小旅行をするとする。その場合、旅行中の十日間は当たり前だが収入が一切無くなる。飲まず食わずでいる訳にはいかないから、旅行中もそれなりの費用がかかる。たった十日の小旅行をするのに、月収の半分以上の経費がかかるのだ。一般庶民がおいそれとできることではない。

 それでも旅行しようとする変わり者がいても、一人旅は危険すぎる。単純に移動中に足を挫く。その程度のことで死亡も考えられるからだ。

 足を挫いて歩けない、歩けても非常に移動が困難になる。それだけで死亡が考えられるのは……水が尽きる前に補給できなければ死ぬからだ。足を挫くで納得できないとしても急の発熱など……人間がほんの数日動けなくなる理由はありふれている。

 そして旅人など皆無に近いわけだから、運よく誰かが助けてくれることなどありえない。

 現代の日本で例えると単独での登山に近い危険な行いだ。いや、便利な道具があったり、最悪の時には救助が望めるなど、単独登山のほうがずっと安全かもしれない。

 旅の道連れを見つけたとしても危険はまだある。山賊や危険な獣が野にいるからだ。

 山賊は……旅の間に出会う人間は全て危険だ。

 何の変哲もない旅人を考えてみよう。

 彼は丈夫な服と丈夫な靴を用意しているに違いない。下着同然の姿で旅するのは狂人だし、足を挫くだけで命の危険なのに粗末な靴も考えられない。何かしら物を入れる背負い袋程度は所持しているだろう。

 都合が良いことに居なくなっても……死んでも誰も騒がない。

 それだけで強盗にあう理由になるのだ!

 服も靴も背負い袋も全て商品価値がある。追い剥ぎという職業があるが、彼らは実際に身包みを追い剥ぐから追い剥ぎなのだ。他人の衣服に執着する異常者ではない。利益があるから服に至るまで奪い取る。

 さらに社会制度によっては生きている人間そのものに商品価値がある。

 そして、たまたま出会った人が強盗に早代わりするかどうかは場合によるだろうが……山賊は獲物を発見したら確実に襲い掛かる。

 すでに言ったように旅人は皆無であるから……山賊にとって獲物の発見はレアな出来事だからだ!

 さらにある種の獣との遭遇も致命的だ。

 中世ヨーロッパでは狼が恐れられていたが、基本的に狼は人を襲わなかったそうだ。しかし、それでも襲われた例が無いわけではないし、熊などの危険な動物も存在する。地域によっては虎などの大型の肉食獣も生息している。遭遇で運よく生き延びても、その後の移動が困難になれば死んだも同じことだ。

 直接的な攻撃でなくても病気という形で襲い掛かるものもいる。人里には生息していないある種の虫は致命的だし、野生動物が保有している菌なども致命的なものがある。

 我々の世界でも中世の時代には、親しいものと今生の別れを交わして旅に出る。戻る予定であっても帰れるか解らないからだ。

 止めとばかりに、この世界ではモンスターが生息している。

 モンスターの生態は不明点が多すぎて論じるのに向かないが……とにかく人間を見たら襲い掛かってくるのが共通している。

 その点、熊より厄介だ。熊が先に人間を発見すれば逃げてくれることが多い。熊が襲い掛かってくるのは至近距離になるまで人間に気がつかなかった場合がほとんどだ。

 逆にモンスターは人間を発見したら自発的に襲い掛かってくる。モンスター側が戦いを避けることはほとんど無い。まるで人を殺す生物兵器のような生態だが……それが一般的なモンスターと言える。

 この様に旅は命懸けの大冒険であるから、ケマが心配したのはおかしなことではない。おかしなことではないが……彼らの旅はそれほど危険ではない。

 全員が騎乗しての移動であるし、人数分の替えの馬も用意している。

 これは貴族でも裕福なものにしか準備できない規模だ。移動にかかる時間を短くして危険に遭遇する確率そのものを下げることができ、移動速度の速さも色々な厄介ごとを回避するのに有用だ。

 仮に荒事になったとしても……集団の戦闘能力が異常だ。大きな山賊団という非常に珍しい団体に遭遇しても、大過なく退けることが可能だろうし……強力なモンスターと遭遇しても死人をださずに討伐できそうだ。

 むしろ、王が召集した討伐隊か何かと思われても不思議ではない。

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